◆交流のるつぼが沸騰した時代
「日本史のなかでも『室町期』の二百年ほど、乱れに乱れて、そのくせ不思議に豊穣な文化を産んだ時代はない」の一文で書き出され、「長い試行錯誤ののちにやっとたどりついた現代日本の社会は、ちょうどあの室町時代から、流血と常識をともに少しづつ失っただけの状態だといへないだらうか」で終わっている山崎正和さんの『室町記』。これは、1973年(昭和48年)の一年をかけて週刊誌に連載された。出版からちょうど半世紀ほどが経つ。この人が38歳の時だった。生前親しくしていただいた私としては、数多ある著作の中でも最も面白く読み、日本という国の歴史を考える上での糸口になった。
山崎さんが懇談の折に、「日本の近代はある意味で室町から始まったといえる」と述べられたのが、読むに至るきっかけだった。「近代日本は明治維新から」との常識に縛られていた私を覚醒させるに十分なものだった。日本史の大転換は、「室町」の後に、戦国時代を経て江戸・徳川の260年を待たねば、やってこない。だが、その原型は紛れもなく、14世紀から15世紀にかけての室町期に現れていた、と。
歴史の表面を普通に追うと、武士が権力を握った源家、北条の鎌倉期から、足利の室町期全般の流れは信長、秀吉、家康の三代の英傑が登場するまでの前座に過ぎないかのように見える。だが、室町期の豊かさに着目する著者は、その根本的原因は、「(室町期の)政治的動乱が社会をかきまはしたことで、多様な趣味がいっせいに自己主張の機会を得たこと」にあるという。「生け花」「茶の湯」「連歌」「水墨画」「能」「狂言」といった芸術有縁のものから、住まいにおける「座敷」「床の間」「庭」や、食生活での「醤油」「砂糖」「饅頭」「納豆」「豆腐」など、現代日本のお茶の間にゆかりのものまで、確かに全てこの時代が生み出したものである。更に、『太平記』『徒然草』といった読み物や、「禅の思想」から骨董趣味の原型までをも育んだ。西洋との交流もまたしかりだ。まさに交流のるつぼが沸騰した時代であった。
加えて、乱世の究極としての「応仁の乱」以後の復興にあたって、大きな役割を果たしたのが、我が国最初の「都会人」というべき「町衆」の経済活動であった。そして彼らの「ほとんどすべてが同時に熱心な日蓮宗徒だった」ということは興味深い。法華信仰は京都の町衆の間に根強く生き残り、有名な商人や職人だけでなく、芸術家にも、「狩野一族を始め、長谷川等伯、尾形光琳などの名前も知られている」。これは先年、美術ライターの高橋伸城氏の『法華宗の芸術』が、日常生活の深いところに沈められた法華経が数多の芸術家の力を引き出す機縁になったものとして見事に描いていた。
◆現代日本と室町期の類似性
ところで、混乱の中に豊饒なる文化の花が咲いた500年前の室町期の日本と、現代日本は似通っているとの山崎さんの見立てについて、心騒ぐことを禁じ得ない。文化芸術の豊穣さはともかくとして、50年ほど前に「ジャパンアズNo.1」と言われた時代がやってきたものの、今や国際社会での経済的地位はNo.2からNo.4へとずり落ち、政治も相変わらず情けないとしか言いようがない乱れた事態が続くからだ。
かつて、私は山崎さんとの会話で、明治から昭和20年までの日本が「富国強兵」の旗印のもと、「軍事力増強」で敗戦の憂き目にあい、戦後は一転、「経済至上主義」を掲げ復興を果たしたものの、20世紀末からは「失われた20年から30年へ」と、低迷が続いていることに触れた。それゆえここから先の新たな時代には、軍事、経済に代わる「国家目標」を持たねばならず、それは例えば「文化芸術立国」などが相応しいのでは、と投げかけたのである。
これに対して、山崎さんは微笑みつつ「そういうものは必要ないでしょう」と言われた。話はそこで途切れたが、ずっと気がかりになっている。国家にあって、目指すべき指標の明確化は大事だと思う。似ているとされる室町期は、乱れた政治社会状況の中で、豊穣たる文化の花を咲かせたのちに、戦国時代へと突入した。時あたかも、ウクライナ戦争やイスラエルとハマスとの残虐戦闘行為の連鎖化の惨状が続く。山崎さんの予測とは裏腹に、日本にあっても流血が増え、常識を大きく失う事態が訪れるのは遠くないかもしれない。
【他生のご縁 出版記念会で世話人としてご挨拶いただく】
山崎さんには、2001年の私の処女作『忙中本あり』の出版パーティで、代表世話人のひとりになっていただき、挨拶をして貰いました。身に余るお褒めの言葉を頂いたものです。
かつて、自民党のアドバイザーの役割を果たされていましたが、晩年はすっかり公明党の支援者になって頂きました。公明新聞にもしばしば論考を寄稿され、大いに勇気づけられたものです。
丸谷才一さんとの対談は数多ありますが、なかでも『日本の町』が私は大好きです。全国各地の町が取り上げられており、京都と金沢を比べて、京都は文化を観光の売りにしているが、金沢は文化の中に町があるといった趣旨でのお話は強い印象を受けました。