今更、『三国志入門』でもでもないだろう、との声が聞こえてきそうだ。正直言って、その通りだと思う。じゃあ、どうしてここで取り上げるのか。実は、この欄に登場させる本がなく、書店に行って書棚を探すうちに適当なものが見つからず、苦し紛れで買ったのである。これならすぐ読めて、書くのも簡単だと。すみません、安易な姿勢で。反省します。が、読んでみて、やはりそれなりに新たな気づきがあったし、得たものは少なくなかった▲実は私がこれまで読んだ『三国志』は、遠い昔に読んだ吉川英治のもの。本場中国の原典『三国志演義』ではない。細部は忘却の彼方であった全貌を、ぐっと身近にさせてくれたのが実は映画だった。中国版DVD45分もので全部で50枚100話ほどであったろうか。10年ほど前に一気に観たものだが、これはまさに血沸き肉踊る面白さだった。曹操役の俳優が田中角栄元首相によく似ていたと記憶する。それを改めて想起させてくれた▲この『入門』で、気づかされたのは、劉備玄徳の「真実」である。「すべてを棄ててゆくことによって、いのちを拾う。生きかたとしては放れ業」と、「逃げの劉備」の実像を描いた後、配下の人間の心中を探る。「明確な思想をもたず、配下を思いやる心も持たない劉備に」なぜ付き随ったのか、と。答えは、彼らがそれぞれの理想を描くために、劉備はどんな絵も描ける白いキャンバスだったからだとする。配下にとって利用価値があったということなのだろうが、「思いやりの心がない」人柄との言及に、現代日本人としては疑念が残る▲「手に汗握る名勝負」の章では「赤壁の戦い」が読ませる。尤も「官渡」「夷陵」「五丈原」といった他の戦いも含めて、活劇場面のダイナミックさはやはり映画には叶わない。ただし、細かな背景、心理描写の巧みさは活字の世界である。『三国志』が生み出した言葉が10個紹介されているが、改めて「正解」を知って唸ったものもある。私としては、「出師表」「死せる諸葛、生ける仲達を走らす」に感じ入った。映画では、司馬懿仲達の人物像に惹かれた。読後、これを手引きにもう一度映画を観たいとの思いが募ってきた。(2021-5-4)