【89】特筆すべき民衆からの反撃━━ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』の解説(堤未果)を読む(下)/8-2

 

 最終章で、あの「3-11 東日本大震災」ショックに際して、宮城県の村井嘉浩知事が「民間活力」こそが「創造的復興」の実現にとって最も大事だと主張したことを否定的に取り上げています。また、仙台空港が国の管理空港の民営化第一号となったのに続き、関西国際空港、大阪国際空港(伊丹空港)が民営化を実現したり、宮城県の上下水道と工業用水の運営権の民間売却や大阪府の医療特区化したことを取り上げ、「この二府県は、いわば、日本におけるショック・ドクトリンのトップランナーと」位置付けています。さらに、急速なデジタル化の先に管理社会の危険性が見えてくること、また自民党が目指す「憲法改正」のプロセスに、「緊急事態の宣言」項目の対象として、「自然災害」や「感染症」が加わる公算が高い危うさを指摘しています。いずれも本格的なショック・ドクトリンが仕掛けられてくる環境が刻々と整備されようとしていると、警鐘を鳴らしているのです◆このように、日本におけるショック・ドクトリンが跋扈している実態に触れて、冒頭での「今こそ日本人が知るべき、『衝撃と恐怖』のメカニズム」との触れ込みに応えた形になっているのです。「惨事」を狙う主体としての、新自由主義経済学者ミルトン・フリードマン率いるシカゴ学派の悪どい手口を次々と暴いてみせているといえましょう。ところが、最後のところで、「一番悪い敵は、誰なのか?」という思考に陥らないように、と忠告し、21世紀のショック・ドクトリンの「最大の特徴は、敵の顔が見えないこと」だと強調しているのです。20世紀後半の時点で、姿を現した時の主犯格は紛れもなくシカゴ学派だったのですが、21世紀になって、そのドクトリン展開の主役は、変化の様相を示しているというのでしょう。それを著者は、「相手は人間でなく、果てなき欲望を現実化するための『方法論』」だといいます。恐らく悪いのは誰彼というのでなく、「惨事便乗型資本主義」だというのでしょう◆ところで、私は、この本を読み、自然界における「大災害」と、人間世界における「ショック」がないまぜになって襲ってきている時代が今だ、というように理解しました。つまり、庶民大衆が犠牲になるドクトリンが仕掛けられている悲劇の時代の到来だ、と。しかし、著者も解説者も、「民衆のショック・ドクトリン」という表現で、最終章において、各国地域で民衆の側が自立して主権を取り戻す実例を挙げているのです。これでは読み手はいささか混乱してしまいます。災害や惨事に便乗する国家悪、企業悪を指して「ショック・ドクトリン」だと思わせられたのに、民衆の側にも火事場泥棒的手合いがいるのか、との誤解を招くのではないでしょうか◆ここでは、「ショック・ドクトリン」なる言葉を使いたいのなら、せめて「アンチ(反)」の文字を付けて欲しいと思います。確かに、アルゼンチン、ブラジル、ベネズエラ、エクアドル、レバノン、南アフリカ、スペイン、中国、ロシア、ボリビア、ポーランドなどで、また、日本でも、ショック・ドクトリンの「恐怖戦術」から抜け出して、新たな道を歩き始めているような、〝特筆すべき反撃〟とでも言うべき動きが見えます。これは民衆の側からの対抗措置であり、ショック・ドクトリンに打ち勝つのは、「人間の知性」だといいます。さて、この戦い、断じて負けるわけにいきません。与党になって20年を超えた公明党の真価が問われます。(一部修正 2023-8-3)

 

 

 

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