【137】あの母ありてこの娘あり━━小池百合子『自宅で親を看取る』を読む/7-13

 女性初の都知事になって8年。小池百合子さんはこのたび3期目の当選を果たした。その母親が2013年(平成25年)に肺がんを医師から宣告され、娘の小池さんが自宅で看取るまでの12日間の介護日誌である。2005年〜06年環境相を経て防衛相(07年)、党総務会長(10-11年)など要職を次々と経て、都知事になる3年前のことだった。当初から短い期間だと分かっていたし、現職国会議員の様々な利点があるとはいえ、「親の介護」はやはり並大抵のことではない。世間では、諸般の事情でしたくともできない。様々の苦労が祟り身体を壊す。あるいは最初からその役目を放棄するなど悲喜こもごものドラマに溢れている。小池さんの「看取り体験記」は実に味わい深くためになる。これまでその政治的信条に好感を抱けず、ご縁のなかった人たちも含め、今に生きる現代人にとって得難い書と言っても言い過ぎではない◆「平成25年の夏、日本列島は記録的な猛暑に見舞われていた」との一文から始まるこの本は実に読みやすい。5行後に続く、「八十八歳の母は疲れきっているように見えた」から一気に引き込まれる。実はこれより少し前の5月末に小池さんの父・勇二郎さんが90歳で亡くなったばかり。父親の場合は特別養護老人ホームに入っていて、併設の病院で「大往生の死」を迎えた。そのショックもあり母・恵美子さんは一段と暑さもこたえたのだが、遡ること1年半ほど前に肺がんを告知されていた。そこから一気に病が昂じていく。その後の状況を確認すべく検査入院をしたところ、医師から「あと1ヶ月」と告げられる。以来、最期を「病院か、自宅か」どちらで迎えるかの〝悩みの顛末〟が克明に語られる。母上ご本人の当初からの希望が「自宅で」にあったことが決め手となった。尤もこの本のサブタイトルに、「肺がんの母は一服くゆらせて旅立った」とあるように、無類の愛煙家だったことが大きい。退院した9月5日から、息を引き取る16日までの12日間の看病。あたかも名画を見るような母娘の愛の交流が麗しい◆この本の構成は①母娘の決断〜娘の覚悟②最期まで自宅で〜12日間の介護日誌③穏やかな看取りのために〜在宅医療の現状と課題との3章となっているが、実は随所に〝ミニ自伝風趣き〟が散りばめられている。両親と兄を含む家族のこと。どんな少女時代だったか。なぜエジプト・カイロ大をめざしたか。政治家に直接関わる部分は行事日程ぐらいだけだが、しっかりと「人間・小池百合子」が挿入されている。中でも、アラビア語を学ぼうと思い立つ場面は興味深い。高校2年17歳の時(1969年)にESSの夏合宿先で、アポロ11号による人類初の月面着陸シーンを観た。鳥飼久美子さんらの同時通訳を目の当たりにした瞬間、「凄い」って心を鷲掴みにされる。と同時に「こりゃかなわん」と、英語の世界での数多の競争相手に抜きん出ることの難しさを自覚した。英語以外の別の言葉で勝負しようと方針転換をしてしまうのだ。何語にするか。ヒントを求めて父親の本棚を眺めているうちに一冊の本が目に飛び込む。『中東・北アフリカ年鑑』だった。石油にゆかりのその年鑑を繰っていくうちに、エジプトの項で、「カイロ大学」を見出す。「これだわ!雷に撃たれたように、私はここで心を決めてしまう。私は、アラビア語を勉強するのだ、それも現地で」と。〝運命の選択〟はこうして決まった◆我が両親は2人ともガンで逝った。母は父が看取り、父は姉や弟が看取ってくれたがいずれも東京にいた私は間に合わなかった。小池さんの献身的な振る舞いに胸締め付けられる思いがする。最後の章での「延命治療と尊厳死」についてのくだりに特に注目される。経験に基づき「何か事が起こったとき、どこまでの対応を望むのか。それを母がまだ元気な頃に、具体的に聞き、書面にしておけばよかった」と後悔している。そこまでするかどうか。老々介護目前の己がケースでの心構えが問われる。小池さんの両親は赤穂市と縁があり、ご本人は兵庫東部で育った。後に彼女が衆議院候補として立った選挙区は旧兵庫2区である。この人の政治家歴で、細川護煕、小沢一郎、小泉純一郎ら首相級の名だたる先輩たちとの〝師妹関係〟はあまねく知られている。故安倍晋三元首相の心胆を寒からしめたのは「希望の党」設立当時の小池さんだった。その動向を衆院選のたびに気にする向きは未だ消えず、いつ再燃するかどうかも誰も分からない。(2024-7-13)

【多生のご縁 衆議院予算委員会室前で座り込んだり、応援演説をした仲】

 住専問題で大騒ぎの頃(1996年)。小池さんと私は衆議院予算委員会室の前で同じ政党所属(新進党)の者同士として一緒に座り込んだ。携帯電話が普及する前、AI端末も何もない頃。彼女は必ず近い将来それらが普及することを熱く語っていた。

 「小池百合子さ〜ん。男にしたいいい〜女性です」━━公明党の講演会で支持者を前に、彼女を紹介するべく壇上に並んで立った私は、開口一番こう切り出しました。あの頃は私も怖いもの知らずだったのです。

 

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