【80】片山杜秀『11人の考える日本人』❸和辻哲郎、河上肇、小林秀雄編/5-25

 和辻哲郎は、姫路出身の倫理学者。私と同郷で、専門の学問とは別に『風土』と『古寺巡礼』を書いたとなると、親しみを感じざるを得ない。ニーチェ、キルケゴール、ショウペンハウエルら〝反正統派〟哲学者に傾倒し、「人間の限界を意識しつつ、それを乗り越えるためにどうすればいいのかを考え続ける思想、ままならない人生の苦悩を苦悩のままに向かい合う哲学に惹かれていた」人物だ。ポスト「坂の上の雲」時代の「教養主義」を代表する思想家である、とされる。夏目漱石門下のひとりとして、戦時下に国民道徳を説き、戦後も思想家として生き残ったことが注目される◆河上肇は「『人間性』にこだわった社会主義者」。私は尊敬する大先輩から河上の『貧乏物語』を読め、と勧められてきた。学者とジャーナリストの両面で河上は活躍したが、農業研究から出発し、マルクス主義へといくも、唯物史観に徹しきれないといった「振幅の大きい思想遍歴」を経ていく。「人間の心根の問題にこだわった経済思想」は、戦後日本社会で「あらためて参照されるようになる」。今の地球環境の危機を問う議論にあって、彼の「人間性に基づく行動変容と重なり合う論点を見出すことは可能」だとの見立ては大いに共感できよう◆私と同い年の政治家の国会執務室の書棚に小林秀雄全集が並んでいた。小林は戦後世代憧れの思想家である。「天才的保守主義」とのネーミングよりも、「何でも科学的に説明できると信じる人間が増えると、世の中はダメになる」──小林はこの考え方で一貫している、との規定の方が分かりやすい。〈僕等の嘗ての経験なり知識なり方法なりが、却って新しい事件に関する僕等の判断を誤らせる〉と、理屈で分かった気になることの危うさを指摘している。志賀直哉の凄さは「清兵衛と瓢箪」「児を盗む話」「和解」などの短編で、行為を説明せず、理屈も能書きも書かず、悔恨も懐疑も書かないで、「常に今現在のみを書く」ことにある──こう著者は宣揚する★3人への私の考察をここで加えたい。『風土』を考える時に、創価学会初代会長・牧口常三郎の『人生地理学』との対比に思いが及ぶ。牧口に遅れること18年でこの世に生を受けた和辻は、牧口より30年余り後に、似て非なる著作を著した。人間が生まれ育った土地の地理的要件や風土に影響を受けるという点で共通する。日露戦争前に出版した牧口と、アジア太平洋戦争の初期に書いた和辻とでは背景が自ずと違う。戦犯に問われ獄死した前者と、「体制に迎合するものではなかった」後者との違いも追うに値する★河上肇への関心を持ち続けていたのは、私の仕事上のボス・市川雄一。公明党は初期の頃「人間性社会主義」を追求した。これは党創立者の池田大作先生の発想に負うところが大であるが、河上の影響と無縁ではなかったはずと勝手に想像する。気鋭の経済学者斎藤幸平がいま『人新世の資本論』などで「新しい社会主義」を提唱している、と私は見ているが、ある意味で河上の主張と類似する★小林は、「ものごとは理屈でなく、直観で判断し間違えたら絶えず修正していけばいい」と言うが、取り上げてきたのは「志賀直哉も、モーツアルトも、本居宣長も、ゴッホも、ドストエフスキーも、普通の人ではたどりつけない、正しい道に直観で着地できてしまう天才たち」ばかりだ。これに幻惑され、しかも語り口調が「上から目線の権化」に見えてしまうから、平凡な人間は読み誤ってしまう。これをどう回避するかは、大いなる問題だ。(5-25  敬称略 つづく)

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