(187)様々なる老いの実態ー志村勝之『こんな死に方を…』老化編を読む➁

「老化」について志村氏は二つの側面から紹介し、その実態に迫っている。一つは「心理学的老化物語論」で、老いの「価値・意味・アイデンティティ」を基軸としたものだ。精神科医の神谷美恵子さんの『こころの旅』や心理学者の平山正実氏の『ライフサイクルから見た老いの実相』の中から引用しながら、いずれも「老い」を「美しくまとめようとする」無意識下の共通点を感じるという。二つは、「科学的老化物語論」で、「人間の一生は遺伝的にプログラムされているものの、現実の個々の人生はひとさまざま」だというもの。動物行動学者のデズモンド・エリスの『年齢の本』を紹介しつつ、ひたすら楽しいものだとの彼の受けた好印象ぶりが読む側に伝わって来る。ひとというものは若い頃には、誰しも「老い」に対して、ある種の美化した観念を持ちたがるものだが、やがてそれなりの歳になるとその考えを遠ざけたくなるということではないかと思われる▼この『年齢の本』をここでも紹介したいとの欲望に駆られるが、彼が孫引きしたものをここで引っ張ると、ひ孫引きになるのでやめておく。論語における「30にして立ち、40にして惑わず、50にして天命を知る、60にして耳に従う。70にして心の欲するところに従って矩(のり)をこえず」などといった孔子発のことわざよりとても面白いとだけ。ひとはいにしえの昔より「不老長寿」を夢見て、ありとあらゆる挑戦を繰り返してきた。尤も、最近はいささか違った傾向にある。ひとはあたかも死なないものと思い込んでいるかのごときひとが多いのである。私が厚生労働省に勤めた一年の間に、75歳を「後期高齢者」と位置付けたことで大変な抗議を受けた。75歳過ぎたら死ねということか、と。死への準備をしようと問題提起しただけなのに▼「老化」は、科学的見地からは「細胞」と「個体」の両面から考えらえている。志村氏は、田沼靖一『ヒトはどうして老いるのか』から引用をしながら説明を加えている。いわく、細胞の老化は、プログラム学説、エラー蓄積説、体細胞廃棄説との三つがあるが、三番目のものが最も有力だと。このくだりは丁寧な説明が繰り返されているが、何度読んでも私にはよくわからない。それよりも個体の老化は分かり易い。「老化とは、運動能力、繁殖能力や生理的能力が加齢とともに衰えてゆくこと」であるというのだから▼人間の身体における細胞をめぐっては、「私たちのからだの設計図である遺伝子=DNAは、受精卵から約50回もの細胞分裂を繰り返して、約60兆もの細胞となって私たちのからだを作る」というのだが、その仕組みなど、この歳になるまでいくら聞かされてもわからない。ぼんやりと理解するに至っているのは、わが体内の細胞は瞬時生き死にを繰り返しており、何年か経つと全ての細胞が入れ替わっているということぐらい。では、別人になってるかというと勿論そうではない。それぞれの細胞に同型のDNAが刻印されているからだろう。若い時には、細胞が入れ替わるのだから、今日の自分は昨日の自分に非ず、などと発奮の材料に使っていたものだが、老いて来るとそうはいかない。頑張り過ぎて細胞がすりへってしまわないようになどと、わけのわからない自制することぐらいが関の山なのである。
(2016・11・9)

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