【111】「令(うるわ)しく平和に」の思いと共振した『77年の興亡』━━『潮』2月号の対談から/1-16

 新しい年が能登半島大地震と共に明けて1月も中旬。早々に私にとって嬉しい話が飛び込んできました。東京の友人が総合雑誌『潮』(2月号)を電車の中で読んでると、対談の中で私のことが触れられているというのです。急ぎスマホでそのくだりを画像で送って貰いました。連載40回目の『高島礼子の歴史と美を訪ねて』に、中西進さんが登場され、『万葉集』と『古今集』の違いを、国際主義と国粋主義の違いと捉えた上で、自由さと多様性を持った『万葉集』の時代は国際主義であるとの議論を展開されています。今回はいつもと趣向を変えて、この対談から考えたことをまとめてみます◆高島さんは、中西さんの議論を受けて「令和の時代は『万葉集』の時代と同じように、世界に開かれた自由な時代、多様性が輝く時代になっていくかもしれませんね。「令和」という元号の二字自体が『万葉集』の一節から取られていますし‥‥」と発言。中西さんは「そうあってほしいものです。時代というのは螺旋階段のように、同じことをくり返しつつ進んでいくものですから」と続けて、私の著作を持ち出されます。「公明党で長らく代議士を務めて引退された赤松正雄さんが、最近、『77年の興亡』という著書を出されました。これは明治維新から敗戦までが77年で、敗戦から2022(令和四)年までが同じく77年であることに注目して論を進めた内容です」と◆このあと、中西さんは、「いまは、次なる77年の始まりに当たる」わけで、「令和の始まりはまさに日本にとって節目で、戦後の昭和や平成の時代とは大きく変わるのかもしれません」と、ご自身の「令和」という年号にかけられた「希望の光」に言及しています。私は自著において、次なる時代の明るい展開にむけて、その源泉こそ日蓮仏法に裏付けられた中道思想にあることをさりげなく盛り込みました。中西進さんという16歳上の偉大な国文学者が、時代の変遷の中に大いなる期待を込めて、私の着想に共振していただいたことはとても大きな感動を覚えます◆時代の先行きは想像はでき得ても、確たる見通しは持てません。螺旋状的展開を繰り返すと、見定める先達も同様でしょう。そこは「どうなるだろうか」との予測ではなく、「こうしてゆくのだ」との確信が新たなる歴史を形成しゆくカギを握るものと信じます。かつて池田大作先生が、普遍性と土俗性のあいだを往来してきた近代日本の歴史を俯瞰された上で、「第三の偉大なる蘇生の道」を歩み行くことへの展望を後継たちに託されたことを思い起こします。今からちょうど50年前のこと(昭和49年3月3日第15回学生部総会)です。その講演の結論で、先生は「庶民生活の中で風雪に耐え、個人の「真我」の確立を説き、人類普遍の道を開き、現代人の心に巣くう虚無感からの脱出を導く仏法にこそ、新しき確実なる活路を見出すべきだ」と訴えられました。これを銘記して、私もこの一年元気に生き抜きたいと思っています。(2024-1-16)

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