【108】「文化と観光」は対立的共存?━『五木寛之の金沢さんぽ』を読む/12-26

 金沢を松江、京都と共に推奨してやまない高校後輩のT弁護士の強い引きで、1泊2日の年末旅行に妻共々出かけた。かねて私には、金沢の文化への〝確証なきこだわり〟があった。劇作家の山崎正和さんは、評論家の丸谷才一氏との対談本『日本のまち』の中で、「京都人にとっては文化即観光、観光即文化ですね。ところが金沢の人にとっては、文化と観光は対立概念だというところが面白い」との比較論を展開している。私はこれまで2度ほど金沢を訪れたものの駆け足で撫でた程度だった。今回の旅では「文化と観光は違う」説の裏を取ろうとの目的を持っていた。日本海側に大雪が降るとの天気予報がドンピシャで的中。お昼前に駅を降り立つやいなや、小雪混じりの強風のお出迎えとなった。元は油屋だったという古い佇まいの台湾屋台でお粥を啜ったあと、元は銀行だった円筒形の「金沢文芸館」に入った。ここには五木寛之氏の著作が全て陳列されているコーナーがあるということも知らずに◆この地が泉鏡花、室生犀星、徳田秋聲らの作家を生み出したところだとは知っていながら、五木氏とのゆかりは全く分かってなかった。彼は九州・福岡の出身だが、苦節の若き日にこの地で暮らしたことで、第二の故郷と位置付けているという。一階受付横に置いてあった2冊が目に飛び込んできた。表題作と『蒼ざめた馬を見よ』である。後者は直木賞を受賞した彼の代表作で、その昔に手にしたことがある。迷わず散歩中の粋な写真が表紙の方を選んだ。まるで観光パンフレットを手にするようなノリで。このエッセイ集との出会いが「文化のまち」の由来を手繰り寄せる手引きの役割を果たしてくれた。旅から帰ってきて読み進めるなかで、こういう語り部を持たない土地の不幸を思いっきり感じたしだいである◆この本における金沢が生活の中に文化が根付いたまちであるとの裏付けを挙げてみたい。まず、まちの佇まいだろう。筆者が友人に宛てた手紙で「兼六園を抜けて、旧制第四高等学校の赤煉瓦の建物前をすぎると、もう香林坊。(中略) 本屋さんを順ぐりに回って、竪町の古本屋にたどりつく。帰りには『郭公』だの、『蜂の巣』だのといった喫茶店でコーヒーブレイク、というのがワンセットなったぼくの日程でした」とある。また「主計町は大橋から中の橋へかけて、浅野川にひっそりと寄りそうように暗い家なみが続く一画である。古風なお茶屋さんや、鍋料理の店や、旅館や、スナックなどが営業している」など、とも。さらに、堂々たる博物館や格調高い美術館、そして文学館から蓄音器館までといったような建物が優雅に立っている。市内を流れる犀川と浅野川という二つの川とその間にある起伏豊かな坂の存在も、と言った風に、挙げ出すとキリがない。そして、加賀百万石の礎を作った前田家の歴史と伝統であろう。戦争時の空襲を受けていないという僥倖もある。五木さんの思い入れたっぷりの散歩紀行を読むと、いっぱしの金沢通の気分になった◆実は、五木さんについては、デビュー作『蒼ざめた馬を見よ』での印象的な男女の絡み合いが災いして、彼のエンタテイナー的側面ばかりが気になった。そのおしゃれで粋な顔つきをやっかむかのようなある作家のデマゴーグに撹乱されたこともある。また、先年には友人から、名医・帯津良一さんとの「健康談義本」を勧められた。五木さんが自分の足の指10本に名前をつけて、1日の終わりにそれぞれの名を呼びつつ一本づつ愛おしみながら揉みほぐすというエピソードには、虚をつかれた思いがした。この人を多情すぎる作家と誤解していたことは否めない。今回の本もその傾向なきにしもあらずだが、上っ面だけで、人間の本質を私は見誤っていたのかもしれない。金沢に行って、人間・五木寛之に出逢った感が強い。(2023-12-27  一部修正)

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