◆独裁者にドイツ国民はなぜ熱狂したのか
2022年2月末のロシアのウクライナ侵攻に始まった戦争は今なお激しい攻防が続く。この間、プーチン・ロシア大統領をナチス・ドイツの独裁者ヒトラーになぞらえる向きもあり、西側国家群では憎悪する声が強い。この比較の当否は別にして、両者の非人間性は似ていなくもない。改めてヒトラー及びその政権のしでかしたことを追ってみたくなり、ドイツ文学者・池内紀氏の『ヒトラーの時代』を読んだ。
この人は私と出身地(姫路市)を同じくすることもあり、これまでその著作をあれこれ読んできた。この本も期待に違わず、何故にドイツ国民がこのような独裁者の出現を許したのかがよく分かり、読み応えがある。池内氏はあとがきで、「ドイツ文学者」を名のるかぎり、ヒトラーの時代を考え、自分なりの答えを出すことは、「自分が選んだ生き方の必然のなりゆき」だと思ってきたと書いている。著者の気合いを知って読む方も張り合いを感じた。歴史エッセイとして読みやすく、写真がふんだんに使われており、時代の空気が汲み取れる力作だ。
副題に「ドイツ国民はなぜ独裁者に熱狂したのか」とある。池内さんの答えを読み解くと、二つある。第一次世界大戦後の記録的な超インフレとその後のデフレの中で猛烈な失業者増というドイツの悲惨極まる時代背景が一つ。もう一つは、40にも及ぶ政党が離合集散を繰り返し、やっと成立した内閣も半年も持たず、何も決められなかった政治背景がある。そこに現れたヒトラーが、国民大衆の望みを叶えてくれる「天才だった」からということになろうか。
後世に生きる我々からすると、およそ信じられないことかもしれないが、ヒトラーの時代の最初の頃は、経済が安定して、暮らしが豊かになった「平穏の時代」だったのである。ヒトラー評伝の著者ジョン・トーランドが「もしこの独裁者が政権4年目ごろに死んでいたら、ドイツ史上、もっとも偉大な人物の一人として後世に残ったであろう」と称賛していることには驚かざるをえない。もちろん、この本ではナチスの残虐無比の悪行の数々も挙げている、だが、「ナチス体制は多少窮屈ではあるが、口出しさえしなければ、平穏に暮らせる。ユダヤ苛めは目に余るが、我関せずを決め込めば済むこと」だったのだから。
◆興味深い「写真」を追う
私が興味深く追ったのは挿入された幾葉かの「写真」である。「消された過去」から「顔の行方」まで22もの角度から、独裁者ヒトラー及びナチスの〝かたち〟がデッサンされているなかで、最初と最後のものがヒトラーの顔の秘密を追っている。「ふつうであってかつふつうでないヒトラーの顔を後世の私たちは知らない」と、意味慎重な書き方がなされている。じっと見ると、確かにそれぞれ微妙に違う。顔と同様に「ナチズムについては、いまに至るまで解明がつかない」との「むすびに代えて」の表現が言い得て妙である。
そのほか、随所に「こまかくながめると気がつくことがある」との記述通り、人々のギョッとした顔の表情や、金属製マイク群とシュロの小枝に囲まれたヒトラーの演台に、目が自ずと向いてしまう。更に、みんながハイルヒトラーと、手をかざしている時に、右上に一人憮然とした顔で腕組みしている人物がいるといった風に指摘される。謎めいた書き振りは、読者をして懸命に追わせる迫力に満ちているのだ。
池内さんは、この時代にナチスに反抗した人々を追うことも忘れない。「別かれ道」と題して、ドイツ人女優のマレーネ・ディートリヒ(嘆きの天使)がナチスの執拗な誘いを拒否しブロードウェイで人気者であり続けたことや、ドイツで活躍した写真家の名取洋之介が密かに後世へのメッセージを撮り続けたこと(死後40年後に公開)などを紹介しており、胸打たずにおかない。
最後の「小市民について」で、ナチスの側に立った反ユダヤ主義的根性が誰の心の中にも存在していることを挙げている。あなたの中にも、この私の中にもいるとしたうえで、「これは永遠の小市民であり、とりわけ自分を偽るのがうまいのだ。過去を話すとき、巧みに事実をすり替える」と。ウクライナ戦争に思いを馳せると、背後に横たわるドイツ(NATO)とロシア(ソ連)の、世紀を跨いだ抗争に胸が痛む。我が体内の「小市民」は、この歴史的事実を間違って捉えていないだろうか。
【他生のご縁 息子さん(池内恵)の本を話題に】
池内紀さんと最初にして最後に会ったのは、私の現役最後の頃です。姫路市内の講演会場に来られた際に、舞台裏の控室にひとり押しかけました。池内さんもポツンとおひとりでした。私が姫路・城西地域の生まれであることや、かつて感激のうちに観た池内さんと銅板画家の山本容子さんとのイタリアの街道をめぐるテレビ放映のことを語りました。が、「ほう」と仰るだけ。
共通の知人のことなど何を持ち出しても反応なく、とりつく島なし。仕方なく、イスラム研究者で息子さんの池内恵さんの本について語りました。すると、「彼は頑張ってますか、ねぇ」と反応がありました。短い出会いでしたが、今なおこの記憶は鮮明に残っています。