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四国遍路と幼児誘拐事件ー柚月裕子『慈雨』を読む

定年退職した警察官・神場が妻とともに四国八十八ケ所のお遍路旅に出る。その旅の最中に彼が現職だった群馬県警の所轄で、少女誘拐事件が起こる。後輩たちと協力しつつ、事件解決に意を配りながら続けるお遍路。16年前に自らが捜査に携わった事件と酷似していることが痛烈に心を疼かせる。曖昧かつ不確かな終わらせ方をしてしまった以前の事件と新たな事件との間に、もし繋がる背景があるなら、第三の事件がまた起こるかもしれない。殉職した仲間の一人娘を養女にしていた神場夫婦。後輩の刑事・緒方がその養女と愛し合う仲に。警察官という過酷な仕事と家族という愛の結節場の絡み合いの難しさ。徳島から高知、愛媛を経て香川へ。巡礼の旅のゴール直前に一気に解決へと事件捜査は展開する▼この人の本を読むのは2冊目。最初に読んだ『孤狼の血』はとてつもなく迫力があった。同名の映画は、かつて興奮して見た映画『仁義なき戦い』に勝るとも劣らない内容だった。女性の作家とは俄かに信じがたいほどというと、パワハラになるかもしれぬが、ハードボイルドそのものの作品だった。今度読んだ『慈雨』は新聞広告につられて読んだもの(いきなり文庫本発売が嬉しい)で、読み終えての手応えはまずまず。女性らしい視点が随所に窺えるきめ細やかな配慮が読み取れる作品ではあるが、人物の描き方がやや淡白かもしれない。中心人物以外、人物像が今いち印象に残らない。その分、お遍路の周辺のことには詳しい。作者が歩かねばこうは書けないはず▼四国遍路といえば、因果なことに菅直人元首相を思い起こす。宗教的体験を政治に利用した粗忽でいい加減なケースである。日蓮仏法の信徒としては「真言亡国」との日蓮の規定づけが思い浮かぶが、今流行りの地域おこしにとって四国はこれ無くして語れないから厄介だ。総本山の高野山は今やインバウンドの聖地の感すら漂うが、お遍路は距離からも数からいっても遠く、かつ対象が多すぎるかもしれない。このところ徳島に行く機会が多く、後学のためにと一番寺の霊山寺には行ってみたものの、今関わっている美波町の薬王寺には外見だけでとても行く気にはならない。そういう風にこの本におけるお遍路の描き方には興味がないわけでは無かった。だが、このことは事件の本質と全く関わらない▼幼児誘拐殺人事件はこのところ頻発している。いたいけな少女を誘拐し性的な陵辱を加えるなどして、死に至らしめるなどといったことはおよそ許しがたい犯罪である。この手の犯罪者が繰り返す心理や、全国の刑務所におけるこうした犯罪で刑に服する者たちの数などあれこれと語られる。私はこうした犯罪のディープな描かれ方にはとんと興味がない。悲惨な現実、目や耳を覆いたくなるような場面は生理的に受け付けない。大嫌いだ。「お家に帰りたい」という幼女の言葉を聞いただけで胸塞がる思いだ。この小説はむしろそういうことよりも、夫婦の情愛、親子の心理、職場の厚情などに注目すべきくだりが多いかもしれない。この夏休みに訪れた姫路市北部の安富町にある日本で唯一の坑道ラドン浴・富栖の里の洞窟で、これを読みふけった。そしてひとっけが全くない田舎のログハウスに泊まった。夜の夜中に夢の中で、窓から覗き込む人影を感じて目を覚ました。不気味で気持ちが悪かった。昼間読んだ小説の場面からの影響だった。真夏の夜の出来事にしてはまったくできが良くない。(2019-8-10)

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2019年8月10日 · 7:49 AM

誘われる村上春樹との比較ー夏目漱石『それから』を読む

第一巻から読み進めてきた漱石全集も第6巻となった。『それから』である。漱石の小説のタイトルは凝ったものや単なる思いつきのものなど、色々とあるが、これは動的な印象を与えるだけ良い部類に属すると思われる。『三四郎』から『門』に至る漱石の前期三部作の中間に位置するもので、さあ、それからどうなるのかって、発表当時には新聞小説の読者に期待を抱かせたに違いない。男女の出会いから始まって別れに至るまでの種々の類型を描いたものとして、興味深く読める。ここでは『それから』に見る、漱石文学と村上春樹文学との類似性やら異質性などほんのチョッピリ感じたままを述べてみたい▼まず、この小説のあらすじを超戯画化的に要約する。主人公(代助)は、友人に自分が好きだった女性を斡旋して結婚させてしまう。ところがその二人の仲が良くないと見るや、かつての自分の思いを復活させ、その女性に言い寄る。彼女もこれを受け入れる。という筋立てを知った友人は主人公の父親にその非を訴える。30歳を越えて結婚をしない息子に業を煮やしていた親父はその理由を知って激怒し、勘当してしまう。生活の全てを委ねていた父親に見捨てられ、主人公は波のまにまに漂う。およそ乱暴なまとめだが、この間に重要なファクターとして彼女の心臓病という患いが厳然とした位置を占める▼こうした出来事は私たちの周りにも散見されるのではないか。尤も、二人の仲が悪くなることや、不幸を期待しながら、期待ハズレに終わったり、あるいは、言い寄ったところで、受け入れられずに終わるなどといったケースが多い。わたしは最近、村上春樹の小説を時に応じて繙く。100年の歳月を隔てて、漱石と春樹というそれぞれの時代の寵児の小説作法の違いや類似性に思いを寄せてみるのは面白い。この二人の作家、描くところの主人公の人間の佇まいが極めて似通っていることに驚く。風来坊というべきか、全く呑気な自由人が描かれる。「何でも都合のよさそうな時間に出る汽車に乗って、其の汽車の持っていく所へ降りて、其所で明日迄暮らして、暮らしているうちに、又新しい運命が、自分を攫ひに来るのを待つ積であった」ーこういう主人公は春樹のものにも、いつも出てくる。先日取り上げた『騎士団長殺し』や、この間読み終えた『海辺のカフカ』などにも。明らかに春樹は漱石を意識していると私には思われる▼一方、違いといえば、漱石のものには出てくる処世訓じみた記述が春樹にはなく、ひたすら音楽や絵画など現代芸術や風俗に関する蘊蓄が披瀝されるばかり。そして男女の濡れ場が露骨な表現を持って直裁に語られるものと、比喩を通じて回りくどく、時に秘められたように語られるものとの違いも大きい。例によって、『漱石激読』では、「代助の性的な欲望も花に託されています」とか、「当時の内務省の検閲官に読み取れなかった性的な描写が漱石の小説にはものすごく繰り込まれている」と云った風に〝深読み〟が繰り出されて、ただただ圧倒される。それにつけても「心臓小説」であるとか、「植物小説」だとか云われると一体自分は何を読んだのだろうかと、自信喪失に陥ってしまう。(2019-8-6)

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無実の選挙違反で逮捕された女流作家の叫びー柳谷郁子『風の紋章』を読む

今回の参議院選挙が始まったばかりの頃、姫路に住む作家の柳谷郁子さんとお会いする機会があった。彼女の著作はこれまで幾たびか取り上げてきた。評論家の森田実さんとのご縁を私が取り持ったこと。そこから新たな出版社との繋がりも出来ることになった。そんなこんなで親しさも増したが、彼女にとってとても大事な本である『風の紋章』は読まずにきた。無実の選挙違反で留置場に入ったとのテーマに、どうしても触手が動かなかったからである。それが変わったのは、ご本人からの「読んで欲しい」との改めての強い勧めが全てだった。喜寿をとっくに過ぎたご高齢にも関わらず、凛とした中に美しさを湛えた佇まい。その秘密を解く鍵がこの本の中に込められているのではないかと思い直し、頁を捲っていった▼1991年の統一地方選挙で、それまで姫路市議だった夫君が県議選に出馬し落選した。その直後に若い事務所員がアルバイト料の買収容疑で警察に逮捕された。およそ信じられない事態を前に、彼女は身代わりを申し出て、そのまま共に逮捕される。その事実を基に、釈放後一気に書き上げたという。サブタイトルは、「留置ナンバー・婦55」と生々しい。参議院選挙の最中でありながら、神戸までの車中といった細切れの時間を寄せ集めて一気に読んだ。罪深き警察の誤判断。巧言に隠れた選挙の裏面。立場が狂わせる人の振る舞い。作家、市議夫人として多くの人々の信頼を勝ち得ていた存在が、海岸の盛砂のように崩れゆく様がリアルに赤裸々に描かれる▼彼女のこの事態における行動を突き動かしたものはただ一つ。無実の罪を被せられた青年を救いたいとの一念だけ。それあるがゆえに身代わりを申し出た。ところが警察権力はそう甘くない。結局二人とも逃れられぬ身に。この辺りの狂おしいまでの筆致は読むものをして、奈落の底に突き落とすかのように切ない。取り調べにあたる刑事。留置場における看守。同じ場所に盗みの罪で入ってきた「ぞっとするほど綺麗」な少女とのやり取りなど一つひとつ深く心に残る。選挙という〝祭りごと〟の背後に、一皮めくると暗い別世界が潜むことを突きつけられる。しかし、それでいて人の世の情けというものの有難さも十二分に味わえる。とりわけ最終節の「天からの贈物」はもう涙無くして読めない。そして強く堅固な家族の絆にも▼実はこの時の兵庫県議選に私は出馬する予定だった。直前の衆議院選で次点落選し、県議選に鞍替えをする決意を固めていたのだ。だが、結局は衆院選に再挑戦することとなり、ギリギリで取りやめた。その後暫くして私は無事初当選した。〝苦節足掛け5年〟に翻弄されていた私には、柳谷さんの苦悩は戦場における〝遠い砲声〟のようにしか聞こえなかった。当時は未だ知己を得ていなかったこともあるが、申し訳ないしだいである。以来今日まで多くの政治家や関係者が様々な理由で獄に繋がれるケースを見てきた。最も印象に残っているのは、共に厚労省で働いた村木厚子さん(後に事務次官)の冤罪である。彼女とはひと夜じっくりと体験談を聞く機会があったが、やはり家族の有難さを命の底から語られた。どんなに辛くても夫や娘の励ましあったればこそ乗り切れた、と。獄中で塩野七生の『ローマ人の物語』全15巻を読みきったとの話と合わせて忘れがたい。中国の故事に「疾風に勁草を知る」とある。柳谷さんも、村木さんも、「怒髪天を衝く」思いを持ちつつ、共に見事に乗り越えられて今があることをしみじみと感じさせられる。(2019-7-25)

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山口代表の青春期に与えた親父さんの影響ー新田次郎『ある町の高い煙突』を読む

なぜ今この本なんだろうか。遥か昔の1968年に『週刊言論』ーこれがまた懐かしい。創価学会系の週刊誌ーに初めて書かれた。単行本が翌年に文藝春秋から刊行された企業公害にまつわる本である。そしてついこのほど50年ぶりに文庫(1978年刊)の新装版として出された。その上、映画化もされたというから凄い。新田次郎『ある町の高い煙突』を私が読もうと思ったきっかけは、なんと、山口那津男公明党代表のインタビュー記事(毎日新聞5月21日付け)を見たことによる。新田次郎氏と同じ気象庁勤めだった山口代表の親父さんが、新田氏に語った史実が小説誕生の発端だという▼筋立ては、明治から大正期にかけて茨城県日立市の煙害問題で、鉱山側と被害者の農民側が交渉した結果、156mもの超高層煙突を立てることで、公害被害を克服したというもの。加害者としての企業と被害者としての住民側が、力を合わせて問題解決に当たったところが他の公害のケースと全く違う。当初は対立していたが、やがて一体となって課題解決に当たるようになる。ここらあたりが今になって、脚光を浴びていることの背景にありそうだ。尤も、小説の運び方としては、新田次郎の他のものに比べて、いささか物足りない。男女の描き方の淡白さも、主人公の人間的掘り下げにも不満足感が残る▼じつは、先日参議院兵庫県選挙区の公明党・高橋光男候補の選挙事務所に山口代表が立ち寄られた。束の間、応接コーナーで事務長を務める私と、二人だけの会話をした。「遥か以前に話題になった本がなぜ今また?」「SDGsの影響ですね」「はあ」ー日本だけの枠組みではなく世界的な観点から見て、持続可能な社会を目指すということだろうかー「中国を始めこれから世界で公害問題が先鋭になってくるのでね」「なるほど」「父が着眼したことが今に蘇ってきて、感慨深いですよ」「私はまた原発事故との絡みかと」「それもあるでしょうけどね」ー先の毎日新聞の記事によると、山口氏は、課題にぶつかった時の当事者のありかたとして、「粘り強い対話」や「課題を直視していかに克服するかという高い志」、そして「互いに協調して課題を乗り越えていく姿勢」といったことを学んだと語っている。対立、対抗、分断でなく、対話によって協調して課題を解決することを、高校生の時に父から叩き込まれたような気がする、とも述懐しているが、やはり「栴檀は双葉より芳し」といったところか▼山口代表とは長い付き合いだが、こうしたことは初耳だ。公害問題追及から政党間の合意形成まで、戦後政治史における先駆的役割を果たしてきた公明党。その中興の祖とでも云える山口代表の精神形成に預かって大きな力があったと思えるのが、父上の見聞録だったとは。このお話の主人公関根三郎と山口那津男がわたしには重なって見えてくる。今から46年前に池田先生が結成された「中野兄弟会」。千人を超える当時の創価学会中野区男子部の仲間たち。その中から5人の国会議員が誕生した。山口那津男、漆原良夫、魚住裕一郎、益田洋介(故人)、そして私。私を除く4人はいずれも弁護士経験者。今回、魚住氏の引退で、もはや現役政治家は山口氏だけになってしまった。政治家の資質が問われる中で、同氏は一段と重要な存在になってきている。これからもっともっと政治周辺のことやら、公明党の歩むべき路線についても語って欲しい気がする。(2019-7-13)

 

 

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日本の未来を変える力ーしもの六太『君のために走り続けたい』を読む

ユニークな体育の先生が参議院福岡選挙区の公明党の候補として出ると聞いて深い興味を持った。そして当のご本人が書いた本を読んだ。しもの六太『君のために走り続けたい』である。サブタイトルは、「国は人がつくる   人は教育がつくる」。帯には「世界一受けたい教育を、この国に!」とある。読ませるに十分なキャッチコピーが並ぶ。おまけに、表紙扉を開くと、新しーもの  たくましーもの  素晴らしーもの しもの六太 と「君のために走り続けたい」との「しもの六太ソング」の歌詞が続く。ユニークな人の魅力溢れるユニークな本である▼地元福岡の新聞やテレビで紹介された「しもの式体育」の真骨頂とは何か。先生が頂点にいて生徒たちに命令を下すとの上意下達方式でなく、ひとりの生徒も置き去りにしないように、目配り気働きを貫くところにポイントがある。しかも、「出来る」生徒が「出来ない」生徒の横についてアシストするという仕組みだ。名付けてスモール・ティーチャー=ST。これって聞くと、なるほどと思うものの実際にはそう簡単ではないはず。先生と生徒の絆が相当に強くないととてもうまく行かぬだろう。現場を見たいとの欲求が募る。水泳の授業でクロールを全員がマスターするまでの経緯など、読み終えて心から賞賛したい気持ちになる▼「いじめ」から「不登校」そして「引きこもり」といった昨今の教育現場で起こっている非常事態についても、しもの先生の一人も置き去りにしないとの執念と行動力には頭が下がる。「ヒューマン」という生徒相互の「日常の思い」の記録を発行したり、不登校の生徒をランドクルーザーに乗せて遊びに誘ったり、生徒たちとのキャンプを独自に企画するなど、実に多彩な試みを繰り出す。それもこれも子供たちの心のひだに分け入る行為に違いない。ハードルを前に「どこをどうしたらうまく跳べるようになるんか。全然わからん」との子供の正直な言葉を聞いて、しものさんは「だれにでも実践できる体育」を研究し始めた。この辺り、鉄棒も跳び箱も、勿論水泳のクロールもろくすっぽ出来ずに学校を卒業した私など、生まれ変わってしもの先生に教えて貰いたいような気持ちになる。高額の視聴覚機器を私財を投げ打って購入し、「実験証明」してみせたというのだが、何でも公的補助金に頼りたがるどこかの誰かに見習わせたい▼こうした体育の先生・しもの六太という人物はどんな環境で育ったのだろうか。第1章「たくましき庶民の誇り」と第3章「夢は必ず叶う」は、テレビドラマにしても必ず高視聴率を得るに違いないと思わせるような、人情味溢れる家族のありようが描かれている。実に面白い。一方、最終章の「未来への扉」では「世界一受けたい教育をこの国に」というキャッチコピーのもとに❶一人も置き去りにしない❷家庭における教育費負担を軽減❸子どもの命を守るーといったビジョンが示される。教育現場での実績を基にしたものだけに迫力がある。巻末には、鉄棒、マットの授業風景がタレント林家まる子さんとひとり娘のこっちゃんとの写真で紹介されていて分かりやすい。逆上がりが出来ず悩んでる我が孫に見せたい。そして〝夜回り先生〟の水谷修さんとの教育対談も。「日本の未来を変えるのは体育教育だ」との二人の合意が力強く伝わってくる。これまで「教育立国」なる言葉を口にし、また人からも数多聞いてきた。だが所詮は空理空論の域を出ないものが多い。それがこの本を読むと、あるべき「教育」の姿がくっきりと浮かび上がってきたとの実感を持つ。見かけは薄いが、実に厚い中身を持った本に出会って大いに満足している。こんな政治家が活躍する日が待ち遠しい。(2019-7-6)

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燦然と輝く一期6年の活躍ー矢倉かつお『現場を走り 世界に挑む』を読む

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名外交官の道を飛び超えるためにー高橋みつお『世界を駆けた、確かなチカラ。』を読む

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華麗なる比喩の乱舞に潜む寓意ー村上春樹『騎士団長殺し』一部、二部を読む

『騎士団長殺し』という村上春樹の小説のタイトルがずっと気になっていた。文庫本発売を待って、このほど読み終えた。例のごとく、通常の小説を読む感覚では到底わけがわからない〝村上ワールド〟の披瀝なのだが、読み出すと結局吊り込まれてしまう。そして、読み終えての後味は悪いようで良いような、とても複雑だ。いつものことだ。「古い祠から開いた世界の輪」 が広がって、鈴の音がどこかから不気味に聞こえ、絵の中から身長60センチほどの騎士団長が出てくる。地下の迷路や三途の川めいた〝あちら側〟のようなところで「顔のない男」に出くわし、また〝こちら側〟に戻ってくる。村上春樹って小説家を巡っては、過去に大江健三郎や柄谷行人、蓮實重彦といった錚々たる小説家や批評家がこぞって批判の矢を浴びせたものである。だが一方でこのほど亡くなった評論家の加藤典洋さんのように最初から評価する人も少なくない。勿論、海外におけるファンは圧倒的に多い。こうした狭間にあって、私自身の評価はやじろべいのように右に左に揺れ動く▼随所に顔を出す音楽の幅広い知識。絵画についての造詣の深さ。凡庸なる身には計り知れない芸術的嗜好。そして登場人物の生活習慣のありようの特異さの描き方。着ているものから、乗る車や部屋の佇まいに至るまでの書きぶりは印象深く心に残る。そういうところに出くわすと、思わずその該当箇所に付箋を貼ってしまう。尤も、人妻と主人公とのセックス場面の精密極まる描写には年甲斐もなくどぎまぎする。いや正直それを通り越して辟易する。小説だからこういう濡れ場を出さないと読み手に飽きられることを、この人も恐れるからなのだろうか。いつも性懲りも無くせっせと描いてくれる。この辺り常に変わらぬ小説家的商法に見えてしまう▼それにしてもこの著者の比喩の使い方には感心する。多彩に展開される比喩の乱舞は見事だという他ない。暇があったら、村上春樹・比喩類例集とでも云うようなものを作ってみたい気がする。新聞記者として長年文章修行をしてきたものは簡潔さを旨とするため、どうしても美的要素は後回しにしてしまいがち。ゆえに、比喩の使い方がなかなか上手くならない。村上春樹の文章は小説家の書くものとして見事なお手本である。比喩と似て非なるものとしての暗喩や寓意の華麗なる散りばめ方については、もはや分別不可能なものにわたしには見える▼先日、村上春樹氏の作家生活40年を記念して、共同通信社が『騎士団長殺し』を巡ってのご本人へのインタビューを試みた。そこでは「意識の底にあるものを探求していくことが自然にテーマになってしまいます」と語り、「意識を掘っていくと、その底にあるのは一種の魑魅魍魎です。そういう暗闇の中から何を引っ張り出してくるのかというのは、最終的には勘に頼るしかない」と興味津々たる手法を披瀝している。つまりは村上春樹をどう読むかは、心理学の仕事であり、宗教や神話の世界によるアプローチが最も有効かもしれない。と、ここまで書いて、ひょんなことからNHKカルチャー講座「文学の世界」における心理学者の河合俊雄(京都大心の未来センター長)さんの、この本の読み方を音声で聴いた。なるほどと思わせられる。さてさて、村上春樹は「むずかしい」(加藤典洋)のだが、それでいて「くせになる」(清水良典)。(2019-6-1)

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リアルに暴く大統領選の内幕ー小川聡、東秀敏『トランプ ロシアゲートの虚実』を読む

たまたま訪れた姫路市図書館で、お勧めコーナーに置いてあった数多の本の背表紙に、友人の名を発見した。小川聡読売新聞前アメリカ総局長である。随分と会っていない。その著作『トランプ ロシアゲートの虚実』を、久しぶりに貰った手紙を読むように貪り捲った。もう15年余りも前のことだが、公明党担当記者だった彼と付き合った。外交、安全保障分野に強い関心持つ学究肌の青年記者との懐かしい日々が蘇る。ドナルド・トランプ米大統領の〝弾劾に至る病〟とでも云うような実態が克明に記されたこの新書は、「分断」に喘ぐ現代アメリカを理解する上で格好の手引き書である▼米大統領といえば、我々の世代では若き日にジョン・F・ケネディに憧れの後の悲しみを抱いたり、リチャード・ニクソンに驚嘆の後の失望を抱いたものである。長じては、ビル・クリントンの下半身のふしだらさに呆れたり、バラク・オバマの毀誉褒貶の激しさに舌打ちもしてきた。それでも建国二百五十年の気鋭の国の最高権力者にはそれなりの風格と権威が備わっているものだと信じてきた。ところが、ドナルド・トランプときた日には、不動産業で巨万の富得た、自分本位の金の亡者と云う他ないようなとんでもない人物なのである。加えて、大統領就任と同時に大きく浮上して日本でも連日伝えられてきたロシアゲートの不可解さ。一体何がどうなってるのかとの懸念を持ってきた人は多かろう。この本では複雑怪奇なその現実を小川氏が、米国安全保障企画研究員で米露関係に詳しい東秀敏氏とともに徹底的にほぐし、わかりやすく解説してくれている▼この本を読んで改めて分かったのは、トランプ氏は、実業家の頃からロシアに関心を持ってきており、「ロシアマネーとの特別な関係」は今に始まったことではないということだ。ロシアからすれば、かねて篭絡しやすい対象としての存在だった。大統領選出馬と同時にプーチン以下のロシアの関係者がほくそ笑みながら、勝たせようとしたことは想像に難くない。第1章のFBIとの対立から第5章の「米露冷戦2・0」に至るまで、登場人物の名前の煩雑さに苦労はするものの、固唾を飲む思いで一気に読ませる。ここでは、民主党ヒラリー・クリントン陣営の大統領選時に話題となったメール問題についても詳しく迫る。要するに〝どっちもどっち的〟側面が浮き彫りにされている。そんな「米国内戦」とでも云う他ない状況の中で、ロシアのサイバー情報戦の実態が描かれる。それは「デジタル時代の積極工作」であるとの指摘は実に興味深い▼新たな時代の戦争とも云える米露のせめぎ合いには、ため息をつくばかりだ。大騒ぎの末に結局は「弾劾が成立してトランプが辞任する可能性はかなり低い」との見立てには、冷静さの必要性を呼び覚まされよう。また、最終章の「『トランプ時代』の米国の読み方」でも、トランプの再選は容易ではないが、さりとて民主党がトランプに勝てる候補を出せるかどうかも容易ではないとの結論も、なるほどと思わせる説得力がある。この「事実は小説より奇なり」をあたかも地でいく面白さというと不謹慎かもしれないが、読み終えて確かな手応えを感ずる。アメリカ政治のこれからを占う上で貴重な分析を提供してくれたこの二人のコンビの第2弾に期待したい。(2019-5-27)

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級友の大著を前にしてー小此木政夫『朝鮮分断の起源』を読む

大学を卒業して50年。先日、今年の新入生を祝う入学式(4月1日)に、半世紀前の卒業生として参列した。毎年恒例になっている行事だが、ついにその番が私たちにも回ってきたのである。級友・小此木政夫君はこの道50年の名だたる朝鮮半島問題の専門家であり、我が母校の名誉教授である。その日一緒に挑んだ懇親の場で、彼から『朝鮮分断の起源』なる書物を昨秋に出版したことを聞いた。知らなかった。読まねばと思う一方、某国立大のF教授が「小此木批判」を様々な著書で展開していることが頭をよぎった。これをどう考えるか、と思い切って問うたところ「そんなの知らないよ。彼はなぜ人のことを批判するんだろう。この本を読んでからにしてほしいよ」との返事がかえってきた。ということで、その著作を私も読む羽目になった▼600頁に迫る大著であり、金額も8000円ほどするゆえ、図書館で借りて読むことにした。姫路市立図書館で購入を希望したが叶わず、神戸の図書館から融通して貰うことで折り合いをつけることになった。通常のケースとひと味違う、朝鮮問題専門家同士の軋轢の〝因縁探し〟の試みとなり、それはそれで面白い経験ではあった。この書物は、全部で6つの章からなるが、5章までは過去に書いたもの(全て慶應義塾大学の「法学研究」所蔵分を部分的に手直し)が集められており、第6章と、プロローグ、エピローグだけがこの出版に際して書下ろされている。各章ごとに、「はじめに」と「おわりに」がつけられている。しかも、「はじめに」では、こと細かに著者の問題意識が、門前に市をなすかのように、次々と掲げられていて、とっつきにくい専門書にしては口当たりは悪くない。今回の出版に当たっての著者自身の意気込みが強く感じられる▼朝鮮分断の起源は、ズバリ「国際政治の産物」である。米国は戦後、朝鮮に四大国による信託統治を設定しようとしたが、それは同国のルーズベルト大統領にとって、「理念の世界と現実の世界を調和させるための試みだった」。しかもその試みの政策的核心は「ソ連との共同行動」にあった。それゆえ、米国との共同行動を是とせず、南北統一管理よりも「北」に自国に有利な橋頭堡を作りたかったソ連の思惑が常に災いせざるを得なかった。結局は「米ソ間の政策対立の深刻化が朝鮮分断を促進した」ということになる。読売新聞の書評欄でこの本を取り上げた国際政治学者の三浦瑠麗氏は、米ソ対立的側面に加えて「アメリカの理念主義的アプローチと朝鮮『独立政府』に対する懐疑こそが現在の朝鮮半島の構図を導いた」としている。そして、小此木氏の「内戦はいずれにせよ避けられなかった」との見方を提示しており、中々興味深い▼著者はあとがきで、「日本海軍による真珠湾攻撃から始まった本書の記述は、米ソ冷戦が開始され、1946年5月に第一次米ソ共同委員会が決裂した時点で終了している」ことについて、「さらに一章を執筆し、米ソ対立の拡大、左右合作と単独政府論、そして南北協商など朝鮮半島に二つの国家が成立するまでの歴史を見届けるべきであったとの悔いが残らないわけではない」と正直に述べている。わたし的には、さらにもう一歩進めて「内戦の起源」にまで立ち至って欲しかったと思われる。それこそ、F教授が小此木批判の根底に据えている問題ー朝鮮戦争の始まりをどう見るかと関連するからである。F氏は韓国批判の急先鋒であり、西欧哲学にも視野を広げる碩学である。一方、小此木氏は同半島に一貫して穏健な見方を提示し、この分野における少なからぬ弟子を輩出してきている名伯楽だ。私からすれば、いずれ劣らぬ名優であり、盟友でもある。二人の諍いは面白くなくはないが、座りは良くない。「日本現代史に関わる重要な展開を詳らかにした著作として確実に時代に残っていく」(三浦瑠麗)と称賛された本について、F氏の読み方を聞いてみたい。ともあれ、畏友がものした大著を前に、大学同期の〝散った桜〟として、未だ〝残る桜〟に思うことは少なくない。(2019-5-24)

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