(126) 6-⑤ 健康を増進し医療費の伸び率低下へ━━辻哲夫『日本の医療制度改革がめざすもの』

◆厚生労働副大臣時代の「輝いていた」1年間

 20年間の私の代議士生活の中で、ある意味一番輝いていたのは、厚生労働副大臣をしていた一年間だけだ──というと、驚かれる方も多いと思われる。では、あと19年は燻っていたのか。やっぱり、権力ある地位に就きたかったのか、などと。いやいや、これは難しく考えないでいただきたい。国土交通委員長と総務委員長を仰せつかった2年とを併せ差し引いて、残り17年間のほぼすべてを外交・安全保障分野での仕事をさせてもらった身からして、時の首相や外相、防衛相を相手に予算委や関連の委員会で質疑を交わしたこともかけがえのない経験だ。それなりに足跡を残せ、輝くこともあったと自負心もないではない。しかし、行政機構の只中で日々政治課題を追う日々はまことに得難いものだったという他ない。

 その間に様々な方々にお世話になったが、最大の存在は当時の事務次官・辻哲夫氏である。この人は同省で早くから逸材として嘱望されていた。2004年の「年金」、05年の「介護保険」に続く、06年の「後期高齢者医療制度」導入を根幹とする医療制度改革に全魂を捧げ、見事に成立を果たした。その彼と、わずか一年とはいえ同じ建物の中で仕事が出来たことは、まさしく僥倖だったと言わざるを得ない。

 定年で彼が退官してほぼ15年。今は東京大学高齢社会総合研究機構の特任教授をされている。同郷出身の誼みもあり、親しく教えを乞うた(恥ずかしながら、何しろ厚生労働省行政はズブの素人だったから)ものだが、残念ながらお互い疎遠になってしまっている。数年前に、私が引退後に関わった某シンクタンクの若手幹部から要請があり、再会出来る機会が訪れた。いやはや嬉しくも懐かしいひと時であった。

 うず高く資料や書物が積み上げられた机の上から、いきなり辻さんは「お読みいただければ」と本を差し出された。『地域包括ケアのすすめ』だった。「私がこのところ取り組んできていることのすべてがこれに収まっています」と言いながら。本好きの私を知りぬいたうえでの心温まる先制の一撃だった。

 一方、私は連れていったコンサルタントと小一時間ほど語り合われる間中、彼の肩越しの書棚から見える一冊の背表紙が気になった。『日本の医療制度改革がめざすもの』とあった。彼が退官直後にまとめたもので、文字通り半生の総決算であると睨んだ。帰り際に図々しくも「これも下さい」と所望したことは言うまでもない。日本人の健康と医療費の行く末を案じるものにとって、これほど的確に関心の的を射てくれるものはない。知的興味をそそって余りある本である。

◆今こそわれわれの生き方を問い直す時期

 これからの約20年の間の高齢化の過程で、「生活習慣病の予防をどう考えるか、医療のあり方をどのように考えるのか。(中略)われわれの生き方をどのようにしていくのかを問い直すべき時期になっている」──これが、この改革の前提だった。問い直しの結果、「医療費の伸び率が結果としてよりマイルドになるようにしたいというのが望み」というのがその理念である。序章の記述以降、図や表をふんだんに用いながら辻さんを中核とした厚労省スタッフの政策の戦略的展開が次々と示される。読み進めながら〝遠い日の砲声〟とでも形容すべき日々が蘇ってきた。在宅医療を地域にどう根付かせるか。みとりをどう進めるか。「病院医療」への偏りから、どう地域のかかりつけ医を定着させるか等々。医療の根本的なあり方を問い直した画期的な提案の姿が再展開されていて、実に興味深い。

 辻さんが中核になって、千葉県柏市において在宅医療と多職種連携の新たな取り組みがなされてきている。「医療制度改革」で展開した理論の現実的展開が柏プロジェクトとして繰り広げられているのだ。政策実施のトップたる事務次官経験者として、まことに責任ある態度だと心底から感心する。若き日よりひたすらに走りぬいてきた辻さんに、定年後をささやかに楽しむ暇もない。

 かつて、彼は入省間もない頃に、介護の現場に行き、実際に要介護者疑似体験をし、おむつに排尿をして過ごした。その経験をさりげなく語ってくれた日のことは忘れられない。ひたすらに日本の医療改革に命を捧げつくす日々を、他人事でなく、いとおしいと思う。辻さんは、先の本の中で長野県のある地域が、各自治会ごとに健康の道を決め、実際にどれだけ歩いたかを競い合って、毎年イベントの際に公表するという実例を紹介している。せめて私も自分の地域でそういったことをやってみないと、かつてのパートナーに申し訳ないとの気がしてならない。

【他生のご縁 厚労省事務次官と副大臣の関係】

 辻さんとは、厚労省を離れてからこの15年間に2〜3度しか会えていませんが、元厚労相で辻さんと親しかった坂口力先輩と3人で会った時のことは懐かしい思い出です。

 語らいの中で、彼が述べた「日本の前途の苦境を思うにつけ、日本中の医師たちが総立ちすることが大事です」との言葉が忘れられません。医師の能力の高さへの期待だったと思われます。だが、医師たちはその期待に応えているのでしょうか。

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