【106】パレスチナへの言及が極端に少ない━━高橋和夫・放送大教材『中東の政治』を読む/12-12

 実は2020年に私はBSで初めて放送大学の存在(テレビをつけるとそこで講義が観られるということ)を知った。コロナ禍が猛威を振るい始めた年だということもあって、テレビによる一流の学者の謦咳に触れられることは有り難く、はまった。欲深く10指を超えるそれぞれ15回分の講座を聞き始めたものだが、やがて次々と脱落し、3講座くらいだけが残った。そのうちの一つが『中東の政治』である。講師は国際政治学者の高橋和夫さん。現在は、同大学の客員教授。恐らく開学いらい40年のこの大学での最古参講師のひとりだと思う。話口調は滑らかで、講義の始めに音楽(ペルシアの伝承曲から、サントゥールの演奏)を持ってきたり、友人のピアニストにあれこれピアノ曲を弾かせたりと、工夫を凝らし抜いた45分は魅力に溢れている。全講座を一人で担当されるのも魅力である。私は完全に高橋さんの魅力のとりこになり、ファンレターもどきのはがきまで書いた◆あれから3年が経った。映像で15回の講座を観たといえども、悲しいかな頭の中に定着したとは言えず、次々変転する中東政治を追う際に役立っているかどうかは心もとない。ということで、放送用の教材を求めて読むことにした。正規に放送大学に入学して受講生になった人用のテキストだけに、300頁を超える立派な装丁ながらシンプルないかにも教科書という感じである。放送内容とテキストは自ずと違う。高橋さん自身が講義の初めに、教材を読み上げるようなことはしたくない、あくまで参考にして欲しいと言っていた。当然だろう。読むにあたって、真っ先にパレスチナとイスラエルのくだりを探した。今世界中の耳目を集めている事態の推移を読み解く機縁にしたかったからである。だが、15章の中の13番目に「イスラムパワー/ハイテク時代のジレンマ」とのタイトルで16頁が割かれていただけだった。一章あたり平均20頁の計算になるはずなのに、それよりも少ないことに驚いた◆さらに、著者は「まえがき」にそのことへの弁明をわざわざ断っている。いわく「本書に関して、筆者自身が驚いている点がある。それは『中東政治』のタイトルながらパレスチナ問題への言及が比較的に少ない点である。(中略)『中東の政治=パレスチナ問題』ではないという視点が、本書のメッセージのひとつだろうか」と。私が引用を略したところには、ご本人が、①これまでにこのテーマで数多く語ってきた②他にも多くの問題が存在する━━と「パレスチナ問題」への触れ方が少ない理由を挙げているのだ。そう。15章の内容を要約した目次からパレスチナの5文字が完全に消えている。該当する第13章もイスラエルについての言及なのである。映像では1993年のオスロ合意(パレスチナ暫定協定)締結時のクリントン米大統領の仲介を象徴したラビン・イスラエル首相とアラファト・PLO議長のそれぞれのリーダーが握手した場面があったことは記憶に残っている。ただ、印刷物には出てこないのだ◆映像と教材は一致しないとのお断りが講師からあったとはいえ、強い違和感は否定できない。そもそもパレスチナについてこの本で触れているのは2箇所。ともにイギリスがかつて支配した地域だとの記述に際してのみなのだ。さらに今回の問題の発火点になったハマスへの言及も似たり寄ったり。そんな量的比較よりも最大の問題は、「重大な人権の蹂躙が日常化している」ことで、「聖地という土地にユダヤ人が特権階級として君臨し、二級市民としてのイスラエル国籍を持つパレスチナ人がいる。さらにその下に占領下のパレスチナ人が生活している」ことなのだ。筆者は「かつて少数派の白人が支配した南アフリカの支配構造と酷似して」おり、既に「イスラエルは新たなアパルトヘイト国家になっている」と警告。占領を続ける限り、ユダヤ人国家で民主主義というのはあり得ないと、イスラエルのジレンマを指弾しているのだが、事態は一段と深刻化を増している。今回の戦争は、ハマスが仕掛けたことが発端だからイスラエルの反撃は悪くないとの議論は理屈として分かっても、現実的には肚に落ちないのだ。テレビ放映で、この辺りの高橋見解が聞けるかどうか。特別講義が待ち遠しい。(2023-12-12)

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