熊の生息の実態が森の荒廃を占うとの説を掲げる、一般財団法人の顧問になって20年余り。すっかり熊の味方になった、と一般的には思われているに違いない。だが、正直いって熊がそれほど好きだというのではない。私の「熊との共生論」は大いに観念的なものではある。そんな私が、この本の『夢を見ること』に描かれた映画『子熊物語』に嵌ってしまった。未だ映画を観ていないのだが、早急に観て『日本熊森協会』の本当に熊が大好きな仲間たちに知らせ、熊を無用に恐れる人たちへのアプローチを考えたい◆「時に何もかも忘れて夢を見ることは、子供よりも大人に必要だ」との書き出しから、「最後は、互いにくっついて冬眠に入った雄熊とチビを映して終る。外は一面の雪景色」のエンディングまで。夢の世界は現の世界と紙一重。釧路湿原のそばに住む世界的な動物写真家の安藤誠さんが撮った写真や映像は本当に凄い。兄弟グマと思しき2頭が仲睦まじく立ち話をしている場面がいつも甦る。ああいう世界に立ち入れるのは、ひとえに人間の内面に熊と相呼応するものがなければと思う。淡々と描写されていく中で、そっと挿入された若者狩人とチビ熊の交流が熱く胸を打つ◆連想ゲームの様に『パワーと品格と』にある『山猫』が目に飛び込んできた。長きにわたって観たいと思い続けてきた名作映画だが、ついに先日取り溜めたビデオから探し出して観た。シチリアが題材といえば、『ゴッドファーザー』シリーズのように、わかりやすいマフィアものが連想されるが、正直、一回観ただけでは、これはそれほど馴染めず、面白くもなかった。が、塩野さんの謎解きのような解説を通し、なんとなく分かった気にはなった◆彼女は、シチリアを良くするためになぜシチリア人は動かないのかという長年の疑問に対する答えが、映画の中にあったとの記憶から改めて観たようだ。それは、「すべてを変えても所詮は何一つ変わらないという状態は、今ではシチリアの現象ではなく、イタリア南半分の現象になっている」し、「一部の人の情熱では、どうにもならない状態にまできている」からだという。『山猫』に登場する公爵のようなシチリア人が積極的に公務を勤めていたら、と仮定を述べた上で、「品格もパワーの一つに成りえることを忘れていると、社会はたちまち、ジャッカルやハイエナであふれかえることになる」と意味深長な結論で終わっている。イタリアに住んでいると、「(この国をマフィアが)脚部から麻痺させている難病である」ことが強く意識されるに違いない◆20年余り前のことだが、衆議院憲法調査会の一員としてローマに行って、塩野さんに会い、あれこれ話したことがある。その際に、私は偉大なローマ帝国の頃と現代のそれほどでも無いイタリアとの比較論に話を向けた。その時の結論は曖昧だったが、今になって、答えは、この「シチリア不変論と品格との関係」にあるのかも、と忽然と私の脳裡に浮かんできた。これはイタリアだけでなく、日本の今にも当てはまるのではないか、と懸念が高まってくるのは禁じえない。(2023-6-18)