【82】「コッポラのメッセージ」異聞──塩野七生『人びとのかたち』を読む❶/6-4

 今回から塩野七生のエッセイ集『人びとのかたち』を取り上げる。この本の扉には、「映画鑑賞を読書と同列において 私を育ててくれた 今は亡き父と母に捧げる」とある。また帯には「両親がすすめてくれた読書、そして連れていってくれた映画館から、私の人生は始まった」ともあるように、これは映画にまつわるエッセイ集である。かねて私は、この本を〝映画のおたから〟のひとつとみなしてきた。この7月から、私のブログに新たに、『懐かしのシネマ』というコーナーを設けて、これまで観てきた「映画」の中から印象深いものを取り上げる予定だが、読書録ブログでは映画もさることながら、それを通しての彼女の言葉を追って〝予行演習〟にしてみたい。なお、このエッセイ集は、全部で48本のエッセイから成り立っており、これを便宜上10本づつ5章に分けて論じることをご了解いただきたい◆さて、第一回目。ここで取り上げられた映画で、私自身の興味の赴くところと完全に一致したのが『地獄の黙示録』。この映画については、つい少し前に亡くなった立花隆の有名な評論がある。『誰もコッポラのメッセージがわかっていない』である。かつて愛読した『諸君!』に登場した。さて、塩野七生がどう〝分かり具合〟を示してくれているか、固唾を飲む思いで目を凝らした。見事に外された。立花がこだわったカーツ大佐(マーロン・ブランド)についてはその解釈で充分とだけ。ただし、戦時のリーダーとしては「失格にする」と。そして、あのロバート・デュバル演じる指揮官には好意的な眼差しを向ける。「負傷した部下たちの救出に配慮を忘れないこの男」は、戦の最中のサーフィンまでやらせる「パフォーマンスの名手」だと。「リーダー論」に持ち込む手際は、さすがという他ない◆塩野は、彼女らしく、メリハリの利いた人物評を繰り出し、まさに小気味いい。グレタ・ガルボについての「スター」の一文が目を惹く。ここでは「実像と虚像」を巧みに論じる。〝スターは虚像〟だとして、〝実像〟を暴き出さんと熱意を燃やす一般人の努力は無駄だという。創り出す側に、「虚像と実像の区別など存在しない」と断じつつ。で、実像は「その人が生まれつきもっていたものにすぎない」が、虚像は「才能と、努力と運の結晶」という。ここまで読み、私がある芥川作家に投げた言葉を思い出す。「作家って嘘つきでないと務まらないですよね」と。あれから今まで、ずっと壮大な「結晶」をして〝嘘つきの所産〟としたことを後悔してきたが、「実を越えうるのは、虚しかない。偉大な虚のみが、現実を越えて生きつづけることができる」との塩野の結語で納得した。あの作家の、しばし呼吸をおいてからの「そうですねぇ」の返事は、「虚の効用」を知らない凡愚な私の身を慮ってのものだった、と。(2023-6-4)

 

 

 

 

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