(334)面白いようでイマイチ落ちないーS・モームの『コスモポリタンズ』(龍口直太郎訳)を読む

アメリカの大統領がツイッターと称する短文を世界に発信する時代。SNSの世界では、短かきを持って尊しとなす傾向が蔓延っているかに思われる。そんな世相に反抗して、わたしのブログは長い。長いものを書いてないと、落ち着かないというか、自分の思考までが奥行きがなくなるように思ってしまうからだ。だが、今年初の「忙中本あり」は、少し短いものに挑戦しよう。読むものはともかく、こちらが書くものは、とスタートした▼わたしの若い時代にはショートショートと称する短編小説が流行った。国内的には星新一のもの。海外ものではサマセット・モームらが主軸であった。昨年晩秋に読んだある本の中に、モームの『コスモポリタンズ』を推奨されるくだりを発見して、読もうとの気になった。毎夜寝る前に一話ずつ読み進めると、ほぼ一ヶ月で読了(29本)する。睡眠促進剤代わりにと思ったが、中々そうはいかない。要するに最後の落ちがイマイチ落ちず、落ち着かなくなって、逆に考えこんでしまうケースが多いのだ▼最初に小池滋さんの解説から読んだのだが、「社交意識」が一番好きな作品だとあったので、そこをまず開いた。しかし、わたし的には面白くない。「ちゃんと前の方に伏線を仕込んでおいて、最初の2行が見事な落ちになっている」というのだが、しっくりこない。人生とはこんなもの、といった「陳腐な感想」がずしりとした重みで読者に迫ってくる、と仰るのだが、わたしとしては、「物識先生」の方が面白かった。あっと驚く終わり方が。こう来なくちゃと思わせる巧みな捻り方に舌を巻く思いだった▼要するに、人それぞれなのだろうが、全般的にわたし好みの落ちを駆使した短編は少なかった。「読み終わって何時間たっても、いつまでも頭の中にあと味が残るような作品」はそう多くない。そんな中で、興味を唆られたのは「困ったときの友」である。モームは世界を舞台に動く、文字通りのコスモポリタン。そこに我が神戸がしばしば登場する。この掌編では、なんと、わたしの育った塩屋、垂水が顔を出すのだから嬉しい。「それじゃ塩谷クラブをご存じありませんね。わたしは若い時分、そこから出発して信号浮標(ビーコン)をまわり、垂水川の口にあがったもんですよ」と。ここで云う塩谷クラブは、ジェームズ山の外国人クラブを指すものと思われる。塩谷は恐らく訳者の間違いではないか。また、垂水川ではなく、福田川ではないか、と云った思いが浮かんできてしまう。おまけにいくつかの誤植も(65、68頁)、目につき、作品の落ちならぬ、落ち度が気になってしまのはどう云うものか。英国切っての作家と手練れの日本人訳者の粗探しをするようでは、今年のわたしの先行きが危ぶまれる。(2020-1-11)

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