公衆衛生の仕組みを最初に作った長与専斎ー小島正貴、山本太郎『長崎とコロナウイルス』を読む(上)/6-14

長与専斎と聞いて、どんな人物かわかる人はあまりいないはず。長与とくれば白樺派の作家・長与善郎なら知ってるが、という人は少しはいるかも。専斎がその親父さん(善郎はその5男で末っ子)とは知らなかった。近代日本における公衆衛生の確立に携わった官僚だ。あの「適塾」の福沢諭吉の後任の塾頭であり、かの台湾総督民政長官として活躍した後藤新平を育てた先輩だと言った方が分かりやすいかもしれない。要するにご本人はあまり世に知られていない。だが、コロナ禍の中で注目すべき先達だとして、今大いに宣揚している人がいる。小島和貴桃山学院大学教授である▲コロナ禍と長与専斎と小島和貴ー三題噺のようだ。実は慶應義塾出身の小島さんと私は以前からお付き合いがあった。新進気鋭の行政学者だったこの人、2年前にこの長与専斎の研究で法学博士となられた。その時の論文がついこのほど『長与専斎と内務省の衛生行政』なる著作として刊行された。本の性格上、正直少々読みづらい。まずは手引きにと、小島和貴、山本太郎・講演集『長崎とコロナウイルス』の方が手っ取り早い、と読んでみた。「コロナウイルスと長与専斎の先見」とのタイトルで、明治期に官民連携の仕組みを作り、コレラなど伝染病対応に取り組んだ業績が語られている。いささか出版社の企画先行のきらいなきにしもあらずだが、医学先進県・長崎の心意気とみたい▲専斎は、①岩倉遣外使節団に随行し、西欧の医学教育制度を学んだ②「保健所」や「専門家会議」など今に先駆ける基本的枠組みを作った③「大日本私立衛生会」という官僚と住民代表の仕組みを創設した④コレラの予防のために上下水道を整備したーなどの業績は数多い。しかし、❶代表的な著作がない❷記念碑的業績がない❸地味な人物であったーなどから世にあまり知られていない。福沢諭吉と水魚の交わり的関係を保ち、後藤新平や北里柴三郎らスーパースターを育てたというのに。著者の惜しむ思いがひしひしと伝わってくる▲コロナ禍における日本の対応が諸外国に比して、後塵を拝しているかに見えるのは何故か。長与専斎の作った仕組みの原点に立ち返って、「公衆衛生」の基本に立ち向かうしかなかろう。専斎のなし得た仕事の上に胡座をかいていただけで、〝非常時想定力〟が乏しい私を含む全ての政治家の責任が問われる。それにしても、長崎という地は不思議なところだ。近代日本の魁となる偉人を数多く生み出していながら(「長崎偉人伝」なるシリーズ出版あり)、自然災害に弱く、交通事情が未だにお粗末。「あとがき」で、豪雨災害のため現地入り(2020-7-7)を拒まれた〝講演者の悲劇〟を知った。憧れの地・長崎を指呼の間にしながら近づけなかった、小島さんの切なさが迫ってくる。彼は福岡のホテルでzoom録画をし、メール送付での映像を会場で流すという離れ業を思いつく。非常時の身の処し方として学ぶべきことは多い。(2021-6-14 ※山本太郎教授の講演は次号で)

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