【69】「縁」が支えるコミュニティ──岩見良太郎『場のまちづくりの理論』を読む/1-17

 

 東京一極集中を防ぐことを目的に、地方移住を希望するものに対して、国が支援金を補助する試みがある。だが、なかなかうまくはいっていない。人為的に住む場所を誘引されても、そう簡単にことは運ばない。仮に色んな条件が適合したとしても、その「場所」で、自分が好ましい「場」が得られるかは、別問題だ。高齢になってひとり暮らしを余儀なくされても、住み慣れた「場所」を離れがたいのは、楽しい仲間たちとの「場」があるからに違いない。一方、地方では商店街に「シャッター通り」が随所に目立ち、少し人里離れたところでは「限界集落」化現象も珍しくない。陸の孤島といっても決して言い過ぎでない「場所」に、孤独を強いられる〝場なし〟の老人も多いのだ。この状況をどうするか──そんなことを考えている時に、我が友人にその道の専門家がいることを思い出した。灯台下暗しとはこのこと。高校同期で、現在、埼玉大名誉教授の岩見良太郎さん。都市計画と地域社会の関わりを研究してきた専門家である。早速彼の本を読むことにした◆実は、学生時代に、彼が「住民運動」に関わっていると、風の噂で聞いていた。その中身が、区画整理、再開発であることを初めて明確に知った。住民主体の、人々が住みやすい本当のまちとは何かとの問題意識を持ち続けて学問的アプローチをしてきたのだ。『場のまちづくりの理論』は、専門書で少々とっつき難い。このため、読みやすそうな『「場所」と「場」のまちづくり イギリス編・日本編』を先に読み、専門書は後回しにした。この二段構えは成功した。先に読んだ方は、いわば実践書。彼が若き日に1年余り家族と共に滞在した英国と日本の、〝まちづくり探訪〟比較の書である。彼の学問的思索の結実の書と、それに至るヒントを掴み得た本を同時に読み、これまで政治家の端くれとして、「住みやすいまちづくりを目指して」という言葉をいかに軽く、いい加減に使ってきたかを思い知った。以下2冊の読書録を合わせ書く◆「現代都市計画批判」とサブタイトルにあるように、この本のコアは、日本の都市計画がいかに住民本位でなく、不動産業中心であるかを具体例を挙げつつ実証しているところにある。同時に、英国編でも日本編でも、住民の反対運動がまちづくりの過程で登場する。かつて私が若き日に歩き回った中野区上鷺宮や、国会議員時代に幾たびか訪れた二子玉川など懐かしい事例には目が釘付けになった。英国編でユニークな公開審問会を傍聴したくだりにも惹きつけられた。公開審問官制度とは、都市計画が実行に移される場合に、関係住民が参加して徹底的に議論する仕組み。審問官というのは中立的な立場で判断を下す公人をさす。岩見さんはたっぷり時間をかけて議論する英国人に感心する一方、諸手を上げて賛同することは出来ないと冷静な分析も加えていて興味深い。討論が苦手な日本人をめぐるエピソードには目が痛いが、同時に民営化は英国社会になじまないなどの視点も盛り込まれ、日英文化比較論も楽しめる◆著者はこれまでの「都市計画」を批判した上で、代案としての「場のまちづくり」をこの2冊で提示した。従来とは全く異なる「都市計画を暮らしの中に埋め直し、くらしの活動そのものとして、まちづくりをとらえるという発想」によるものだという。この表現では具体的なイメージは湧いてきづらいが、最終章の「参加の場所づくり」における「縁」というキーワードを使った、公園や福祉と防災のまちづくりや、特別養護老人ホームの柔らかな場所づくりなどの事例がわかりやすい。さらに、日本編における足立区の防災果樹園や京都西新道商店街のまちづくりのケースなどを読むと、一段とはっきりする。この本を読み私の問題意識と連動して、二つ気にかかることがある。一つは、「阪神淡路」や「東日本」などの大震災後のまちづくりに、住民の意思が殆ど反映されていないという点。元衆院国土交通委員長として、内心忸怩たる思いがある。もう一つは、『人新世の「資本論」』で著者の斎藤康平氏が世界のまちづくりの好例として挙げているスペインのバルセロナなどでのコミュニティづくり。岩見さんのまちづくりの理論と、これは明確に繋がっていよう。神戸での高校同期の友の本を読み、失われた歳月と若き日の希望を取り戻し、世界の明日を語りたい思いでいっぱいになっている。(2023-1-17)

 

 

 

 

 

 

 

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