【91】「侵略失敗」から「友好展開」への歴史の変遷━司馬遼太郎『モンゴル紀行」から考える/8-20

    1923年(大正12年)に生まれた作家・司馬遼太郎さんは、21世紀を待たずして1996年に亡くなりました。今年は「生誕100年」というわけです。それを記念して様々の企画が催されているのは周知の通りです。NHK スペシャルで放映された「街道を行く」シリーズを幾つか観てみました。そのうち、「国家と人間」というものを考えさせられる外国編について取り上げてみます。まず、『モンゴル紀行』からです。モンゴルといえば、13世紀における「蒙古襲来」(文永、弘安の役)を思い出さざるを得ず、日本史を振り返る際に「国の防衛」というものを考えさせてくれる存在です◆フビライ・ハーンのモンゴル帝国が日本に攻めてきたという史実を思うにつけ、中国大陸と朝鮮半島を乗り越え、海を挟んで対峙したことの重大さに改めて気づきます。海洋国家の有り難さを痛感せざるを得ません。当時は鎌倉時代北条政権の後期。決して万全の国内政治情勢ではなかった日本だったのに、一致団結して守り切ることに成功しました。その後、600年を経て西欧各国の攻勢を受ける江戸時代末期まで、平穏を保ち得たことは〝海の効用〟という他なく、〝モンゴルの教訓〟とでも言うべきものが歴史に刻印されてきたことを実感します◆『モンゴル紀行』を読み、テレビでの映像を追うと、かの国の兵士たちがユーラシア大陸を駆け巡ったすえに、西はウラル山脈を越え、東は日本海に迫ったことが俄かに信じられない思いになります。境目なき大空と平原、夜明けや夕陽の想像を絶する光の饗宴、あまた降リ注ぐ星の降臨はおよそこの世のものとは思えません。30年余も前に同じ選挙区で戦った文人政治家・後藤茂代議士が、ご自身のモンゴルへの旅でのその辺りの記憶を、巧みな表現で語ってくれたことを昨日のように思い出します◆司馬さんがこの紀行文と共に、『草原の記』でもツェベクマさんという老婦人との交流について種々触れているのが印象的です。馬と共に成長しゆく少年、ひつじに寄生するように生きる大人たち。草原を流れる放牧民族の数奇さを、あたかも国家御用達の語り部のように伝えてくれる彼女。生き生きと語りゆくその姿に司馬さんとの意気投合ぶりが窺えて読む者の心がなごみ、高揚させられます◆現在の日本とモンゴルの関係は、大相撲の力士をめぐる話題に集約されます。NHK解説委員出身で、内閣官房副長官、外務副大臣を務めた浅野勝人元代議士が元横綱白鵬関のこよなき友人で、折に触れて交わしたメールを纏めて本にし、「ほんづくり大賞」特別賞を受賞したことは知る人ぞ知る話です。かくいう私も、一方の雄・鶴竜関の姫路後援会の一員として毎春の大阪場所直前に同じテーブルを囲んだものです。尤も、私の場合はメールを交わすどころか、会話のネタを探すのが精一杯という無様さでしたが。「日本侵略」に失敗したモンゴル民族の末裔たちが今、「日蒙友好」にそれぞれの汗を流していることは「平和」そのもので、微笑ましいことといえましょう。(2023-8-20)

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