官兵衛と憲法9条の境遇 (33)

黒田官兵衛から今我々が一番学ばなければならないことは何か。それは、官兵衛という兵略家が極力、武力の行使を避けて、戦争なしに相手を屈服させる道を選んだということであろう。官兵衛を描いた数々の作品の中で、松本清張の『軍師の境遇』がそのあたりの官兵衛の戦国武将のなかで特筆されるべき本質を最も明確にしているように思われる▲清張は、播磨の小豪族を信長の陣営に組み入れるべく秀吉のもとで奔走する官兵衛に焦点をあてた。後年の九州における官兵衛と違って、前半生ではひたすらに弁舌と調略で、つまり外交戦で勝利を得てきた。それが後世における「軍師」の名を欲しいままにする所以でもある。しかし、あまりにもその威力が度を超したがゆえに、秀吉からも疎まれ、怖がられる因を作って、結果重んじられない、遠ざけられてしまう。そういった「境遇」を描いて余りあるのがこの本の面白いところだ▲高校生向けに書いたものだけに、若者に託する平和への熱い思いが漲っているともいえる、この清張の官兵衛。誠実でひとを裏切らない正直者であるがために相手からも尊重され、大事にされる戦国武将。いささか褒めすぎかもしれないが、こういう人を生み出した地の人間であるとの誇りさえ、播磨人には湧いてくる。姫路を中心とする播磨の人間は今まであまりそういうイメージで語られなかったのが不思議なほどだ▲時あたかも、集団的自衛権問題が喧しく取り沙汰されている。徹底した平和外交を展開する中で、最後の構えとしての自衛力を不断に保持し、磨き上げていくことに大きな異論はない。しかし、外交に早々と見切りをつけ、軍事的同盟国との関係強化のみに走り過ぎることはひたすらに危ういと言えよう。先の大戦の敗北から70年。大げさにいえば、戦争か外交かの岐路に立つ政治選択を前に、規定が理想に過ぎ、多様なる解釈を生み続けてきた”憲法9条の境遇”に思いを致さざるをえない。気高過ぎるがゆえに具体の現実への適応に難航し続け、ややもすれば変えてしまいたいとの野望にさらされるという境遇に。(2014・6・17)

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