大変に中身が濃い貴重な本に出会った。「息子が書いた。よかったら読んでくれ」といって、親しい友から渡されなかったら、恐らく手にすることはなかったろうし、読まずに終わったに違いない。畑中丁奎『戦争の罪と罰 特攻の真相』は強烈な刃を現代に生きる日本人に突きつける問題の書である。今なお曖昧模糊とした戦争責任の一角を確実に突き崩す効力を持つものと評価したい。著者が巻末に掲げた主要文献の一覧は数多い。とりわけ防衛省防衛研究所の所蔵する膨大な資料などを読み込んだ著者の熱意には頭が下がる。これらの資料の数々は亡くなっていった特攻隊員たちの墓標のように私には見えてくる。
私も、そして著者の父親も昭和20年生まれである。正真正銘の戦争直後にこの世に生を受けた。先の大戦の戦禍を直接には知らず、戦後の経済復興を始めとする恩恵だけを、ぬくぬくと享受して育ってきた。高度経済成長がもたらした”陽の当たる坂道”を駆け上がるようにして喜寿を超え、やがて傘寿を迎えようとする世代はいま、「平和の光と影」に苦い思いを持つことを余儀なくされているのだ。著者が本書の題名の由来について語るくだりはとりわけ胸に迫ってくる。「特攻が『民族古来の伝統』に発したものならば、なぜ本書で追及した特攻の命令者達は自らの所業を明らかにしなかったのか」「公にできないことを拒否権の無い兵達に課すのは罪悪である。自身の行いを認めないことはなお罪である。そして彼らは戦後このことに関して罰を受けなかったどころか、戦後の社会を形成していった」と。役割の軽重はともあれ、紛れもなく戦後社会を形成してきた一員として、その自覚の足りなさを恥じざるをえない。
★「忘れ去られた皇道派」への思い
先に私は半藤一利、保坂正康『賊軍の昭和史』を読み、明治維新いらいの軍国日本の歴史の内幕に分け入った気がした。今、本書の最終章「忘れ去られた皇道派」のなかで、真崎甚三郎の名誉回復を試みる著者の努力に接すると、さらにその深部にいざなわれた思いである。正直言って「統制派と皇道派の対立、抗争」などにはこれまでさしたる関心はなく、どちらかといえばやり過ごしてきた。どっちもどっち、同じ軍人、同じ戦争責任者たちではないかとの安易な見方に与してきたからだ。そこへ畑中氏によって新たな視点を与えられた。今は亡き同世代の友人、歴史家・松本健一との直接の語らいの中でさえ、その主張は「遠い砲声」にしか聞こえてこなかった。そんな自分だったが、さらにぐっと若い著者からの指摘はただならぬ響きを持つから不思議である。
先の大戦における特攻隊員をめぐる問題については、既に様々に語られ、描き尽くされてきた感が強い。それを戦後35年ほどが経ち「もはや戦後とは言わない」頃に生まれた著者が、改めて克明に真相を追おうとする姿はまことに新鮮でまぶしい。そう、35歳年下の著者に「戦後生まれの私たち」といわれると、妙な気分になってしまうのだ。もはや役立たずのオヤジさんたちは後ろに下がっていてくれと、言われているような気もしてくる。著者の親父・畑中三正(株)赤のれん会長に「こういう本を書く息子って、暗くないかい」と訊いてみた。ユーモアと笑いを身上とする私には気になるところだ。「いやいや、明るいやつだよ」と、ニヤリとしながらの答えが返ってきた。神戸に住む、この新進気鋭の「戦史家」との直接の出会いが待ち遠しい。
【他生の縁 大学同期の息子】
前述した畑中三正氏とは同い年で、大学同期。慶應在学中は残念ながら交流はなかったのですが、卒業してから、というより私が衆議院議員になってから、今日まで実によく付き合ってきました。というのも、私の中学、高校、大学と親しかった友人A(故人)や、大学時代からの親友F(元広島市議)らと、私とは別に昵懇の関係をこの人は持っていたから、です。私は彼のことを「政商」と半ば揶揄していうぐらいに、神戸を中心に政治家に詳しい上、交友関係は幅広いのです。本当によく様々な友人を紹介してくれ、衆参の選挙、とりわけ慶應の後輩・赤羽一嘉(前国交相)の支援をしてくれました。私たちにとって得難い存在です。
その彼の次男がこの本の著者ですが、高校の英語の教師をしながら、せっせと作家活動に勤しんでいます。先に、劇作家の鴻上尚史が『不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか』(2017年)を出版し、ベストセラーになった際には、私も読みました。ドラマチックに仕上げられた読みやすく面白い本でした。百戦錬磨の達人とも言うべき、この道の先達に、とても同じ分野で勝負は出来なかろうと、同情を込めて、「どうだい。あの本は?」と、問いかけてみました。
「いやあ、あんなものに負けません。次なる作品では必ず」と言った意味の言葉が返ってきました。心意気やよし。応援団として、次なる作品を期待しています。