◆新自由主義台頭への批判の眼差し
佐藤優氏の超多面的な仕事の中でも、極め付きとでも言うべきものが国家神道的なものへの関心である。かねて彼が北畠親房の『神皇正統記』を中心にいわゆる右翼イデオローグたちとの議論を重ねていることは知っていた。しかし、戦前に文部省の手になり(昭和12年)、占領下の日本で米軍によって禁書になった『国体の本義』についてはほとんど知らなかった。改めて日本という国の成り立ちとしての「国体」というものを考えるにつけ、始めには当方に偏見めいたものがあったが、読み終えて収穫が大きかったことに満足した。
「国体」とは国家を成り立たせる根本原理をいい、ある意味で「目に見えない憲法」ともいえる。日本のみに特殊なものではなく、どの国にもあるはず。ただ、日本は先の大戦に突入する流れの中で、国家神道が単なる宗教を超え国民の精神を支配する中枢の役割を果たし、それを裏付けた「軍国主義」が国民を塗炭の苦しみに陥れたとの認識が一般である。しかも終戦処理にあたっての最大の関心事が「国体維持」という呼称のもとに天皇の去就が注目を集めたことも重なって、「国体」とくると誰しも反射神経的に身構えてしまいがちだ。
しかし、佐藤氏がこの書を読み解く必要性を痛感し、行動に移したのは現今の日本の国のありように大いなる危惧を抱いたことが発端であろう。より根本的にはこの二十数年の「新自由主義」の台頭への批判の眼差しがある。そしてヘイトスピーチや排外主義といったこのところの保守思想に潜む病理への危機意識が引き金となっている。こうした現状を解くカギが「国体の本義」にあると言うのだ。「正統派保守思想」を以てして〝誤れる保守的考え方〟を破すと言いたいところなのだろうが、一般には「毒を持って毒を制す」との見方も否定できない。
◆外来思想を土着化する必要性
『国体の本義』の中で、天皇は「高天原の神々と直結して」おり、「重要なことは知(智)、徳、力という世俗的基準で皇統を評価してはならない」し、「そのような人知を超越する存在なのである」とされる。天皇の軍隊が犯した数々の誤れる行為を今の時点でどうとらえるのか。辛うじて最終章にわずかに触れられていただけであったのは私には少々物足りない。読み解く対象としての「国体の本義」に、「軍事に関する記述は短い」のなら、佐藤氏にそこは補ってほしかった。「高天原に対応する大日本がその領域である。従って、日本の軍隊は世界制覇の野望などそもそももっていない」といわれても、そもそもいつのことをさしているのか分からず、基本的な疑問を禁じ得ないのだ。
ただ、昭和12年の段階で日本が直面していた思想史的課題と現代のそれが極めて似ているという観点に立つと、俄かにこの本における佐藤氏の読み解き方が注目される。日本文明の特徴は、外来の思想を取り入れて、これを換骨奪胎し、日本風のものに変えてきたことにあろう。古くは仏教や儒教もインド、中国から外来のものとして入ってきたが、同化され日本独自のものに改められてきた。明治維新以降の近代化にあっても日本は西洋列強による植民地化の脅威を避けつつ一意専心、西洋思想を取り入れ同化してきた。しかし、その結果は、どうだったか。『国体の本義』の書き手は、個人主義や自由主義、合理主義が氾濫しただけではないかと厳しく自省しているのだ。その時点から90年近くが経った今もなお基本的状況に変化はない。いやそれどころか、敗戦から占領期を経て、平和憲法の展開でむしろ事態は悪化しているとの見方も成り立つ。
佐藤氏は、「1930年代にわれわれの先輩が思想的に断罪した『古い思想』(すなわち、個人主義、自由主義、合理主義)が二十一世紀の日本で新自由主義という形態で反復したに過ぎない」と手厳しい。だから、日本人と日本国家が生き残るために、思想的に日本をどう捉えるかが焦眉の課題であるとし、「日本の国体に基づいて、外来思想を土着化する必要がある」と強調する。
そこで、「日本の国体」とは何かの基本に戻るのだが、それが国家神道的なるものに回帰することでいいのかどうについてはやはり疑問が残る。建国神話などを今に活かすことは、一つの大いなる遺産ではあるが、それだけではなかろうというのが私なんかの結論だ。佐藤氏自身も言ってるように「歴史も世界も複数存在する」のだから、今とこれからに生きる日本人の共有財産にするには、大いなる論争が必要になってくる。
【他生のご縁 『創価学会と平和主義』で発言引用】
佐藤優氏は私のことを『創価学会と平和主義』(朝日新書)を始め、『世界宗教の条件とは何か』(潮出版社)のサイト版など複数の媒体で触れています。いずれも鈴木宗男氏や彼との関係についての衆議院予算委員会証人喚問での私の発言に関するものです。
「過ちを改めるに憚ることなかれ」を私が実践したことを過大に評価された分けで、おもはゆい限りです。世界宗教としての創価学会SGIが広宣流布の展開に本格的な取り組みを強める上で、この人の「キリスト教指南」が一段と重要性を増すに違いないと思われます。