(390)底抜けの楽観主義の果てにー半藤一利『戦争というもの』を読む/5-27

本の帯に「最後の原稿」とある。『歴史探偵 忘れ残りの記』が半藤さんの最後の著作かと思っていた。太平洋戦争を通じて記憶して欲しいと彼が願った14に及ぶ名言集である。病床の祖父から編集作業を依頼されたのは孫娘の北村淳子さん。彼女の父親は北村経夫参議院議員である。私が半藤さんと繋がったのは北村さんのお陰。その経緯については幾度も書いた。半藤夫人の末利子さんといえば夏目漱石の孫娘にあたる。エッセイストとして著名だ。そのまた孫にあたる彼女が編んだ祖父の遺言。心に深く染み入る重い本である。コロナ禍という〝異形の戦時〟に読み応え十分だった▲「一に平和を守らんがためである」ー山本五十六の言葉が最初にくる。瞬時、平和を守るために、と称して戦争は始まるものとの謂か、と誤解しかけた。「理想のために国を滅ぼしてはならない」ー若槻礼次郎の言葉も少々引っかかる。裏返して、国を滅ぼしていいのはどんな時なのか、とへそ曲がりな思いがよぎる。この人に遅れること15年。敗戦直後の昭和20年11月に生まれた私は「戦争を知らない」世代の走り。学問に、仕事に、ひたすら「戦争と平和」と格闘してきた▲この世代は「反戦」を青春の象徴として大きくなった。祖父母が生きた明治の約40年が日本が勃興する時代と重なり、父母の育った大正から昭和前期へのほぼ40年間は、この国が滅びゆく期間と重なる。自らは戦後民主主義の只中の70有余年を生きた。老境に達した今、明治の先達にそこはかとない憧憬の念を抱く。それはこの国を守りゆく〝理想の承継〟でもある。戦争の残酷さ、悲惨さは存分に知り尽くしているつもりだ。だが、観念の上での理解は突然の何らかの衝撃に、脆くも壊れ行くことも知らぬわけではない。この辺りは産経政治部長で鳴らした、淳子さんの親父さんと語り合いたいとの衝動を覚える▲この本を読み進めていく中で、妙な疑問が湧いてきた。「特攻の秋(とき)」昭和20年の初めになぜ母は妊娠したのか。お先真っ暗の「戦時」の子育てに自信はあったのか。大きなお腹を抱えて竹槍を突き出し、防空壕に入ったと幾たびも聞かされた。当時35歳を越えて応召された父は、「敗戦」を確信したとも言っていた。肝腎要のことを聞きそびれた。底抜けの楽観主義ゆえとしか思いつかない。編集に携わった淳子さんは、「この本が最後に私に手渡してくれた(祖父の)平和への願いそのもの」だと記す。さて、やがて11歳になる孫娘に、私は何を手渡すか。〝次に来る戦争〟は全くスタイルが異なるーこれしか今のところ思いつかない。(2021-5-27)

 

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