この本は、河合隼雄が亡くなる一年前(2007年)に出された。副題に「あなたが子どもだったころ」とついている。山本容子、鶴見俊輔、筒井康隆、佐渡裕、毛利衛、安藤忠雄、三林京子の7人(掲載順)との対談集である。ほぼ全頁にわたって河合さんと7人の対談相手の写真(時には子どもの頃のもの)が入っている。皆素晴らしい笑顔だ。読みながらこれだけ笑った本は珍しい。河合が聞き上手なのだろう。見事なまでの面白いお話が聞き出されており、飽きない。一気に読み終えた。ほぼ全員判を押したように、子どもの時は勉強せず遊んでいたとのこと。それを厳しく怒られ続けたのは鶴見俊輔。15歳でアメリカへ行かされるまで、母親は「折檻するだけの人だった」と。この人のエピソードで興味深かったのは、小学校6年の成績がビリに近かったが、中学校へ上がる受験勉強の教科書が「牧口常三郎と戸田城聖の書物だった」ことをうちあけ、「ものすごくいい教科書なんだ。毎日10時間ぐらい必死で勉強した」と助けられたことを吐露しているくだり。俊輔少年の恩人が創価学会の2人の会長だったことを知って大いに驚いた◆学校での勉強にあまり意味がないことを感じさせたのは安藤忠雄。「成績は悪いけれど、魚捕りやトンボ捕りがうまい子どもだった」安藤は、後にボクシングにはまるものの、F・原田に出会って即その道を諦め、貯めたお金で外国へ行き独学で建築を学ぶ。「可能性に夢を与える人」と河合はいう。現在複数の内臓に欠陥を持ちながら活動を元気に続ける安藤を私は「無限の可能性を持つ生命力の人」といいたい。小説家は嘘つきとの私の自論の正しさを追認させたのが筒井康隆。母親の着物を売ってロードショーの高い券を買ったことがバレそうになり、「不良少年に脅かされて」との嘘の話を、以後ずっとつき通したというのはなんとも凄い。山本容子は「母はだめと言う。父はいいと言う。祖父はだめ、祖母はすごい喜んでいる」──「大人はみんな違うとわかってとても面白かった」と述べている。「子どもは迷わないと面白くない。(それが)生きていく勉強になる」と河合は、ユニークな人間の育つ源泉を指摘する◆一番笑えたものは佐渡裕の祖父の話。柔道8段の接骨師。朝からビールにウイスキーを混ぜて飲む豪快さ。京都の警察に柔道を教えにバイクで行きながら、ずっと無免許。生徒から免許がいると聞いて初めて知ったとか。その爺さんが婆さんを乗せて京都から亀岡の家まで帰ってきたら、後部座席にいない。「途中で落としたらしくて戻って拾いに行った」というのだから。毛利衛の場合は父親が動物病院をやっていたが「オートバイに夢中」で「教育に全く関心がなかった」人。「農家へ行って動物の病気を治してくるのはいいがお金を取ってこない」ほどの呑気者。彼が授かった8人の子どもたちの末っ子が宇宙飛行士になるのだからこの世は面白い。最後の三林京子は弟が泣かされて帰ってきたので、代わりに相手の家に行きボコボコに仕返ししたほどの超お転婆娘。文楽人形遣いの娘だが、中学一年から山田五十鈴のところに弟子入りして、女優で落語家になった。他の6人に「インタビューを終えて」を河合が書いているが、彼が対談後に病に臥したため、三林だけは、彼女が代役している。「本はたくさん読みなさいよ。僕は子どもの頃から本が大好きやった」と河合に言われたことがずっと気になる、と◆この個性豊かな6人との対談で、河合が自身の子ども時代を振り返っているところが興味深い。鶴見や筒井が思春期にグレていたのに、自分が「マジメ少年だった」から、「芸術的や文学的な才能のないのも無理ない」と。しかし、河合が結論するように「今更反省しても仕方のない」ことではある。過去に私も、自分の面白みのないマジメさを厭ったものだ。だがその都度、「いや、マジメさを貫いたから今の自分がある」と、自己肯定感を募らせたものである。この本での主張に共通するのは、現代の子どもたちがいかに不幸かという点。「お勉強」ばかりで、早くから「子ども力」が衰退させられているとの嘆きである。河合は世の親たちが自分の子どもの「本当の幸せ」は何かと真剣に考えてほしいという。また、子どもの育て方について根本的に考え直す必要がある、とも。こればかりは自己肯定感を持てない自分が恥ずかしい。(敬称略)
★他生のご縁 文化庁長官だった頃に
河合さんが文化庁長官の頃に出会いました。文化庁行政に注文を聞きに秘書役が来られたと記憶しています。感激した私はスピーチにおけるユーモア力の磨き方について参考になる本を教えてくれと、伝えました。
ご自身のある著作を指定されたので、読みました。ところが一向に面白くない。その通りに返事すると「そうですか。やっぱり」との答え。これには笑いました。自信のないものを挙げないでほしい、と。ともあれ愉快な人でした。