3人目は岡倉天心。軍事の松陰、お金の諭吉に続いて、文明論の天心と、著者は位置付ける。天心は、英語エリート官僚として米国の美術史家アーネスト・フェノロサの影響の下、日本、中国、インドの一体化を考えた。東西融和の道を探し求めて、宗教、美術、茶道などを通じて相互理解を進めようとしたのである。「文明開化に成功した日本を模範にしてアジアは一つにまとまるべし」との理想をもとに、仏教における人間観、美意識などを根底においた。これはキリスト教を基盤にした西洋が、人間と絶対神を対立した関係ととらえるが故に、自然破壊をもたらす元凶となってきた歴史的事実からすれば、21世紀の今日を見事に予見した先駆性を持つ思想だったといえよう◆ついで北一輝。「極端な国家主義者」、「近代的な社会主義者」、「政治ゴロ的な貌」などの側面を持つ北について、著者は「進化論」がポイントだと見る。ダーウインの唱えた進化論は生物学の分野だけでなく、人間の歴史、社会、国家のあり方をも説明できる思想として、明治期の日本を席巻した。これを背景に北は、天皇を親とし、国民を子とする、民族が一体となった「純正社会主義」国家を、「進化」のゴールとして目指す。勿論、この「純正社会主義」国家とはいわゆるマルクスやエンゲルスの考えたそれと違って、共同性、社会性を高めた私利私欲を持たない〝無私の精神の極み〟としての国家像だ。しかし、北の『日本改造法案大綱』を〝日本革命〟の実践の書とした陸軍の青年将校たちが立ち上がった「2-26事件」により、全ては「未完」に終わる◆三番めは、美濃部達吉の「天皇機関説」。天皇は憲法によって縛られる存在であるという考え方である。いや縛られない、むしろ超越した存在だとする「天皇主権説」と対立した。天皇の選んだ官僚の方が、国民の選んだ議会よりも偉いとすることに帰着する天皇主権説は、「軍部優先」の温床にならざるを得ない。天皇機関説は当時としては先駆的な発想であった。大正デモクラシーを背景に輝きを持った天皇機関説だったが、軍部の台頭と共に退潮を余儀なくされていく◆以下に3人の思想への私の思いを付け加えたい。岡倉の思想は、今こそ光が当てられるべき先駆性を持ったものだが、理想倒れというべきか、登場が早すぎて残念な結果となった。また、北が法華経三昧の暮らしを行い、皇太子だった後の昭和天皇に自筆の法華経を献上したとのエピソードを筆者は紹介しており、興味深い。「自らの進化を促進するための重要な行為」だった法華経信仰の流れの中で、「日本の社会進化を促進する英雄的君主」への変身を期待した「法華経献上の方が(2-26事件よりも)革命的である」という。「これぞ究極の国家改造運動だったのではないでしょうか」とまで。ここは、法華経信者の私としては、北を「分かった」とは言えないまでも、「共感出来る」ところだと思われる。美濃部の天皇機関説は、戦後の「象徴天皇」制の登場に至る前ぶれともいえる。明治と昭和前期の間に花咲いた〝自由と民主主義的気風〟に溢れた大正という時代の空気が読みとれよう。(2023-5-21 続く)