(382)想像力の貧困さを思い知るー重松清『希望の地図 2018』を読む

東日本大震災から10年。この3月11日前後に嵐のように各種メディアが追憶の記事を特集し、ひとしきり続き、そしてやんだ。しかし、阪神淡路大震災から、15年ほどが経った時点で起きた地震、津波、原発事故がもたらす複合災害は、明らかに現代日本人の意識を変えた。「災害は忘れぬうちにやってくる」が当たり前になったのである。しかも、昨年からの「新型コロナ禍」の追撃は、800年前の日蓮大聖人の『立正安国論』の世界を彷彿させてあまりある◆重松清さんのこの本は、平成30年(2018年)の一年をかけて、東北を始めとする全国の被災地を横断して取材したルポルタージュだ。定評のあるこの人の優しさが満ち溢れた素晴らしい本だ。2016年4月14、16日の熊本地震、2018年6月28日から7月8日まで西日本を中心に全国を襲った平成30年7月豪雨、そして同年6月の大阪府北部地震、9月の台風21号。そしてあの1995年1月17日の阪神淡路の大震災。口絵のカラー写真20葉ほどが鮮やかに過去の記憶を呼び覚ます。今に生きる全ての人にとっての備忘録たり得る好著だ◆重松さんはこれら現地に実際に足を運び、被災者に直接会い、時に自己嫌悪に陥りながら、また呆れるほど情け無い気持ちになりつつ、重い口を開かせ続けた。その記録を読み、「想像力の欠如」にこそ、被災者たちを孤立させるものだとの、著者の思いに読者は共感する。ただ、それはわかっていながら、想像力を逞しくする辛さから逃げようとする自分をも否定できない。「大切なものを喪い、かけがえのないものを奪われてしまった人たちに、不躾に話をうかがってきた」著者は、「取材後はいつも重い申し訳なさを背負ってしまった」と。その真摯さが胸を撃つ◆「好漢二人が震災を契機にめぐりあい、素晴らしい友情を育んだ」との最終章の一節は、「希望の地図」のタイトルを裏付けるかのように明るい展望に満ちている。残虐なリアルの連続に打ちのめされても、一縷であっても希望を持ちたいとの読者の期待。それに応えてくれる筆運びが嬉しい。26年前のあの大震災の震源地となった淡路島の北淡町。その地が指呼の間にある明石市の海岸沿いのマンションの一室。そこから私は今これを書いているが、「本でしか学べない現実がある」とのキャッチコピーに強く共鳴する読後感を抱く。(2021-4-3)

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