結党当時からの公明党を知っているものにとって、在日米軍基地というとすぐに思い出すことがある。「総点検」である。米国の占領、朝鮮戦争の勃発、自衛隊の発足、日米安保条約の発効から改定と進んだ、戦後20数年の歴史は、思い返すと即米軍との〝内なる戦いの連続〟であった。戦火を交えた国との関係は直ちに収まり変わるものではない。日米軍事協力の基礎である基地の実態を調査点検し、不必要なものは返還してもらおう──これが初期の公明党の発想だった▼1965年(昭和40年)に大学入学と同時に公明党員になった私は、〝調査なくして発言なし〟というこの党の姿勢に痺れる思いで共鳴した。あの頃から60年足らず。米軍基地の現状は残念ながら殆ど変化しているようには見えない。米軍人の犯罪を日本の司法が裁けない。航空機そのものの墜落や落下物も後を絶たない。騒音被害や環境汚染も止められない。これらすべて「日米地位協定」が邪魔をする。私は1993年(平成5年)の初当選いらい、20年間というもの、ほぼ全期間を外交・安保分野で仕事をしてきた。その間、この「協定」の壁に遮られ、幾度となく溜息をついてきた▼要するに日本、公明党、そして我が身の力不足を実感してきたのである。この本のサブタイトルは、「『基地のある街』の現実」。これは、かつて公明党の先輩たちがやった調査をもっと細かくさらに徹底して調べ上げたものだ。著者はふたり。大学准教授と新聞記者。特に前者には沖縄研究奨励賞、石橋湛山賞を受賞した『日米地位協定』なる著作があり、既にこの欄で取り扱っている▼この本を実際に手にするまで、山本さんが沖縄の基地を徹底して歩き書いたものと誤解していた。現実には全国北は三沢から、南は嘉手納基地まで7箇所(首都圏は一括り)が対象になっていて、沖縄はそのうちの一つだけ。その点は失望したが、それは私の勝手な思い込み。改めて、日本全国が米軍のもとで金縛りにあっていることがよくわかった。日本は未だに米軍の支配下にあるのだ。要するに、〝未だ独立ならず〟ということが分かった。「戦場で失ったものは、(話し合いの)テーブルでは取り返せない」という格言が胸に響く。(2022-8-21 一部修正)