次は柳田國男。この人は民俗学の大家で、「昔話や言い伝えを一生懸命集めているおじいさん」との印象が確かに濃い。ここではそのイメージを180度壊す。貧困と飢えをキーワードに「本当は怖い柳田民俗学」を読み解く。このシリーズ一番の良い方の〝イメチェン〟で、〝金の亡者・福澤諭吉〟の表現より随分得してるように思われる。私を含めて柳田を見間違ってきたのは、農政官僚としての側面を見落としてきたからに違いない。「TPP交渉を主導し、自由化路線をひた走る」農政を「百二十年も先取り」しているというのは当たらずといえど遠からずかも。厳しくも優しい「民俗」への柳田眼差しの背景には、ひたすらに「日本人の諦め方」と「不条理に耐えていく知恵」の採集と分析にあったとの著者の見方は鋭い◆西田幾多郎の思想は、アンチ進歩であり、反進化思想だと位置付ける。それは右肩上がりの考え方の否定でもある。彼の思想の中核をなす「絶対矛盾的自己同一」とは、「絶対に結びつかない物が、現在において同一化する」ことだという。分かりやすくいうと、「悲しみの底には必ず慰め、喜びがあるように、主観と客観、個人と全体、善と悪など、反対だと思っているものは必ずセットになって現れてくるという」。これって、「依正不二」、「煩悩即菩提」といった仏教思想と全く同じと思えばいい。全般に、西田についての著者の解説は他のものに比べてわかりづらく感じるのは否定し難い◆最後に丸山眞男。戦後民主主義の創始者である。「超国家主義」と「八月革命」がその思想の根幹をなす。丸山は、日本には国家統治の責任を持つ主体、存在がどこにもなく、「無責任の体系」という仕掛けこそが「異常な超国家主義の根元」と説き明かす。また、明治憲法から戦後の憲法への転換は、天皇から国民へと主権が「アクロバティックな移行」をしたもので、革命そのものの大変化だというのが丸山の「八月革命」説である。著者は丸山が「関東大震災、特高による検挙、戦争体験、学生運動によって、こうした実感を、政治思想として深化させていった」のだとして、生活の継続性を強調する★柳田國男が生まれたのは兵庫県神崎郡福崎町である。私は今も保存されている生家に行ったことがある。慎ましいというほかない狭い家に驚いた。松岡操の六男(八人兄弟)に生まれ、12歳で茨城にいた長兄の家に移り、15歳で東京にいた三兄宅に同居し、26歳で柳田家の養子になる。柳田の足跡を民俗学の面からだけ追うのでなく、何のためだったのかを追求することの大事さを知って大いに満足した。と共に、海軍大佐から転身して民族学を志した弟松岡静雄の存在を知った。「兄の酷薄なリアリズムと弟の芒洋としたロマンの二面性があってこその一つの日本」との捉え方に驚いたしだい★西田哲学の根幹をなすものは「無」である。「いついかなる場合でも有にならないから絶対的に無なので」あり、「定まったかたちが有るのが有で、定まったかたちの無いのが無」だと。仏教の捉え方では、無に見えていても有になる場合があるという。「空」という概念がそれだ。有るといえば有る、無いといえば無いという状態を説明するのに、うってつけだ。西田哲学は、正解のない、中心のない今の世界を生きる上で、なくてはならぬ思想だと片山はいうが、なぜそうかの補助的説明が足らないように私には思われる★丸山は〈私自身の選択についていうならば、大日本帝国の「実在」よりも戦後民主主義の「虚妄」の方に賭ける〉と言った。その戦後民主主義も、憲法制定後75年経って、すっかり色褪せ、虚妄ぶりが露わになって久しいというほかない。むしろ「占領民主主義」の実態がいやまして強くなってきた。ほぼ150年前に福澤諭吉の説いた「独立自尊」が今なお燦然と輝くのはなぜか。私には、西部邁の『福澤諭吉──報国心と武士道』が圧倒的に印象深い。これほどまでに丸山「戦後民主主義」が叩かれた書物を私は知らない。(敬称略 2023-5-29 この項終わり)