『人新世の資本論』以後の斎藤幸平氏の著作に注目してきた。資本主義の次にくるものは何かをめぐる考察について、である。環境危機や経済格差が一層広まって、国家も大衆も今や危機に喘いでいる。それにつれて崖っぷちに立たされたといえる民主主義の危機を乗り越えるにはどうすればいいのか。破壊されゆくコモン(共有財と公共財)を再生し、その管理に市民が参画していく中で「自治」を育てていくしかない、というのが斎藤氏の目論みであろう。その第一歩を踏み出すための実践の書だと銘打って、松本卓也氏ら6人と共同で書いた本に大いに期待した。刺激的な内容ではあったが、実現への道筋は果てしなく遠いというのが実感だ◆我々は身の回りで「資本による略奪」とでも言うべき事態が静かに進行していることになかなか気づかない。公園などの公共の場を、市民の反対の声を排除しながら商業施設に変えてしまおうという大資本の動きがあったり、公営事業としての水道事業の民営化を持ち込み、そこに利潤獲得の道を開こうとする大資本の試みがあるのにもかかわらず。そうしたコモンが直面している危機的な事態を打開し、逆に蘇らせていくには、ひたすら自治の力を磨きゆくしかないという。コモンを耕し、それを管理する方法を模索するなかで、私たちの「自治」の力を鍛えていくべきだ、と。資本の浸透は、放置していると、全てを乗り越え迫りくる。対抗するには万人が立ち上がるしかない、と◆この本では、斎藤氏以外の6人が、それぞれ大学、商店、区役所、市民科学、精神医療、食と農業といった、現場における「自治」の現状について興味深い問題提起を展開している。とりわけ、白井聡氏の大学における「自治」の危機についての言及には、呆然とするほかない。「教授会自治」も「学生自治」も形骸化は歴然としており、かつての「産学共同反対」はどこへやら、「産業界の意向を受け入れ、他大学と競争しながら予算を獲得することが自明視されて」おり、「『稼げる大学』といったスローガンさえもがはばかりなく語られる」ほどだという。しかも、学生たちのものの考え方も大きく変化し、権力に対して批判的な視点を持つことが当然だとの常識はもはや通用しないとまで。人材育成の要・教育の現場がこれでは、心許ない◆こう書いてくると、「コモンの自治」は前途遼遠で、何を言っても絵空事の感は免れないのだが、斎藤氏はめげずに、最終章で自治実現への手立てを説く。「垂直型の政治や運動に代わる新しい形の参加型『自治』に向けた、21世紀の理論と実践の可能性です」とし、「そのカギとなるのが、万人が〈コモン〉の再生に関与していく民主的プロジェクトです」と力説する。ただ、残念ながら、いかにもわかりづらい言い回しである。「これはユートピアではなく、世界でも、日本でも萌芽の出てきている二十一世紀のコミュニズム(コモン型社会)のプロジェクトです。そして、そうした自治の実践こそが、資本主義の暴走から民主主義を守るための道なのです」というのだが、虚しく聴こえてくるのはいかんともし難い。事態打開への熱い思いは伝わってくるものの、空回りは否めないのである。(2023-11-2)