【130】「他」を慈しむ優しさと勇気と━━小説『アラバマ物語』を読む(下)/5-22

 ここで改めて、この小説の原題に戻りたい。To kill a mockingbird である。mockingbird  とは、マネシツグミと訳される。この小説の中では、モッキングバード(ものまねどり)について語られるところが数カ所出てくる。最も説明的なのは10章にあり、アティカスがジェムに銃について、教え諭す場面にこう登場する。「(小鳥をねらえるなら)好きなだけアオカケスをうつさ。だけど、おぼえておくんだよ、モッキングバード(ものまねどり)を殺すのは罪だということを、ね」──父の口から、何かをするのは罪だなどと、言われるのは初めてだったジェムは、近所に住むモーディおばさんにその意味を訊く。彼女は「お父さんのいうとおりよ」と述べた後、「モッキングバードってのはね、わたしたちを楽しませようと、音楽をきかせてくれるほかには、なんにもしない。野菜畑を荒らすこともしなければ、とうもろこしの納屋に巣をかけるわけでもない。ただもうセイかぎりコンかぎり歌ってくれるだけの鳥だからね。──モッキングバードを殺すのが罪だっていうのはそこなのよ」とある。明らかにここで、黒人青年トム・ロビンソンやひきこもり青年のブー・ブラッドリーをモッキングバードに例えていると見られる◆他にも、「心なくうち殺されたものまね鳥」という表現が出てきてTo kill a mockingbird という原題に使われた言葉がこの小説の文字通り基底部を形成しているように読める。社会に悪影響をもたらさない鳥を痛めつけ、いたいけな弱い存在の鳥を殺すってことがいかにいけないことなのかを訴えている小説だってことなのだろう。しかし、私は最初に映画を観た際に、実は違う受け取り方をした。それは、単に弱いもの、害をなさない鳥を殺しちゃあいけないと言っているんではなくて、罪なき黒人を貶めることに付和雷同したり、ただ引きこもっている青年を噂だけで恐れるという行為がいかにいけないことか、を訴えており、そういう鳥は殺すのだと捉えられると思ったのだ。つまり、マネシツグミという鳥を優しい声で歌うだけの鳥というのではなく、主体性なくモノマネ的に鳴いて伝播する役割を持つ鳥だと見てしまったのだ◆ところが、小説を読み終えた結果、私の捉え方は作者ハーパー・リーの意図を逸脱した、拡大解釈だということは認めざるを得ない。しかし、あながちそうとだけでもない様な気がしてならない。私の着眼は、モッキングバード=モノマネ鳥という語訳に端を発している。ことの本義を弁えずモノマネすることの非を鳥の名前から連想したわけだが、怪我の功名というべきか、大自然の恩寵と呼ぶべきか、意外に的を外していないと思っている。この本の中で、父アティカスは繰り返し、子どもたちに、相手の立場に立つことが人間として大事だと強調している。単に弱いものを慈しみ、情けをかけることだけが人を突き動かすのではなく、その対象の立場になって考えることが重要だというメッセージだ。その考え方に立って、人種差別や障がい者差別といった間違った考え方をひろめてしまう悪事に手を貸すことはいけない──モノマネは結果的に悪事を広げる、という風に読む大事さと捉えたいと思うのである◆つい先日NHKの人気番組『映像の世紀 バタフライ エフェクト』で放映された「奇妙な果実──怒りと悲しみのバトン」を観た人は打ちのめされる思いを抱いたに違いない。この番組は、「🎶南部の木には奇妙な果実が実る 血が葉を染め 根元に滴り落ちる」との「奇妙な果実」(木につるされた黒人の死体)を歌うジャズシンガーのビリーホリデイの歌声で始まった。アメリカの『タイム紙』は1939年に発表されたこの歌を20世紀最高の歌に挙げた。この小説が描いた、黒人を人間と思わずに簡単に抹殺してしまう1930年代の裁判に見る風潮と、「奇妙な果実」に例えられるほどの悲惨な実態は見事なまでに符合する。同番組では、20世紀後半にかけて広範囲に広がった公民権運動を経て、「変化はいつか起こる」(A change is gonna come)とサム・クックが歌ったように、21世紀になって米史上初の黒人の大統領(バラク・オバマ)が誕生した。しかし、それにも関わらず米社会の変化は未だ起こっているとはいえないとの嘆きで終わっていた◆行き詰まったかにみえる黒人差別撤廃の動きを立ち直させるには、何が必要か。自分本位ではなく、他人のために心を寄せ合う優しさと勇気が欠けていないか。それには人間の生命の平等を真に解き明かした思想哲学があまねく地球上に根付かせるしかないように思われる。ウクライナ戦争、中東でのイスラエルとパレスチナ・ハマスのいつ終えるか分からない憎悪の連鎖を見るにつけても、その感は強く深い。この小説に描かれた好奇心のかたまりの様なスカウトが、映画での仕草がたまらなくいとおしいスカウトが気になって仕方がない。そして小説の著者ハーパー・リーのその後どうなったのかも。映画を観たあと、小説を読んだ後に、このようにまで思わせられるぐらいに不思議な本と映画に私は魅せられてしまった。(2024-5-22)

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