20年間の私の代議士生活の中で、ある意味一番輝いていたのは、厚生労働副大臣をしていた一年間だけだーというと、驚かれる方も多いと思われる。あと19年は燻っていたのか。やっぱり、権力ある地位に就きたかったのか、と。いやいや、これは難しく考えないでいただきたい。国土交通委員長と総務委員長を仰せつかった2年とを併せ差し引いて、残り17年間のほぼすべてを外交・安全保障分野での仕事をさせてもらった身からして、時の首相や外相、防衛相を相手に予算委や関連の委員会で質疑を交わしたこともかけがえのない経験だ。それなりに足跡を残せ、輝くこともあったと自負心もないではない。しかし、行政機構の只中で日々政治課題を追う日々はまことに得難いものだった。その間に様々な方々にお世話になったが、最大の存在は当時の事務次官・辻哲夫氏である。この人は同省で早くから逸材として嘱望されていた。彼は2004年の年金、05年の介護保険に続く、06年の後期高齢者医療制度導入を根幹とする医療制度改革に全魂を捧げ、見事に成立を果たした。その彼と、わずか一年とはいえ同じ建物の中で仕事が出来たことは、まさしく僥倖だと言わざるを得ない▼彼が定年で退官してほぼ7年。今は東京大学高齢社会総合研究機構の特任教授をされている。同郷の誼みもあり、親しく教えを乞う(恥ずかしながら、何しろ厚生労働省行政はズブの素人だったから)たものだが、残念ながらお互い疎遠になってしまっていた。そこへつい先日、某シンクタンクの若手幹部から要請があり、再会出来る機会が訪れた。いやはや嬉しくも懐かしいひと時であった。うず高く資料や書物が積み上げられた机の上から、いきなり辻さんは「お読みいただければ」と本を差し出された。『地域包括ケアのすすめ』だった。「私がこのところ取り組んできていることのすべてがこれに収まっています」と言いながら。本好きの私を知りぬいたうえでの心温まる先制の一撃だった。一方、私はお連れしたコンサルタントと小一時間ほど語り合われる間中、彼の肩越しの書棚にある一冊の背表紙が気になった。『日本の医療制度改革がめざすもの』とあった。彼が退官直後にまとめたもので、文字通り半生の総決算であると睨んだ。帰り際に図々しくも「これも下さい」と所望したことは言うまでもない▼この本は大変に読みやすい。当たり前だが推理小説ほど面白いとはいえない。しかし、日本人の健康と医療費の行く末を案じるものにとって、これほど的確に関心の的を射てくれるものもない。知的興味をそそって余りある。これからの約20年の間の高齢化の過程で、「生活習慣病の予防をどう考えるか、医療のあり方をどのように考えるのか。(中略)われわれの生き方をどのようにしていくのかを問い直すべき時期になっている」ーこれが、この改革の前提だった。問い直しの結果、「医療費の伸び率が結果としてよりマイルドになるようにしたいというのが望み」というのがその理念である。序章の記述以降、図や表をふんだんに用いながら辻さんを中核とした厚労省スタッフの政策の戦略的展開が次々と示される。読み進めながら”遠い日の砲声”とも形容すべき日々が蘇ってきた。在宅医療を地域にどう根付かせるか。みとりをどう進めるか。「病院医療」への偏りから、どう地域のかかりつけ医を定着させるか等々。医療の根本的なあり方を問い直した画期的な提案の姿が再展開されていて、実に興味深い▼今、辻さんが中核になって、千葉県柏市において在宅医療と多職種連携の新たな取り組みがなされている。「医療制度改革」で展開した理論の現実的展開が柏プロジェクトとして繰り広げられているのだ。政策実施のトップたる事務次官としてまことに責任ある態度だと心底感心する。若き日よりひたすらに走りぬいてきた辻さんに、定年後をささやかに楽しむ暇もない。かつて、彼は入省間もない頃に、介護の現場に行き、実際に要介護者疑似体験をし、おむつに排尿をして過ごした。その経験をさりげなく語ってくれた日のことは忘れられない。ひたすらに日本の医療改革に命を捧げつくす日々を、他人事でなくいとおしく想う。辻さんは、先の本の中で長野県のある地域が、各自治会ごとに健康の道を決めどれだけ歩いたかを競い合って、毎年イベントの際に公表するという実例を紹介している。せめて私も自分の地域でそういったことを試みないと、かつてのパートナーに申し訳ないとの気がしてならない。(2015・10・1)
【辻さんとは、これを書いたのちの7年間に1-2度しか会えていませんが、坂口力先輩と3人で会ったことは懐かしい思い出です。そういう出会いの中で、彼が「日本の前途の苦境を思うにつけ、日本中の医師たちが総立ちすることが大事です。」との言葉が忘れられません。別にコロナ禍を想定してたわけではないのですが‥‥。2022-5-10】