エネルギーの未来をめぐる常識的で平凡な結論(83)

近頃これほど痛快な思いを持って読み進められた本は少ない。石井彰『木炭・石炭・シェールガス』である。「文明史が語るエネルギーの未来」との副題がついている新書だ。著者は読み始めのところで、世の通説(再生可能エネルギーが将来は原発に代わり得るという考え)に惑わされている人々の哀れさを露骨なまでに明らかにし、後半読み収めのあたりでは、多くの人が信じて疑わない世の通説(CO2の排出が地球温暖化の主因との考え)の間違いが明らかになるかもしれないことを予見してみせる。その両方について私は、自身のかつての国会での発言が関係しており、大いに興味をそそられた。しかも、前者では私は多数側に属し、後者では少数派にあることがなおさら興味深い。ことがエネルギーに関するものだけにどなたも関心を持たざるを得ないはず。皆で論争する契機にすると面白いのではないか▼まず、最初の通説は、煎じ詰めれば、「再生可能エネルギー優位」論だ。「3・11東日本大震災・原発事故」によって、”さよなら原発・こんにちは新エネルギー”のような論調があらゆる場面で取りざたされているのはブラックユーモアだと石井さんはいう。森林という新しくない再生可能エネルギーの過度な利用が大規模な環境破壊をもたらしたことを欧州の歴史や日本の過去に遡って明らかにしている。確かに産業革命の名のもとイギリスやドイツ、フランスでは森林が荒れ果てた。日本でも江戸時代の最終盤・幕末には国土の四分の一近くが完全な裸地になっていた。手つかずは奥山で里山は丸裸だったのだ▼だから、環境破壊をせいぜいもたらさないために安全に十分気をつけることを前提に原発に手を染めたのではなかったのか、と。それをあたかも新しい発見であるかのように再生可能エネルギーを取り扱うのはお笑いだという指摘は確かに笑えそうで笑えない。野田民主党政権末期に衆議院予算委員会で「新エネルギー開発に取り組め」と”大論陣”を張った私としてはいささか反省するところ無きにしもあらずだ。あの時に私は太陽光発電を進めることが事態の抜本的転換になるかのごとくに発言した。化石燃料に比べてエネルギー効率が非常に低く、生態系に悪い影響を与えることを改めて指摘されると、当時ある程度分かっていながら触れずに隠していたことが、覆っていたベールを引きはがすかのように白日の下にさらされたような気がする▼もう一つの通説は、CO2が温暖化の元凶だというもの。実はこれに対する異論はかねてよりあった。とくに、チェルノブイリやスリーマイル事故で劣勢に立たされた原発業界が、巻き返しのために気象学者が唱えだしたCO2 排出による地球温暖化という議論に飛びついたというものが大きい。もちろん、こうした”政治的陰謀説”ではなく、果たして地球は温暖化しているのかという根本的な疑問も提起された。実は私は衆議院環境委員会での質問の際に、一部気象学者の間では、むしろ寒冷化しているとの説もあることをとりあげ、一方に偏らない議論の必要性を喚起したものだ▼石井さんは、スペンスマルクというデンマークの宇宙物理学者が「太陽の磁気活動周期=太陽系外からの宇宙線量変動が低層の雲量に影響し、それが地球気候の変動を生じさせる」との説を唱えていることを紹介し、「極めて説得力に富む新学説である」と持ち上げている。これには大いに我が意を得たりとの気がする。かつて党内の環境部会でこれに近い議論を持ち出しても、多数派に与する人たちから一笑に付された。もう一度議論を蒸し返してみたい思いもしないではない。しかし、著者はこうした議論を持ちだすことによってやみくもに通説を否定しているのではない。むしろ、過去の歴史を見据えたうえで、極端に走ることをいさめているのだ。要するに、「より効率的で生態系負荷の低い再生可能エネルギーの研究開発」を進める一方、「より安全で廃棄物の少ない原子力技術の研究開発も鋭意続け」ることが懸命だと言っているのだ。極めてこれは常識的だろう。また、温暖化の原因をめぐる論争をめぐっても「不確定要素が非常に大きい」として軍配をどちらかにあげることには慎重である。ここでも常識を発揮しており、結論はいたって平凡なのだ。平凡ではいけないのですか、との著者の声が聞こえてきそうだ。凡人は常に非凡を求めるものかも知れない。(2015・2・26)

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