【135】行間、紙背に滲むあつき志──細川護煕『明日あるまじく候』を読む/6-30

 作陶、書、水墨画、油絵、漆芸などを手がける元首相が、出版社の求めに応じて書いた古今東西の賢人たちの章句の中から50本を選んだ。題名は、本願寺教団中興の祖・蓮如によるもので「座右の銘」の一つという。副題は「勇気を与えてくれる言葉」。著者が80歳を過ぎた頃から編んだもので上梓された時は83歳。現役政治家を退かれたのは60歳。還暦後に人間として円熟味を増し続けた末の大いなる知的遺産である。この人が何を学び考え、いかに生きてきたかの輪郭が分かって、充実した手応えを持つ。単なる箴言集ではない〝次の世への手引き〟ともいえよう◆「細川護煕首相」が誕生し、8党派の連立政権が樹立されたのは1993年年(平成5年)夏。38年ぶりの自民党単独政権が「宮澤喜一首相」を最後に終わりを告げ、「連立政権の時代」到来となった。この時私も衆院選2度目の挑戦で初当選した。いらい30年余。あの当時を振り返るに際して、この本の持つ意味は大きい。日本新党立ち上げから総理就任を経て、退陣より現役引退まで、政治家としての出処進退に関わる記述が全部で5カ所ある。最も注目される場面は首相退陣。「家族や側近たちにも前触れせず、突然退陣を表明した」とある。進退は「自分ひとりで決断するしかない」ことを明かしている。背景には、当時佐川急便からの借金、NTT株購入など政治責任が問われていたことがあった。そこら辺には全く触れられていず、①歴史認識の明確化②自民党一党支配を終わらせた③コメの開放と④政治改革にも区切りをつけた──から「政権は長きをもって貴しとせず」との「細川美学」の披歴のみ。政権誕生より半年余り。退陣表明は一年生議員の私には文字通りの寝耳に水。驚いた。去り際の見事さは、政界引退時(1998年)も鮮やかの一語につきた。「座右において折りに触れて読んでいる」『徒然草』(吉田兼好)から「日暮れ途遠し。吾が生既に蹉跎(さだ)たり、諸縁を放下すべき時なり」(第百十ニ段)を引用し、「すべての義理を欠いて、己の心一つに生きていこうとそう決心したのだと」の解釈も付け加えた上で、「そしていまわたしはその通りにやっている」と、意味深長なひと言。ただ唸るしかない◆引退後20有余年。「欲無ければ一切足り、求むるあれば萬事窮す」(良寛)との生き方に打たれ圧倒された著者は、「腹六分で老いを忘れ、腹四分で神に近づく」(ヨガの教書)、「一生の間よくしん(欲心)思はず」(宮本武蔵)「行蔵は我に存す。毀誉は他人の主張」(勝海舟)「偉大さは単純なる生活の中にだけある」(イマヌエル・カント)などの箴言に裏打ちされた生き方を貫く。先達の言葉をあげ、解釈を施し文末の数行に己が自身の見解が披歴される。そんな中で、時折「寸鉄人を刺す」くだりが見逃せない。例えば、足利政権初期の宰相・細川頼之の「精神を充満すれば、閑雲に高臥するも天下を支配する」との心意気を讃嘆したあたり。いかなる地位についても「徳がなければ恥を天下にさらすことになる」として、人に感化を及ぼすことばかりに躍起となっている政治家の憐れさを強調している。また、ローマの故事を引いて、けれん味のない進退こそいちばん望まれるとする一方、「幕が下りたあとまで、いつまでもポスト・権力にしがみついて喝采を望む者はバカだとしかいいようがない」と切り捨てており、ひときわ印象深い◆10年前の2014年に都知事選があり、その時に細川さんは立候補した。衆議院議員引退後16年。政府の原発政策に反対して立ち上がったのだった。小泉純一郎元首相も呼応した、〝古きツートップ〟の反原発共同戦線に、個人的には大いに賛同したものだ。日本新党結成当時と同様に「家族はもちろん友人たちからも、そのドン・キホーテ的行動に頭がおかしくなったのではないかと真顔でいぶかられたものだ」。しかし、以前には「海鳴りのように呼応して立ち上がってくれた」動きも、その時は鳴りを潜めた。細川さんが立てた旗のもとに結集し国会議員になった日本新党のメンバーから、所属政党の変遷を経た上で、後に首相を始め、野党党首や与党幹事長、参議院副議長や知事になった人材は少なくない。「失われた30年」と位置付けられ、みたびの「77年の興亡」が幕開けしたいま、細川さんのような〝鞍馬天狗的正義感〟を持ち合わせた人物はもう出てこないのだろうか。(2024-6-30)

【他生のご縁 50歳の誕生日を祝っていただく】

 1995年11月に私は満50歳を迎えていました。そのときに同僚の太田昭宏氏(1945年10月誕生)と共に、細川護煕前首相から誕生日の祝いの席を持っていただきました。場所はとあるイタリア料理店。呼びかけてくれたのは、我々2人の若き日の職場のトップだった市川雄一元党公明党書記長です。

 この本の冒頭で「人間50年、化天のうちを比ぶれば夢幻の如くなり」を引いて、信長が謡い舞った曲舞の謡曲『敦盛』の一節に言及されていますが、あの日、細川さんから胸の内の一端をお聞きしてより、ほぼ30星霜。改めて「海に向かって旅立つ者」の思いで、希望に満ちた新しい時代を切り拓く決意に立っています。

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