私が坂東眞理子さん(現昭和女子大総長)に出会ったのはこの人が内閣府男女共同参画局長当時だったと記憶する。もう20年近く前のことになろうか。今と同じようににこやかな笑顔を満面にたたえた風格に満ちたお人柄だった。官僚経験などを経て現職に就かれるまでの長い歳月があっという間に経った。この間表題の著作から直近の『与える人』に至るまで沢山の本を出版されている。実はつい先ほど党理論誌『公明』5月号に掲載されたインタビュー記事を発見し、懐かしい思いで読んだ。それをきっかけに『女性の品格』を初めて手にした。藤原正彦氏の『国家の品格』に続き、一連の〝品格もの〟が書店を賑わせたが、恐らくこの本が最も多くの人に読まれたものだと思われる。藤原氏の著作が彼らしいユーモア溢れる語り口ながらも、硬質のテーマを大上段に振りかざしたものなのに比し、坂東さんのものは母親に代わって娘たちに説いてきかすかのように、極めて読みやすい◆坂東はこの本を書いた理由として①女性の生き方が混乱しており、新しい美徳が求められている②権力、拝金志向の男性と異なる価値観、人間を大切にする女性らしさを社会、職場に持ち込んで欲しい③地球レベルの新たな課題に立ち向かっていって欲しい──の3つを挙げている。これらの目標への到達を目指して、具体的な日常生活での振る舞い方と、生き方考え方に関わる部分の2つを絡ませながら、品格とは何かが浮かび上がってくるようにしたと「はじめに──凛とした女性に」で書いている。思えば、1945年(昭和20年)に生まれた私の世代は、「戦後強くなったものは女性と靴下」だとの言い回しを良く聞いた。戦前は女性に参政権が認められていなかったことに象徴されるように、「男が主、女は従」で、「第二の性」との位置付けがまかり通っていた。今お茶の間で話題になっているNHK の朝ドラ『虎に翼』が日々描き出しているように、女性の人権が真っ当に認められだしたのは、新憲法が公布されてからなのである。出版から20年ほどが経つこの本では、日本の「男社会ぶり」を諌める言葉もなく、「女たちよ今こそ立ち上がれ」といった刺激的なトーンも見いだせない。ひたすら「強く、優しく、美しく、そして賢く、古くて新しい『女らしさ』の大切さ」(表紙の言葉)を説く◆「礼状をこまめに書く」に始まり、「倫理観をもつ」に至る「装いから生き方まで」の7章に66もの指標が挙げられている。このうち私が最も着目したのは、最終章の「品格ある男性を育てる」だ。「人間として品格のある人を、将来品格のある人になりそうな男性を選ぶ女性になってほしいものです」──この一文に著者の思いの全てが込められているように私には感じられる。その理由は私との初めての出会いの時の会話に関係するのだが後述したい。尤も、ここで結婚についての究極の選び方を挙げたが、そこに至るまでの困難さが現今の最大の問題となっている。先日もNHKの「クローズアップ現代」で、地方の若い女性たちが都会に流出する流れの背後に、政府の「地方創生」と「現実のズレ」があると、鋭く切り込んでいた。「働きがいのある仕事につきたい」のに、結婚や出産に干渉されたり、〝地域での役割〟を押しつけられてしまう──これでは生きづらさを感じるばかりだとのリアルな声が溢れていた◆これは見方を変えると、この本で説かれた品格を合わせ持った女性は苦労しないが、そうでない普通の女性たちは大変だということに繋がるのではないか。そんな思いが頭をよぎった。坂東さんの一連の著作のラインナップを見ると、学長になられてからのここ20年ほどの視点は〝政治離れ〟のあまり、女性を取り巻く課題解決への切り口が少々物足りないように思われる。民放テレビで声を張り上げる元国会議員や激しい政治家批判を繰り返す学者のように振る舞って欲しいというのではないのだが。そんな眼で坂東さんを見ていた私が冒頭に触れた月刊誌での「女性活躍のために支え合う社会つくる政策を」を読んで、思わずこれだと快哉を叫んだ。日本の女性雇用の現状は、「期待」「鍛え」「機会」の「三つの『き』」がまだまだ足りないとする。その上で、〝夫婦の人生〟を豊かにする社会に向かって、両親、親族、近隣のコミュニティー、保育所などが分担して支え合う社会をつくる政策を強調されていた。(2024-6-22)
【他生のご縁 国会の部会での私とのやりとりから】
党の部会にお招きして、男女共同参画社会をどう作っていくかの議論をしていた時のこと。私は坂東さんに、「日本の若い女性に晩婚化や非婚志向が強いのは、今の若い男に魅力がないからでしょうかね」と、軽いノリで問いかけました。
その時に彼女は、「お母さんたちが、自分ちの男の子たちを〝猫可愛がり〟するからでしょうね。根本は母親の育て方に原因あり、だって思いますよ」と。ギクっとしたものです。