(391)遅れてくるもう一人の巨人ー鹿島茂『渋沢栄一上 算盤編』を読む/6-6

NHK大河ドラマ『晴天を衝け』を毎週楽しみにしている人は多いはず。渋沢栄一と徳川慶喜を並行して描く手法に嵌ってしまった。かつて渋沢栄一の『論語と算盤』を読んだが、その生涯についてはあまり知らずに来た。幕末から明治にかけての歴史探訪にちょうどいい、とばかりに本屋に出かけ、渋沢関連の本を探した。そこで目にして読むことにしたのが鹿島茂『渋沢栄一』算盤編と論語編の上下2冊だ。かねて私がファンを自認する著者のものとあって実に面白く読める。現在は上巻を読み終えただけだが、こんなに惹きつけられる評伝は初めてだ。テレビとの併読をお勧めしたい▲慶喜は明治人として長生きした(76歳で大正2年まで)ことで知られるが、渋沢は昭和6年91歳まで活躍したというからもの凄い。農家出身の渋沢が武士になり、日本一の、いや世界一と言ってもいい実業家になっていったきっかけは、悪代官の横暴な振る舞いへの怒りである。「理不尽を理不尽と叫ぶ精神は明らかに(当時は)ルール違反」で、「時代の拘束に捉われない感性を持った『新人類』」だとの鹿島の渋沢認識は、この評伝の基底部を形成しており、後々幾たびか繰り返される▲渋沢が大を為すに至る大きな機縁はもう一つ。フランスへの旅。13回から27回までの記述は、ある意味で渋沢の青春記であり、これだけを独立して取り上げても十分読み応えがある。ただし、サン・シモン主義者のくだり5回分ほどは正直あまり面白くない。危うく投げ出しそうになった。ここを乗り越えれば、また興味深い読みものの連続だ。パリ万博での薩摩と幕府の鍔迫り合いは、英仏代理戦争の様相で息を呑む。これはまた日本国家の青春記とも言え、甘酸っぱい気分に誘われる▲私は先年神戸で、女性起業家の西山志保里さんのご紹介で渋沢の玄孫・健氏に出会った。爽やかな佇まいのシティボーイ風の士(さむらい)で、時々ネット上に届けられる「シブサワ・レター」に目を据える。福澤諭吉の慶應義塾で学んだ私はその昔、その孫にあたる福澤進太郎教授からフランス語を齧った。文字通り遅れて1万円札に姿を現わすもう一人の巨人・渋沢栄一。その玄孫である人に、極めて新鮮な衝撃を受けている。大河ドラマの進展もさることながら、その彼のひい爺様の算盤編を読み終え、次なる論語編へと期待は高まる。(2021-6-6 一部修正)

 

 

 

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