【68】4-④ デザインが世界を変えた━━中西元男『コーポレート・アイデンティティ戦略』

◆日本におけるCI戦略の先駆け

 デザインによって企業経営が根本的に変わり得ることを、25の実例で示した本である。読み終えて深い充足感に浸っている。コーポレート・アイデンティティ、略して『CI』の何たるかを、漠然としか長く知らずにきた我が身を恥じると共に、一本の補助線のおかげで幾何の問題が解けたようにストンと腑に落ちた。

 著者の中西元男さんは、Progressive Artist Open System (PAOS)の代表として、50年余も活躍してきた。日本におけるCI戦略コンサルタントの第一人者である。実は我が母校・長田高校の誇るべき先輩でもあり、知己を得てから四分の一世紀ほどが経つ。PAOSは「デザインでここまで出来るのだというケーススタディを個別企業のコンサルティングにおいて数多く築きあげてきた」が、これはその「網羅的概括的紹介版」である。そこには、企業経営というものが、知的かつ美的に展開することがどんなに大事かということが事細かに分かりやすく描かれている。コンサルティングにあたっての戦略の形成過程が文章や図式などで惜しみなく披露されている。完成を見たロゴやその展開ぶりを前にして、誰しも納得するほかない。

 CIの具体的表れとしてのロゴマークやロゴデザインで、経営戦略を表示出来得る。もっと言えば、商売そのものがうまく運ぶとは信じられないという向きは少なくなかろう。結果としてのロゴを皆甘く見ていて、それが生み出されていく過程と一体でセットになっていることに思いが及ばない。かくいう私も大事だとは分かっていても、それとこれとは煎じ詰めれば別だと見ていた。

 それを①企業経営を変える②製品のブランド力を高める③企業フィロソフィを形にする④大企業の体質を変える⑤ビジュアルで価値向上をはかる⑥中小企業を活性化する──など全部で6つの角度から、成功例を解き明かしている。ベネッセコーポレーション、ケンウッド、INAX、NTTドコモ、松屋、東レ、NTTなどといったおなじみの企業が次々と登場する。まるで、病院の待合室で偶然、知人友人に会ったときのように、私には新鮮な驚きだった。そういえば、この本、患者のカルテとも読めるから面白い。

◆数多い成功例とともに失敗例も

 ここで今私が挙げた企業7つは、いずれもPAOSが挑戦した仕事の中でも、とりわけ成功例だったと思われる。というのも、同社が「経営にイノベーションを起こすPAOSの歩みは、世界でも稀な戦略的デザインの成果の歴史」とのタイトルのもとに発行した、色鮮やかなペーパーには、冒頭にこの7社が取り上げられている──*地方の中小企業に飛躍的な発展の道を拓いた〈ベネッセ〉*経営不振企業を見事に蘇らせた〈KENWOOD〉*新事業開発で確固たる将来基盤を築いた〈INAX〉*歴史に残る名ブランドを生み出した〈NTT  DoCoMo〉*百貨店業界の通念を覆し目を見張る企業再生〈松屋銀座〉*企業内価値体系の変革で先進先端企業へ蘇業〈TORAY〉*115年の官営通信業にサービス業化への道を開いた〈NTT〉──といった具合に。企業名が違っているのは、CI戦略の使用前と使用後の相違による。これらの企業を筆頭に、成功例は殆どと言っていいほど、経営トップ周辺と中西さんとの呼吸が最初からピタッとあっていたというのは興味深い。この辺り経営もCIもいかにも人間的だと思われる。

 尤も、そうとばかり言えないケースも幾つか出てくる。そのうち偶々私と関係の深い業界である「毎日新聞」については考えさせられる。新聞メディアはこの当時(本は2010年発刊)以上に、もっと存在危機に直面している。その原因は、ネットの普及もさることながら、「新聞社が経営体としては極めて古い体質である」ことだという点だ。『毎日』は、世界初の戸別配達を始めた日本最古の新聞社だが、随分前から退潮傾向にあり、私の友人(同大阪本社元最高幹部)は、「もはや『毎日』は不動産業で、新聞社ではない」と自嘲げに言う。その都度、「いや『毎日』こそ最後の『ぶんや』と言える記者魂を持った侍が多く、読ませる記事が多いよ」と、私は肩を持って励ましてきた。

 なぜこの新聞社が低迷を続けてきたかについて中西さんは具体的に触れた上で、それを打開する手立てを提案した。だが、『毎日』は受け入れなかった。「せっかく必要な種蒔きはしてきたのに」と、中西さんの悔しさが伝わってくる。この10数年の間、日本には構造不況業種が続々と増えている。既成の企業全体の地盤沈下が厳しい状況下で、CIはどう力を発揮しているのか。私はこの本を読んで、急に気になり出した。戦後日本の右肩上がりの時代の水先案内人の真骨頂がいま問われているのでは、と。

【他生の縁 高校の先輩で、親友の妻の仕事仲間】

長田高校の大先輩である中西さんは「東京神撫会」の支部長をされていたのですが、私とのご縁はそれだけでは留まりません。私の親友の嫁さんが、かつて中西さんと同じ職場にいたというから驚きました。初めての出版パーティーにも世話人に名を連ねていただきました。

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