(159)50年前と本質的には変わらない政治的風景ー『見損なわれている中道主義の効用』➌

公明党が誕生して50年余り。目標とした理想は達成され。「物語」は完結したといえようか。残念ながら否である。右翼に位置付けられてきた自民党は、相対的により洗練された存在感のある政党であるとはいえ、依然として金権腐敗的体質はぬけきれず、その呪縛にとらわれた政治家は後を絶たない。一方、左翼に位置してきた社会党の系譜を受け継ぐ社民党に昔日の面影はない。また、民主党は一たび政権の座を襲うも、あまりにお粗末極まりない運営で天下に恥をさらけ出してしまった。その結果として、いかに隠そうとも革命政党の本質を持つ共産党が左翼の一方の旗頭たろうとする現在は、大衆にとってただひたすら不幸という他ない▼かつて自民党の幹事長を務めたのちに、同党を飛び出し、打倒自民党の闘いをそれこそあらゆる手段をもってして果たそうとし続けた小沢一郎氏。その彼がまさに刀折れ矢尽きた姿でなお一人共産党とまで組もうとしていることは、流石に贔屓目(ひいきめ)が過ぎるとはいOえ、自民党政治の問題点をあらわにしていると見れなくもない▼最近話題になっている元朝日新聞記者で東洋大教授の薬師寺克行氏の『公明党』によると、大衆救済を目的にした公明党だが、当の大衆がかつてのような貧困から脱却し、豊かになったゆえ、そのアイデンティティーを見失い、再構築が迫られているという。しかし、本当にそうだろうか?私はそれは違うと思う。50年経って確かにかつて貧しかった層が豊かになったが、一方で「豊かさの中の貧困」は顕著になり、社会全体を覆う経済的格差の大きさも見過ごすことが出来ないものとなっている▼加えて言えば、元々創価学会の目指した救済対象としての「大衆」とは、経済的側面からのもののみではない。心やからだの健康を含めた全人間的側面を意味するものとしての存在であった。この50年の歳月は、心の病を持つ統合失調症の患者の激増やら引きこもり、登校拒否の子どもたちや若者たちを生み出してしまった。新たな課題の激増に見るように、大衆は一段と厳しい日常的状況に晒されており、救済の手が差し伸べられることをひたすら待っていることに何ら変化はないという他ないのである。(2016・6・30)

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