またも高嶋哲夫さんの本である。しかも学校教育もの。もういいよって声が聞こえてきそう。でもそう言わないでほしい。とっても価値あるアメリカ学校現場探訪記といえるので。ただし紙の本はもう絶版だから書店では手に入らない。彼のもとにも2冊しか残っていないという。で、彼が送ってくれたのは紙の本ではなく、デジタルデータである。昭和56年(1981年)に書かれたもので、先日取り上げた『カリフォルニアのあかねちゃん』と共に、彼の作家生活の初陣を飾る対をなす。私のアイパッド画面いっぱいに極小文字が横長で並ぶ。同時に文字の拡大を拒む仕様とあって、読み辛いことおびただしい。読みかけると一気に目が斜視度を強め近視もさらに進みそうなんで、ゆっくりじっくり時間をかけた。高嶋さんによると、今アマゾンでは17505円の値が付いている貴重本とのこと。ということで、頑張った。ここではこの本のさわりの部分をご紹介した上で、日本の学校教育との比較を試みたい◆アメリカの義務教育と、大学での生活のあらましについては、最新ブログ『後の祭り回想記』No.206(3月8日号)に書いているので、それ以外のものについて日本に見られない特徴を挙げておく。まず英才教育についてMentai Gifted Minor (MGM)と呼ばれるものがカリフォルニアの例で述べられている。心理学の専門家が各学校を周り、2年生以上の児童の中から教師の推薦で選ばれた子どもに知能テストを行う。IQ132以上のものたちを選び出し、MGMクラスに入れて特別教育をしていく。このクラスには州から特別な予算が支給され、それぞれの才能に応じて能力強化への便宜が図られる。科学や芸術分野に興味を持ち、それなりに力があると認められると、特典が得られるというのは驚く。なんだか社会主義国家みたい。また、初等教育の中での教える側のボランティアの存在というのは、日本と大きく違う。例えば、ルームマザーという人たちが教員と共に生徒たちの面倒を見ていく。父兄と先生が一緒になって子供たちを育てるという発想である。また、米国では家庭が学校の代役をする仕組みもあるというから実に自由そのものだ。もちろんアメリカの学校現場にも多くの問題はあるのだが、日本のように中央集権国家ではなく、50の州ごとに各地域の独自色を発揮しながら自由そのものの教育展開は、突出した人材を生み出すのに好都合なのだろう◆一方、足並みの乱れを恐れがちな日本は、結果として画一化に靡いてきた。戦後80年。これまで日本の教育は文部、文科行政による「詰め込み教育」の是非を巡っての「ゆとり教育」導入の混乱など、その定見のなさが指摘され続けてきたことは周知の通り。気がついたら、世界各国の大学との格差が只ならざる歪みを示しており、愕然とする。学校現場は、①教員の長時間の過密労働②教員の志望者減③教員不足・未配置④非正規教職員の増加⑤精神疾患など病休者・中途退職者増⑥不登校やいじめに対する子どもの指導やケアの不足など数多くの問題で疲弊していると言わざるを得ない。つまり日本の教育はインフラから、表面上の見栄えまで。ことごとく元気がない。この現状はなぜか、これをどうするのか◆偶々9日に神戸で開かれた教育講演会で、栃木・作新学院大の渡邊弘学長が来られるというので駆けつけた。この人、自民党の船田元氏(元経企庁長官)の盟友的存在と聞く。講演では、日本の教育現場が幾たびも危機が叫ばれた末に、遂に今危急存亡の危機に直面していることを強調された。それを救うのは「人間主義の創価教育しかない」との漲る確信。牧口、戸田、池田と三代会長の教育に関する箴言を散りばめた講演の迫力には改めて心揺さぶられた。慶大での恩師・村井実教授からの直伝がご本人の「創価教育研究」の契機になったとか。知らずにきた。内に教育現場の混乱。外に国際社会の暗雲。「二重の危機」に苛まれている日本の現状を、10年大学の後輩になる教育学の泰斗から突きつけられた。恥ずかしい。危機に至った根底の責任は共に政治にあると思うがゆえに胸締めつけられる思いがする。創価の庭で育って60年。公明の旗の下で動いて30年。一体自分は何をしていたのか、と。(2025-3-10)