一つのものを表と裏から見ると、こうも見方とらえ方が違うのかということはママある。しかし、既にその位置づけが世の中に定着してしまっている歴史上の大きな出来事について、180度も違う見方というのはそうざらには存在しない。近代日本が形成される契機となった「明治維新」は、これまで日本の歴史を学ぶ上で肯定的にとらえられてきた。ところが、その逆の見方の決定版とでもいうべきものに出くわした。「明治維新」を徹底的にこきおろした本である。その名もずばり『明治維新という過ち』。著者は原田伊織という作家だ。副題には「日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト」とある。二年前に出された本だが、今年になって「改訂増補版」として装い新たに登場した。NHK大河ドラマ『花燃ゆ』の放映を十分に意識した再出版であることは間違いない。原田さんにとって薩長史観を基に作り上げられた明治以後の歴史はおおむねウソで固められており、それを世の中に広める行為は許せない悪行と目に映るのである▼この本の骨格は二つと私は見る。一つは吉田松陰というウソと司馬遼太郎氏による歴史観の罪である。最大のウソは、松下村塾というのは松陰が主宰した私塾であるというが、それは事実と違い、陽明学者である玉木文之進の私塾だ、という点にあろう。松下村塾は師が講義し、弟子が教育を受ける場ではなく、むしろ談論風発の議論がなされ「尊王攘夷」論で盛り上がった中での松陰が兄貴分であり、リーダー格だった、という。それは今や常識的だ。しかし、強い信念のもとに倒幕に立ち上がった松陰が、狂気のテロリストであって、決して立派な「師」ではないというところまでは、誰しもあまり認めたがらない。そのうえ、「長州閥の元凶にして、日本軍閥の祖、山県有朋」が、その後の日本軍国主義の神の座に松陰を祀り上げていっただけ、と決めつけられては鼻白む向きも多いだろう▼ところで、司馬さんは現代日本の国民的作家として評判が高い。その彼が日露戦争から後の大東亜戦争までの40年間を日本史における「連続性を持たない時代」だと捉えたことはよく知られている。「モノ」「異胎」「魔法の森」と呼ぶ。つまり”わけのわからん40年”というわけだ。そのことを原田さんは罪深いと指弾し、これらこそ「いわゆる明治維新の産物」だと断定する。「(魔法の森が明治維新の産物だと理解するために)長い時間軸を引いて、それに沿って善いことも悪いことも全部並べてみて、白日にさらせと主張している」のは、なかなか意味深く、やってみる価値はあると思う▼実は「明治維新」を否定的に捉えるひとは今まで少ないながらもいる。私の親しいひとの中では、環境考古学者の安田喜憲(東北大名誉教授)さんだ。この人は維新以降、基本的には日本文明が西洋文明に駆逐され続けてきたとして、以後の歴史を厳しいまなざし(特に環境保護の面で)で見ている。また、薩長史観に異論を唱え続ける存在としては作家の半藤一利さんがいる。このひとも明治維新を能天気に推奨したりはしていない。だが、そういはいっても大筋は近代化の大きな機縁を作ったのは「明治維新」に違いなく、あの時に「徳川幕府が曲がりなりにも続いていたら」などと考える人はそうはいないだろう。ところが、原田さんは明らかにもっといい社会ができていたはずと推測してやまない▼この本のもう一つの骨格は、会津にみる士道の潔さに対する思いいれの強さだ。薩長、とりわけ長州武士の悪逆非道ぶりをこの本ほど克明に描いたものを私は寡聞にして知らない。そして会津や二本松における少年たちの見事な生き方について、かくほどまでに感情を乗せ、迸る情熱で描きあげたものも読んだことはなかった。涙を誘うという表現は生ぬるい。涙なくして読めないなどという描き方も歯がゆい。ひたすらに胸を打ち心揺さぶられるばかりだ。昨今、子どもたちに、偉人伝や英雄譚を勧め、読ませることが少なくなった。子どもたちの間でこういう物語が読まれるようになったら、さぞいいのではないか、と思った。この本を読んでいらい、会う人ごとに面白いよと勧めている。先日上京した際、政治家の先輩や後輩、さらには官僚たちとの会話のおりに話題にした。それは反薩長史観を見直すべきだとか、明治維新が過ちであったかどうかということを議論しようというのではない。勝てば官軍の名のもとに強者の歴史の陰で、消えていった弱者のあつい心ざしに、深いまなざしを向けようということを言いたいのである。(2015・4・28)