前回に続き、今回は長崎大学の熱帯医学研究所の山本太郎教授の講演を読む。この研究所は日本でも有数の感染症研究で有名で、今回のコロナ禍でも重要な役割を果たしている。今から160年ほど前の江戸時代末期の嘉永から安政年間にかけて、日本で流行したコレラは、この長崎から広まったとされる。中世ヨーロッパでのペストの流行はトルコのイスタンブールから。交通の要衝である両地が疫病蔓延のきっかけとなった。その後のヨーロッパや日本の近代幕開けの舞台になったとの経緯は中々興味深い▲山本さんはこの論考で、コロナウイルスと人類との遭遇を、様々な角度から考えていく。例えば、人類の歴史において、地域固有の疾病ー天然痘、麻疹、水痘、結核などーが戦争や交易などを通じて、あたかも物々交換をするかのように混じり合い、疾病の平均化をもたらしてきた。21世紀の今。新型コロナ禍のケースでは、「共生」を中心にした新たな感染症対策が必要だとされる。「共生」には壮大なコストがかかる。長崎大の片峰茂前学長の、今回のパンデミックの「収束を演出する」ために、人類の知の真価が試される、との「刊行に寄せ」た言葉は意味深長である▲山本さんは「短い期間での収束は難しく」「文明のあり方を変えていくしかない」とし、どう進めるかは皆で考えようと、読者に問いかける。「感染症との共生の在り方も、経済の在り方も、人口の推移に影響される」という。どこかで区切りをつけるための「演出」が求められるのかもしれない。人口は長期で見れば何処も同じ減少傾向にあるだろうが、短期で仮に日中比較をすればパイが違い過ぎる。その分、同次元で論じにくいのである。私見では、中国やロシアという強権的社会主義国家と、日米欧など民主主義国家の価値観の相剋が大きな課題である。これらの国家群が同じ位相でコロナとの共存を考えるというのは想像し難い。ことほど左様に前途多難である▲この講演が行われた長崎は、コレラが発症した当時、交通の要衝であり、日本近代幕開けの機縁となる明治維新の一大拠点だった。だが、今の長崎はもはや交通の要衝とはほど遠く、維新当時とポスト近代の今とでは様々の面で比べるべくもない。この辺りをどう捉えるか。各種研究機関の発信源として気を吐く長崎大学の使命は重大である。コレラからコロナへ、日本の160年とこれからを考えさせてくれる小さいがとても重い本を読んで、充足感に浸っている。(2021-6-20)