【87】健常者よ障がい者の修行に学べ━山本章『出でよ!精神科病棟─大勢で大勢の自立を支援する━』を読む/7-13

 元厚生労働省の役人だったこの人の本を紹介するのは3回目。1作目は「薬全般」が対象だった。2作目の「麻薬」に続き、今度は「精神科」がテーマである。薬剤師というキャリアを十二分に活かすだけでなく、今回は身内に患者を持つ当事者という立場に加えて、同じ障害(以下、著者に見倣う)を持つ人たちの自立を支援する社会福祉法人の理事長として、極めて重要な提言をしている。精神を病む人を身近に持つ人びとだけでなく、今に生きる現代人必読の書と言っても言い過ぎではない。人は生きてる限り、いついかなる時でも障害を持つ(高齢者も同様)身になることは避けられないからだ◆精神に障害が生じてしまった人のことをどう呼ぶか。その昔の差別用語を持ち出さずとも、「精神病院」という呼び方も一般的に憚られるほど、偏見に満ちてきているのがこの病いであろう。最近は「統合失調症」という呼び名で統一されているが、これとて定着化しているかどうか疑わしい。かくいう私自身が「躁うつ病」と、とり間違えていた時期がある。国会議員時代には、イタリアを始めとする欧州各国のように、精神障害者を病院に閉じ込めない風潮に学ぼうという意識に立っていたのだが、所詮は口先だけだったかもと、深く反省する◆この本のタイトルに「出でよ!」とあることは重要なポイントである。これまで精神科の患者は病院から「出すな!」が常套句。街中にそうした患者が出ることを嫌がるのが世の常だった。その原因はひとえに、たまさかに起きる犯罪の容疑者にその病を持っているケースが少なくないからだと思われてきた。しかし、それが主因で、大部分の自立出来る患者を、病棟に閉じ込めてしまうことは、まるで〝座敷牢〟の大量生産のようだ。偶々この本を読みだしたところに、旧知の八尋光秀弁護士(C型肝炎訴訟弁護団の中心者)による「精神科の強制入院の課題」上(毎日新聞7-5付け)に出くわした。「とにかく入れておけ ゆがんだ法律」との見出し。「医療保護」という名のもとに、人の成長過程に国家が介入する非を厳しく断罪していた◆山本さんの本は、単に主たるテーマについての蘊蓄が傾けられているだけではない。世事万般に亘る面白くて造詣の深い話が読み取れることは、すでに前2作を手にされた方ならわかるはず。今回は第9部「生きがいを求めて」に集中する。例えば、第27章「不幸・不運・絶望、されど健気に」の中の次の一節は深く考えさせられた。「障害者・健常者のいずれについても、自立が出来ているかを人の評価指標としたらどうだろうと提案したい」とのくだりだ。「自立こそが障害の有無にかかわらず、人生修行の一大目標とするべきであり、支援付きでいいから自立を目指して健気に生きていく姿が人の心を打つことに着目して、『支援付き自立の健気度』をもって幸せの評価基準とする提案」を掲げている。見渡せば、見せかけだけの「自立」、通り一片の「幸せ」にやせ我慢する日常が多い。他人との比較でなく、自己自身の今日よりは明日への前進こそが尊い。文中、「修行」をめぐる僧侶と筆者の問答めいたやりとりの片鱗が窺え、興味深かった。「障害者の修行の方が余程リアル」との表現に大いに「挑発」された。次の機会には、この人の人生をめぐるエッセイ集を読んでみたい。(2023-7-13)

 

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