【16】めくるめく池田思想の展開序曲ー創学研究所編『創学研究1ー信仰学とは何か』を読む(下)/1-10

 「仏教では、イエスの復活のような非現実的なことは説かない。こういう人もいるでしょう。しかし、そんなことはありません」ーこの本では随所で〝面白い発言〟が発見できるが、最も私が感じ入ったのは、この松岡氏の見解(第二部「信仰と学問の間でーそれぞれの人生体験から」)である。以下、こう続く。「仏教教典を読むと、非現実的な出来事は随所で説かれています。原始仏典に出てくるブッダと神々や悪魔との対話、法華経に説かれる虚空会の儀式などは、およそ非現実的な出来事というしかありません。その点ではイエスの復活と変わりないのです」。いやはや、よくぞ言ってくれた、と多くの人は思うに違いない。この当たり前のことが長く私たちの周りから聞かれることはなかった◆「キリスト者は二重人格」ー私が創価学会に入った50年余り前には、こう無批判に切って捨てることで、よしとしてきた。それが、「我々仏教者も、佐藤さんが言うように宗教的事実と歴史的事実を立て分けて理解する必要があります」との見解が素直に身の内に入るようになり、キリスト者ともまともに対峙できるようになったのである。これこそ、ここ数年の佐藤優、松岡幹夫両氏の功績に依るところが大きい思われる。尤も、これまでの他宗教批判は、日蓮大聖人の「四箇格言」を勝手に拡大化したものともいえ、取り扱いには注意を要する。日本における仏教理解は、伝来してより1500年足らず経っても、未だ充分になされているとは言い難いのである◆創価学会的世界に安住してきた私のような人間にとって、この本における黒住真、未木文美士、市川裕氏ら宗教学、哲学者の皆さんの指摘は極めて新鮮に聞こえる。例えば未木氏の「(現在の創価学会が)『池田教』のようになってきたのではないか」と、従来は伝統仏教の側面を有していたのに、現状では「純粋な新宗教になって」いる、との危惧を述べているくだりをあげよう。松岡氏はこれに対して、御本尊も、勤行の形式も、御書の解釈も基本的に変わっていないとしたうえで、「要するに物の見方が変わったのです」として、「池田先生の仏教解釈が一切の基準になっています」と明言している。池田思想の本格的展開を待望してきた者にとって、これ以外にも実に興味深いやりとりがなされていて、刺激的だ◆一方、一創価学会員として注目されるのは、第三章における「御書根本」と「信仰体験」に関する記述である。蔦木栄一氏は「池田先生の著作に見る『御書根本』について」の中で、「ただ御書を読むだけでは不十分であり、師弟の精神がなければ御書を身で読むことができない」として、『人間革命』『新・人間革命』から御書についての記述を丹念に拾い上げており、参考になる。私のような些かへそ曲がり的信仰者は、ややもすると、大聖人の御書の核心部分が眩しく見え、「身で読む」ことをためらいがちになる。大聖人の壮大な大確信から発せられる言葉を、時に〝独特の誇張表現〟と見てしまうこともある。この辺り、松岡氏の「学会精神の日蓮大聖人」との表現に見られるように、「超越性と現実性」を併せ見ることが必須なのだろう。最後に、山岡政紀氏の「『新・人間革命』に描かれる地涌の菩薩たち」には唸った。今私がブログに連載する「小説『新・人間革命』から考える」では、気にはなりながら、信仰体験部分をカットしてきたからだ。ともあれ、この本は今に生きる創価学会員にとって必読書だと心底から思う。(2022-1-10)

 

 

 

 

 

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