この本を読もうと思ったきっかけは、NHKテレビETV特集での保阪正康の『最後の講義』がきっかけ。青年たちを相手に、生真面目にあまりにも真摯に戦争体験を語る姿に胸打たれたからだ。これまで保阪の書くものは読むにつけ息苦しさが先に立ち敬遠することが多かったのだが、この本は西部邁との交遊を回想する形態をとっているということに惹かれた◆西部邁が入水死をしてから5年余り。私は彼の書いた『福澤諭吉 その武士道と愛国心』と『中江兆民 百年の誤解』の2冊に深い感銘を受けた。とりわけ諭吉の『文明論之概略』を誤読した丸山眞男の姿勢を完膚なきまでに論破したその〝訴追力〟には惚れ惚れするものがあった。ということで、誤解されることが多かった西部観の修正を期待した。ついでに「死に至る秘密」を覗き見たくなかったというと嘘になる◆2人は共に少年期を北海道札幌市で過ごした。一つ歳上の西部と保阪は、いわゆる越境入学をした中学校に通う先輩と後輩だった。その当時の学校教育とりわけ教師の問題を縦軸に、年を経て共に著名な思想家となってからの西部への世評を横軸に、2人の交遊が語られていく。その語られ方が今昔交互に登場、中央部分がない十字架のようで、ちょっときっかいでわかりづらいのは否めない◆西部という人物は「怒りっぽく、自分に気に入らぬ言説を吐く人間には徹底的に論破し、噛みつくタイプ」だったことはそれなりに知られている。その背景にかの学生運動における挫折が絡んでいることはある程度分かるものの、最後まで全貌は見えてこない。この本でも西部に対し一貫して畏敬の念を持ち続け、遠慮しがちに付き合ってきた保阪の過剰なまでの配慮がもどかしい。読み終えて、大いに物足りなさが残った。そういえば、タイトルも「Nの廻廊」に「きれぎれの回想」とやっぱり回りくどい。(23-7-6)