志村勝之氏の「こんな死に方をしてみたい!」の第二章は、「老化論」である。「生老病死」というひとの一生における、「老と病」は通常順序良くいけば、老いて病となり死に至るというわけだが、ひとによっては、死に至るほどの病が先に来ることもある。かくいう私など22歳にして肺結核を病んで以来、「生病老死」の順で進んできているようだ。彼は70歳になった現在の自分自身の老いにまつわる諸現象を具体的に語る一方、様々な学者や識者の「老い」についての学説を紹介しており、なかなかに興味深い▼「老化現象」をめぐっては、当然のことながらかなり個人差があるように思われる。たとえば彼は眼について、老眼がもたらす不都合を嘆いているが、同い年の私は殆ど気にならない。私は近眼だからだ。早くしてメガネをかけざるを得ず、数多の苦労をしたがゆえか、老いて天は恵みを与えたもうた。近くはいくらでもメガネなしに見えるのだ。本や新聞を読むのにメガネを必要とするひとはひたすら気の毒に思う。また、私は左耳がかなり若い時から聴こえにくい。左側から話しかけられると聞こえず、苦労することが若き日より多かった。しかし、片方しか聞こえないというのは、寝るときに聞こえる方を下にして、つまり横になって寝ると、煩い音が聞こえずによく眠ることが出来るという利点がある。さらに、24歳頃にぎっくり腰を患った私は、ありとあらゆる対症療法をやった挙句に、ストレッチや糖尿病のおかげでやせたうえに運動を日課にしたためか、60歳を過ぎてピタリと腰痛とおさらばできた。恐らくこれから年を経ても腰痛との付き合い方が解ってる分、腰の老いは遅く来るものと思われる▼まだまだ私の体の不都合を挙げるときりがないが、このように、若くして「病」を持った人間は、老いて得をすることもある。少なくとも、あれこれと折り合いのつけ方を知るに至っているから面白い。健康一筋で老いたひとよりも、大げさに言うと満身創痍の方が「老化」を意識するのが遅いのではないか。尤も、喜ぶのはまだ早い。私など肺結核の最中に人生の師から「僕の青春も病魔との闘いであり、それが転じて黄金の青春日記となった。君も頑張ってくれ、君自身のために、一切の未来のために」との揮毫を頂き、感涙にむせび、命の底から発奮したものだが、病魔との闘いはいつなんどき再発するかも知れないからである▼志村氏は、私のような基本的には脳天気でアバウトな人間と違って、「老化」を感じるに当たって、「細胞」にまでその思いを至らせるから凄い。鼻の下の皮膚の隆起から、「皮膚細胞」の衰えだけではなく、脳内の「神経細胞」の衰えを意識するというのだ。自然科学の分野における「老化学説」は「老化学者の数だけある」と言われており、まだまだ定説を持つに至っていず発展途上にある、とも。さらに、心理学者の多くは「老化」というより、「老い」の「意味」や「価値」や「アイデンティティ」を一元的に追い求めることにおいて一致しているとする。つまり、ひとはなにゆえに、またいかにして老いるのかというテーマについて、自然科学における捉え方は千差万別でバラバラだが、心理学の分野では方向は一致しているというのだ。なんだかぐいぐいとひきこまれていくではないか。(2016・11・7)