[5]地方 の「文芸同人誌」の凄味を味わう/9-30

「忙中本なし」の昨今、政治、経済、文明論などはともかく、文芸本からは遠ざかる一方。そんな折りもおり、学生時代の懐かしい先輩から地方の同人誌が届いた。『中部ぺん』第28号ー創立されて35 年目を迎える「中部ペンクラブ」が年に一回発行する「総合文芸雑誌」だ。そこには、同クラブの文学賞『特別賞』を受賞された中島公男さん(日本ペンクラブ会員)の喜びの言葉と写真が掲載されていた。少し前に発刊された『瞬間よ止まれ!』が受章対象作だった。そのタイトルから窺えるように、この本は、今を生きる生命の営みに、切なる愛おしさを感じさせる秀作だった。受章を記念して書かれた彼の小論は、文豪トルストイの日記から読み取れる「書くことへの悩み」より筆をおこし、アウレリウスの「今の瞬間だけに生きよ!」で締め括られていた。その誠実なお人柄がしのばれた★実は、それより数日前に、私の友人・諸井学氏から、播州姫路の文学同人誌『播火』108号が届いていた。そこには彼の随筆「日本文学のガラパゴス化」と、特別企画 国文学セミナー『「新古今集」以後の和歌文学』の2篇が掲載されていた。この人は知る人ぞ知る電機商にして作家という二足の草鞋を履いている(3年前に姫路の「黒川録朗賞」を受賞)。そのうえ、日本文学にもヨーロッパのモダニズム文学にも滅法造詣が深い。いわば2足の草鞋を履いた和と洋双方の〝料理の達人〟といえようか。その彼の特技が見事に披露された2篇を読み、心の底から唸った★特別企画の和歌文学セミナーについては、彼の代表作『神南備山のほととぎすー私の新古今和歌集』で使われていた手法の第二弾。初めて読んだ時はものの見事に騙された。架空のセミナーを誌上で展開、さもどこかでやった講演を再録したものと思い込んだ。それが実は全部机上のもので、しかもそれ以外に挿入された掌編も悉く意匠の限りを尽くした内容。読み終えて『新古今和歌集』の全貌が仄みえてくるという企みに絶賛するほかなかった。今回は〝柳の下〟だと分かってはいたものの、結局は彼の術中に嵌まってしまった。「新古今和歌集」が出来上がって後の「勅撰和歌集」講義から、「和歌文学の終焉」をもたらした正岡子規の、〝寝たままの振る舞い〟に及ぶまでの二回分40頁。食べ応え十分の「和食」だった★また、もう一つの「随筆」がまた味わい深い。ここでは、いかに日本文学の今が、世界標準から見て特殊な位置にあるかを明らかにしている。カフカの『変身』の、かの有名な「目ざめてみると、自分が巨大な虫になっていることに気づいた」とのくだりを読んで、某同人誌主宰者が「ある立場が書かせた稀に見る奇書」と捉えていることを一例にあげ、諸井さんの筆は切り込む。「20世紀以降世界の小説家は物語を離れて小説の構造を重視するように」なっているのに、日本の文学は基本的には「あらすじや登場人物のキャラクターに頼った解釈」に終始していることの落差を指摘するのだ。実は私自身、彼我の差の実感が乏しかった。諸井さんとの出会いからサミュエル・ベケットの『モロイ』の存在を知って読んだのだが、全く理解不能だった(この辺りについては既に公表済み)から。諸井さんは、最後に今のような状態が続けば、「世界に通用する小説家が生まれません」し、「ノーベル文学賞など望むべくもないのです」と結んでいる。さて、この「洋食」料理は私には、味が濃いすぎて、いささか後味が悪いように思われる。(2021-9-30)

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