【104】3-② 手取り足とり秘伝を公開━━丸谷才一『思考のレッスン』

◆読み方、考え方、書き方のコツが披瀝

 作家で文芸評論家だった丸谷才一氏が20年ほど前に出版したこの本は、全部で6つのパートに分かれており、前半三つがご自身の体験で、「丸谷自伝」的読み物である。後半三つは、「本の読み方」「物事の考え方」「書き方」のコツが披瀝されている。まさに、秘伝公開の趣きがあり、若い人たちがこれを読み、実践に移せば、たちどころにレポート、論文はスラスラとかけるはず、かもしれない。

 私は、後半から読み、最初に戻り、そして鹿島茂氏の「解説」へと進んだ。フランス文学者の鹿島氏は丸谷さんのこよなき「後継者」である。そう私は勝手に思ってきた。〝異流派のすぐれもの〟による見事なまでの手ほどきは、鮮やかというほかない。学生との対話形式で、この本の「使い方」を伝授してくれている。ものぐさな読み手は、この解説を読めばそれで事足れりと思うに違いない。「どんな本を読めばいいか」「読書感想文と論文との違い」から「良い問いかけ」「仮説の立て方」に至るまで、全部で10個の作法を本文の頁付きで提示している。まさに手取り足取りの「思考のルールブック」なのだ。

 丸谷流の「読書のテクニック」は、実にユニーク。本はバラバラに破って持ち歩け、索引から読み始めろ、人物表、年表を作れ、と。図書館通いの私はコンビニでコピーをとるという禁じ手を犯し、あとがき、中程から読み始め、本の見返しや、しおりの裏に登場人物を書き出そうとするも、書けない仕様ぶりに悩まされてきた。「考えるコツ」で、真っ先に挙げているのは「謎を育てる」こと。時間をかければそのうち何かが発見できるなどと、悠長なことをおっしゃっている。本は慌てて読まず、散歩しながら思案し、お風呂に入りながら考えよう、とまで。私など、〝下手な考え休むに似たり〟とばかりに次から次へと本を読んできた。〝考えない人〟の典型かもしれない。恥ずかしい限りである。

 「書き方」については、谷崎潤一郎の文章の一番すごいのは、「英語の文章の書き方と日本語の文章の書き方を丁寧に対応させた上で得たコツをうまく生かして書いている例」だと絶賛する。また、「漢語と大和ことばを上手に混ぜて文章をつくる。片仮名ことばはできるだけ控える。そうすると文章が落ちつく」との指摘も得難い。このくだりに触れる前段で、鳩山由紀夫元首相の話し方の不味さぶりを例に、政治家の言語責任を問うてみたり、漢語がやたらに多い官僚の文章の問題点を槍玉に挙げたりしている。確かにその通りだったなあ、と我が身の拙さを棚に上げて、納得してしまうのである。

◆実例としての『日本文学史早わかり』

 実はこの本のなかで、著者は、『日本文学史早わかり』なる著作を紹介、「思考のレッスン」の具体例を示している。日本文学史については、政治に偏重した時代区分では、どうも面白くないと思い続けてきたが、「自分の心の中の謎と直面して、ああでもない、こうでもないとあれこれと考え直し続けていく中で、従来の通説と違う新説に突き当たった」といわれるのだ。

 これは、全体を五期に分け、第一期→八代集以前(?──9世紀半ば)  平安遷都後約50年の頃までで、宮廷文化の準備期。第二期→八代集時代(9世紀半ば──13世紀初め)    菅原道真誕生の頃から承久の乱の頃までの宮廷文化の全盛期。第三期→十三代集時代(13世紀──15世紀末)承久の乱から応仁の乱の頃までで、宮廷文化の衰微期。第四期→七部集時代(15世紀末──20世紀初め)応仁の乱の頃から、日露戦争の直後あたりまでの宮廷文化の普及期。第五期→七部集時代以後(20世紀初め──?)日露戦争の直後(自然主義の勃興)から今に至る宮廷文化の絶滅期、としている。丸谷さんは「第四期がむやみに長いのは気になるけれど、しかし、これが日本文学史の実態なのだから仕方がない」と述べている。

 確かに斬新な感じはするが、しかし分かりづらいことは否めない。ご本人はいいと思っておられるようだが、あまり人口に膾炙していない。そもそも八代集、十三代集と7部集という括り方が一般受けしないのではないか。せめて、頭に和歌、俳諧の2文字をくっつけて欲しいと思うのだが。丸谷新説をあらためて眺めてみると、明治維新以後の西洋文明の影響に関心が向かわざるを得ない。日本固有の文学史は、明治期を境に、短詩型中心の時代が終わりを告げ、西洋風の小説、長詩中心の時代が到来したということだろう。尤もこれは、早わかりならぬ、早とちりだと言われるかもしれない。

【他生の縁 桐朋学園創立50年の集いでの大爆笑】

 20年ほど前、桐朋学園創立50周年のお祝いの宴に、同学園を卒業した私の妻と一緒に出かけました。その際のご挨拶に登壇した同学園を卒業した指揮者の小澤征爾さんが、「私は在学中に英語を丸谷先生に習ったのですが、おかげで一向に英語が上達しないのです」と、暴露話をされて場内は大爆笑となりました。

 そのすぐ後に、私は個別にご挨拶に向かい「先生、厳しいこと言われてましたね」と水を向けたのですが、なんだか妙に嬉しそうだったのが印象的でした。

 

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