Monthly Archives: 9月 2014

車は動かせても、人はなかなか動かせない

「人を動かす秘訣」ーサブタイトルにこうある。人なら誰しも一度は人を動かす魅力に取りつかれるはず。かつて私も真剣に考えたことがあるテーマだが、いつの日か脇に追いやっていた。寺松輝彦『偉人はかく教える』は、ナポレオンからの書き出しにはじまって、終章の織田信長に至るまで古今東西のリーダーたちの知恵と哲学を披露してくれる。アマゾンで手に入れ、一気に読んだ。歴史の山河に埋もれていた様々な名場面、名セリフがあたかも起床ラッパに起こされた兵士のように蘇ってくるから面白い▼著者は3万人の経営幹部を育て上げたカリスマ講師であり、実は私の50年来の友人だ。早稲田を卒業してから、ひたすら社員教育の世界で邁進してきた。新入社員の取り扱いから社長の立ち居振る舞いまで、会社経営の現場を知り抜いた男が、半世紀に及ぶ自身の研鑽を余すところなく提示している。これまでは業界におけるハウツーものの出版が主だったが、このたびは初めて一般読者の胸元にまで激しく迫ってくるものだ。私的な関係を超えて多くの人々に読んでほしいと思う。昭和30年代に少年期を過ごした者たちにとって偉人伝は慣れ親しんだ分野であるが、最近はどうだろうか。あまり読まれているような気配を感じない。この書は、経営の任に当たる人たちへのこよなき指南書ではあるが、同時に春秋に富む青年若者たちへの副読本でもある▼先日NHKの人気番組「知恵泉」でホンダの創業者・本田宗一郎氏の経営者ぶりを二回に亘って取り上げていた。これは、今年初めに民放で取り扱っていたトヨタの基盤を不動のものにした豊田喜一郎氏を描いた映画「リーダーズ」と同じように深い感動を与えてくれた。寺松さんがこのホンダ、トヨタのトップ(トヨタは5代目・豊田英二氏)を現代ニッポンの代表的経営者(偉人)として取り上げているのには満足を覚えた。この本は六つの章からなるが、人格、有能、決断と行動、規律、人間味などのキーワードの中で異彩を放つのは、第四章の「姿と形と振る舞いの神通力」だ。管理者らしさをどこで発揮するか。それは「立ち居振る舞いの模範を示す。これしかない」と。さらに、「将軍は決してためらいや、落胆、そして疲労の色を見せてはならない」というジョージ・S・パットン将軍の言葉を挙げて、「堂々たる姿を演じきる」必要性を強調する。ここらあたりは、寺松さんの若き日の姿とだぶって見え、私には無性に懐かしい思いが溢れてきてならなかった。そう、いつも彼はかっこ良かったし今もそうなのである▼カリスマ性を持つ優れたトップに共通するポイントを5つ挙げている。⓵不可能を可能にした実績を持つ➁希望を人々に与える⓷人の善なる部分を認める➃自分の持てるものをえ分かち合う➄人生を前向きに楽しむーこれらはいずれも彼自身が備えている要素なのだ。私などこのうちの殆どを持ち合わせていない。せいぜい5番目だけぐらいか。人生のとばくちに二人して立っていた頃。常に自分を鍛え上げることに執心していた彼を、私は眩しく感じていた。こう思いを募らせて読み終えた私は、この本には表紙のジュリアス・シーザー像をのぞき、絵や写真のたぐいが一切掲載されていないことに気づいた。せめて著者の凛とした顔写真を載せればいいのに、と。ついでに登場する偉人の索引が掲載されていると便利だとも思った。ともあれ、畏友の手になる、ひとの生き方の実践の書登場に、いま心からほのぼのとした気分に浸っている。(2014・10・1)

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二極化する政治報道に、「中道」公明党の再現を期待

東京に行った際に定宿にしているホテルで目を惹くのは玄関のロビーにその日の新聞が山積みされていることだ。銘柄は朝日新聞のみ。常に300部は置いてあろうか。数日前に行って、いつもと同じ変わらぬ風景に奇妙な異和感を覚えた。週刊誌を見る限り、例の二つの”吉田事件”で、雪崩をうって朝日離れが起きているとの指摘があるからだ。今回の私の上京の目的の一つに、かつて党広報局長をしていた時代ー20年前にもなるのだがーに公明党番記者をしていた連中6人ほどと懇談することがあった。勿論同社の記者も含まれている。あれこれの昔話や”今話”に花を咲かせた。現役を退いてやがて2年、情報に疎くならぬように鋭意気を配っている私にとって珠玉の時間であった▼往復の新幹線車中に持ち込み、読み終えたのは『安倍官邸と新聞ー「二極化する報道」の危機』。朝日新聞社記事審査室幹事の立場にある徳山喜雄氏の手になる、この夏発刊されたばかりの新書。読むきっかけになったのは、これまた昔付き合った東京中日新聞記者(元同社政治部長、現在は東海ラジオ社長)から勧められたため。いや、本人が読んだからといって、私にくれたものである。中身の要点は⓵安倍官邸のメディア戦略が巧妙できわめて有効に働いていおり、首相の考えにそった流れへと世論が導かれている➁在京主要6紙が「朝日、毎日、東京」と「読売、産経、日経」とに二分化されており、深い論議や第三の可能性を探るといった成熟した言論が成立しにくくなっている、の二点だ。とくに後者は、集団的自衛権問題を論じてきた場面で痛感したことだけに、あらためて感じ入った▼第一次内閣の体たらくに比べて別人のごとく振る舞っているかに見える安倍首相だが、その秘密の一つに、民主党政権の大失政があると思われる。同一人物が短い期間にかくほど変われるのは、谷間にさいたあだ花のような、鳩山、菅、野田と続いた前政権の、「何も決められない」政治が存在したからに違いない。ドンドン決めていく政治決断を支持する世論の醸成が根深く存在する。これにはよほど注意を払わねば、気づいた時には手遅れになりかねない危険性があると思われる。それは、第三の道を志向し続けてきた公明党の50年が、これから歩む道と大きくかかわってもくる▼二極化しがちな政治状況はかつて公明党が誕生した時代の背景にもあった。自民対社会の二大政党対立時代だ。論議不毛の時代と言われた。それを阻止し、第三の選択を提示し、大きく時代を変革しようとしてきたのが公明党だった。その公明党が自民党を中から変えようと連立政権に入り、自公蜜月の流れが始まってから10数年。今展開する政治状況に第三の可能性を探る動きが弱く見えるとしたら、大いに嘆かわしい。どうしても二極化からは三極目がかすみがちになる。あらためて「中道」の旗印をもっと鮮明に掲げる必要性を感じると強調しておきたい。(2014・9・29)

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抱腹レポート読んで笑えない笑医に共感

一日に五回笑って、五回感動すれば元気で長生きできるーこれは笑医塾塾長の高柳和江(元日本医大准教授,医学博士)さんの掲げる指針である。先日も明石市の生涯教育リーダーたちを前に一時間半の講演を聴いたが、いやはやいっぱい笑わせて頂いた。彼女は私の高校同期(これをいうと、歳が分かるからといって秘密なのだが)でもあり、親しい間柄なので、この講演の講師として招くきっかけを作らせて頂いた。何回も講演は聴いているが、あらためて実に旨い、と思った。さすがに世界の講演上手なスピーカー2000人の一人に選ばれているだけのことはある。スライドを使って見事なまでの話しっぷりは、毎回データを入れ替えて工夫をしているだけに、新鮮かつ信ぴょう性も高いと思われる(ただし、彼女が触っただけでリウマチで両手の指が曲がっていたのが治ったというのは、写真を見たものの、いささか信じがたい)▼その彼女と久しぶりに終了後昼食を共にした際に、塩野七生さんの文藝春秋10月号の巻頭エッセイを話題にした。『日本人へ137 この夏を忘れさせてくれた一冊の本』というものだが、塩野さんはこの中でコリン・ジョイス『「ニッポン社会」入門』を抱腹(絶倒)ものだと絶賛している。「歌舞伎は歌舞伎町ではやっていない」「作家とサッカーの違いは大きい」「電話を切るとき思わずお辞儀をしてしまう」などなど、「日本で暮らす時にこれだけは覚えておこう」という部分を読むだけでも笑ってしまう、とあれこれ実例を上げている。そして「私だったらこの一冊を、新内閣の大臣たちから企業の首脳陣、そして新入社員に至るまでの、秋に入っての必読書に推すだろう」とまで言い切っている。尊敬するこの日本を代表する女流作家にこうまで勧められたら読まずにはおれない。早速アマゾンで購入して読んだ▼たまたま笑いがテーマだから、ここは笑医の第一人者である高柳女史に訊いてみた。「文春の塩野さんのエッセイ読んだ?俺、買って読んだけど全く面白くないんだけど」と。彼女からは直ちに「あれ、私も読んだよ。だけどそう、殆ど面白くない。笑うところなんかなかった」との答えが返ってきた。あまりの一致にここは二人して笑った。彼女は「塩野さんはやっぱりもう外人なんだね。感性が。私たち日本人としてはあんまり笑うところはない」とダメ押し。国会の質問に際しても必ず冒頭にはユーモアを交えることを忘れなかった私としては、塩野さんのいう”ユーモアを解さぬ政治家”とは言われたくない思いが人一倍強かった。ところが、そのわが感性も鈍ったのか、と心配したが、高柳さんと同じと知って杞憂に終わった▼ジョイスさんは確かに非常なる勉強家で、ニッポン社会をくまなく調べ上げている。改めてニッポン社会とは何かを知る上で、為になること請け合いである。つまり笑う本,笑える本ではなく、真面目に考えさせる本ではないか。塩野さんのエッセイを読まずに読んだら笑えたかもしれない。要するに、抱腹するっていわれると、じゃあ抱腹させてくれと、開き直るのが私たちの常であり,そうなると意外と笑えないものだ。ところで、高柳さんは「私,あの本,本屋で立ち読みしただけ、良かった、買わなくて」ときた。立ち読みどころか、中身を知らず、塩野七生流お勧め文だけで、買ってしまった俺って馬鹿だなあ、と笑ってしまった。(2014・9・23)

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『プロメテウスの罠』に嵌った朝日新聞を救うもの

朝日新聞の大失態を前に思うことは少なくない。真っ先に思うことは、一人ひとりの記者は圧倒的に優秀なのに、社全体となると、かなりの疑問符がついてしまうことだ。で、今回のことで同社のエースが表面に躍り出てきたことは面白い。新たな編集担当の責任者、つまりは編集総局長に西村陽一氏がなったことだ。前任の杉浦信之氏は経済部長経験者だったが、彼は政治部長経験者。タブロイド判の「グローブ」編集長をやった後、ついこの間まではデジタル事業本部長だった。ロシア・モスクワ支局を経たのち、アメリカ総局長を務めるなど国際政治に明るいことで知られる。それよりもなによりも公明党番記者だった。だから彼とは様々な場面で交歓のひとときを持った仲なのだ▼彼が処女作『プロメテウスの墓場』を書いてからかれこれ15年が経とうか。ソ連崩壊直後のモスクワに約4年駐在していた間に、かの国の各地を回った経験をもとに、リアルなドキュメントタッチでロシアにおける核廃棄物の危険性を鮮やかに描いて見せた。彼の大先輩であるジャーナリストの船橋洋一氏(元朝日新聞主筆)と一緒に、私の仕事上のボス市川雄一氏(元公明党書記長)と4人で歓談したのがその本の出版直前の頃だった。ゲラを見せられながらあれこれ意見を交わしたことが懐かしく思い起こされる。この本は私の『忙中本あり』に、1999年3月5日に「太平洋を越えた読書交歓」との見出しで取り上げている。彼が太平洋やヨーロッパ,ユーラシア大陸をそれこそ股にかけて飛び回っている時に、それと知らずに国際電話をして「今何を読んでいるの」とお互いに言い合ったことに触れたものだ▼彼が編集の最高責任者として登場するきっかけが文字通り、原子力発電所をめぐる事故の報道ということであるのは、「プロメテウスの因縁」めいていて興味深い。プロメテウスとは,ギリシア神話の中に登場する、天上の火を盗み人間に与えてしまった「英雄」を意味する。実は朝日新聞は連載『プロメテウスの罠』で一定の評価を得たとの思いが強かった風が随所で観られた。これは、その後、「明かされなかった福島原発事故の真実」というサブタイトルを付けて単行本になっている。私は拾い読みしかしていないが、今回の失態が影を落としていないかどうか改めて検証する思いで読んでみたい▼2年前に私が現役引退をした際に、西村氏は送別の宴を仲間の記者2人(男性と女性)と共にやってくれた。この二人も滅法優秀で、紛れもなく朝日新聞を代表する看板記者であり、私はこよなく親しみを感じている。彼らが自らの所属する共同体の根源的な危機にどう立ち向かうか、心底からの関心を持って見守りたい。かつての西村氏は、賢すぎて凡なるものの存在が見えないのではないかと,周りを危惧させるものがあった。でもあれからひと昔もふた昔もときは流れている。彼は昔の彼ならず、で着実に成長しているに違いない。ひとり「朝日」の為ならず、汚された日本の名誉のためにも頑張って欲しい。(2014・9・19)

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最後の官選沖縄県知事・島田叡の叫び声

NHKの朝ドラ「花子とアン」で、空襲を逃げる場面を見ていて、亡き母から聞いた戦争体験を思い起こした。大きなお腹を抱えるようにして(私は昭和20年11月生まれ)防空壕に逃げ入ったり、竹やりで敵を迎え撃つ訓練をしたなどということを。日本中で無差別空襲を受け、こうした対応を余儀なくされたものの、地上戦には至らなかった。たった二つの県を除いて。一つは、沖縄であり、もう一つは北海道だ。後者は、8・15以後のどさくさまぎれの中でのソ連の侵攻であり、戦争の性格が違うのでこの際は省く▼沖縄での日米戦の激しさは様々な機会に語り継がれてきており、私も現場に幾度となく足を運んだ。ただ、このたび読んだTBSテレビ報道局『生きろ』取材班『10万人を超す命を救った沖縄県知事・島田叡』ほどの胸打つ記録は未だ知らない。読み終え,深く為政者の使命を考えさせられた。次々と県庁から職員が逃亡してしまったり、前任の知事さえ東京に行ったまま戻ってこないといった事態の中で,敢然と赴任してきた島田知事。その半年足らずの決死の知事としての職務遂行ぶりは心底から感動を呼ばずにはいられない▼この本は昨年8月7日にTBS系で全国放送した報道ドラマ『生きろ~戦場に残した伝言~』の放送原稿とそのベースになった取材メモで再構成されたもの。島田知事役には緒形直人が好演した。併せて知事とまさに二人三脚で最後まで頑張りぬいた沖縄県警の荒井退造警察部長も忘れがたい。いやそれどころかこの人ありての知事とすら、思わせる心かよったコンビぶりだ。私はあの日の放映をしっかりと観た。本当に感動した。普通では見落としかねなかったが、旧知のTBS記者から、このドラマの制作裏話をそれなりに聴いていた。その記者も私同様兵庫県人とあってかねて懇意だったが、「兵庫二中(現在の兵庫高校)の著名な出身者を教えて欲しい」との依頼を受け、武揚会(兵庫二中、同高校の卒業生で構成される同窓会)の中心者を紹介した経緯があったのである▼今まで島田叡の存在は知っていた。沖縄県を訪れた際にその慰霊の碑にも参拝したこともある。私が二中・兵庫高校に隣接する三中・長田高校の出身者ということもあって、長く尊敬していた。しかし、一般的には残念ながらあまり知られていない。何故だろうか。恐らくは、彼や警察部長を宣揚することが多くの敵前逃亡者を辱め、貶めることになるとの沖縄人特有の優しい心配りだったのではないか、と勝手に推察している。だが、もういいのではないか。強くそう思う▼国会に20年在職した私には、自身にとって数々の忘れられぬ場面がある。そのうちのベストワンとも言えるのが、沖縄県はこのままで行くなら独立する道しか残っていないとの趣旨の演説をしたことだ。誰しも心に去来するがそれを口にはしない。それを敢えてすることで、事態の深刻さを訴えたかったのだが、反応はいまひとつだった。普天間基地の辺野古移転を巡って賛否二分される中、この11月に沖縄県知事選挙が行われる。誰がなるにせよ、選挙ではなく、官によって任命された最後の沖縄県知事・島田叡の思いを胸に、県民の心をくみ取ることでしか、真の解決策はないように思われる。勿論、それにはすべての日本人の共感があってこそだが。(2014・9・15)

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明治維新をわかり易く説く旅立ち

この夏は本当に雨が多かった。特に8月は毎週末には雨に祟られた。今年の私の家族旅行は(といっても夫婦二人だが)、7月末に一泊二日で萩・津和野へ行ったのだが、この時ばかりはお陰さまで素晴らしい好天に恵まれた。萩は明年の大河ドラマに取り上げられる(萩ゆかりの吉田松陰の妹がヒロイン)とあって、早くも前人気は上々だった。黒田官兵衛という戦国期の武将に続き、今度は明治維新があらためて話題になり、吉田松陰の生涯がなんであったかが人の口の端に上るのだなあ、と思った。そんな折も折、ある勉強熱心な中年の女性から「明治維新ってなんだったのか、教えて」と問われた▼いざ、正面切って真面目に切り込まれると戸惑う。「260年あまりの江戸幕府の鎖国政策が、時代の流れに合わず、帝国主義列強の開国要求に揺さぶられて、国内から若い志士たちの討幕運動が巻き起こった。結果として薩長土肥を中心とする明治維新政府ができた。これは世界史でも珍しい無血革命と位置付けられている」というのが私の取りあえずの答え。しかし、かねて明治維新における「尊王攘夷」や「佐幕派対勤皇派」などを人物相関図を明確にすることで、正確に理解したいと思っていた私としては、これを機会にあらためてこの時期の歴史を整理しなおそうと思い立った▼そこで手にし、読み直し始めているのが松本健一『開国・維新』(「日本の近代シリーズ」第一巻)である。私の現役時代に、松本さんとは太田昭宏氏(国土交通大臣)らと一緒に(三人とも同学年)親しくさせていただいたことがある。尊敬する歴史家のひとりだ。「憲法改正」にも真剣に取り組んでおられ、とくに「第三の開国」論が得意。わたし的には彼の「1964年日本社会変革説」(かつて公明新聞に連載された)に深く共鳴している。この本は、当然のことながら「ペリー来航」から始まるのだが、表紙裏の扉写真・風刺画が印象的だ。江戸庶民の目に映った幕末戊辰戦争の構図が「幼童遊び 孤をとろ 子をとろ」というタイトルで描かれている。幕府方についた姫路藩(注縄の柄)がわたしの目には、侘しい姿に映らざるを得ず、あれこれとその後の日本各地の運命(例えば、姫路は神戸に県中心地の座を奪われた)が連想させられる▼横道にそれたが、「ペリー来航」は1853年7月8日(嘉永6年6月3日)のことだから、それから15年間が明治維新の期間といえる。15年といえば、あのアジア太平洋戦争を別名「15年戦争」と呼ぶ向きがある。昭和6年の満州事変から敗戦の決まった昭和20年までを一括りにするわけだ。同じ15年間だが、明治維新の方は、江戸幕府が倒れて新たな政府が立ち上がるまでの時間をさすだけにイメージ的には明るい。それにつけても僅か15年で日本近代の礎が作られた、というのはまさに脅威的というほかない▼「ペリー来航」は、四隻の武装した黒船に象徴されるように、アメリカの砲艦外交の幕開けだった。約100年かけてアメリカは「日本駆逐」の思いを遂げたともいえるわけで、歴史というものはまことに「禍福はあざなえる縄のごとし」だ。この時に浦賀に真っ先に駆けつけたのが佐久間象山であり、一日遅れて到着したのが吉田松陰とされる。時に松陰24歳。このことが機縁になって彼は、渡航したいとの思いに駆られ、米船に乗り込もうとするも失敗、やがて死に至る因を作ることになる。5年後のことだ。僅か29歳でその後の日本に多大な影響を及ぼす生き方をした松陰。今度こそ、その真髄に迫ってみたいという気がする。正直、未だ再読が始まったばかりだが、鍵になるくだりは、「という時間がはじめは、「開国」路線をとった幕府によって切り拓かれつつも、結局のところ、「攘夷」路線をとる朝廷側の前に敗れていったのはなぜか、という深刻な問題でもある」というところだろう。これからこの本をベースに「わかり易い明治維新解説」への旅に出たい。(2014・9・10)

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朝日新聞が危ないことを15年前に指摘した悪口好き

朝日新聞が危ない。例の従軍慰安婦問題での同紙の「謝罪風開き直り特集記事」いらい一段とおかしい。つい先日も、池上彰氏の連載の掲載をひとたびは拒否したものの、批判を気にしたのか、あとで撤回してみたりして、あれこれもがいている。というようなこともあってか、私の身の回りでも購読拒否ケースが相次いでいる。かくいう私はすでに今年から定期購読を止めた。理由は、あまりにもバランスを欠いた報道ぶりと、露骨なイデオロギッシュさに辟易したというところだろうか▼高島俊男氏といえば、知る人ぞ知る中国文学者で、姫路有縁の著名人とあって私もその著作を愛読してきた一人だ。『本が好き悪口いうのはもっと好き』なんかは、その絶妙なタイトルとあいまって忘れられない。その高島さんの朝日新聞の記者を徹底的にけなし切った古い雑誌記事をついこのほど読んだ。最近作『司馬さんの見た中国』(「お言葉ですが…」シリーズ別巻6)におさめられたもので、実際には「正論」1996年8月号に掲載済みのものだから、かなり旧聞に属する話ではある。これなど、朝日新聞社やその記者にとっては古傷を触られるようで、決して気持ちいいものではないだろう。あまり趣味がよくないことは承知で取り上げてみる▼高島さんは、この本の中ので、新聞記者が新聞社をやめてから出版した本について、徹底的に”料理”している。そうしたものは、しばしば「学識の底の浅さ、構築力のなさ、記述や引用の粗雑,文章のあらさ……。こうした、新聞記事では目立たなかったものが本では露呈する」と指摘したうえで、坂本龍彦『「言論の死」まで『朝日新聞社史』ノート』が、以上の弱点を「たしかに遺憾なくそなえている」と、いちいちの例をあげてこっぴどく叩いている。何か恨みでもあるのか、と思うぐらいに。私など、新聞記者の経験があるだけに、もしこんなことを書かれたら、もはや表を歩けない。ゆえに、何らかの報復を決意するはずだ▼この記者のその後は知らないが、以下、私が代わって高島氏への悪口を言ってあげたい。本にとって、中身とタイトルの不一致はままあるが、高島先生の場合は酷すぎる。『司馬さんの見た中国』というから、思わず司馬遼太郎の「中国見聞録」についてまとめたものだとふつうは思うではないか。少なくともこのテーマで半分近くは占められている、と。ところが、なんと、それに適ったものは、最初の二つの小文だけ。あとは、まったく無縁のものばかり。しかも、朝日新聞記者への悪口など今を去ること15年前。いや、もっと古く24年前のものまで、ここには収められているのだ。羊頭狗肉とは言わないまでも、古い製品を新しい包装紙で包んで出されたとあっては、今話題の「中国人商法」を真似たのか、と言いたくなる。以上、自身のことは棚にあげて。(2014・9・8)

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病気や食生活を考えさせられる宮本輝の小説

宮本輝さんの小説は、病気に関する注意書きという観点からも読める。以前にご自宅にお邪魔した際に、ご本人自身が糖尿病を完全にコントロールできたことを話されていたことを思い出す。そのためもあって、とりわけこの病の記述には熱が入っているように思われる。このほど彼の自伝小説『流転の海』第七部『満月の道』を読み終えたが、主人公の熊吾が随所で糖尿病を意識した食生活をしているくだりが印象に残った▼主治医の小谷医師が「医学的な根拠によって明確に証明されたわけではないのですが」と断ったうえで、「ビールと日本酒をやめて、焼酎かウィスキーに変えた糖尿病患者の七割は、確実に症状が改善されます」と語る。「まったく改善されなかった患者の食生活をこまかく調べますと、酒を減らしたぶん、どうしても口寂しくなって、甘いものを以前よりもたくさん食べる」し、「晩酌の量が減るので、これまで茶碗に一膳だったご飯が二膳、三膳に増えます。症状がかいぜんされなかった三割の患者が、すべてそうなのですから、私は糖尿病患者にビールと日本酒は禁じることにしましたし、菓子類の摂取も厳禁と決めました」とも▼また、彼の『にぎやかな天地』という小説では、発酵食品の話が集中的に取り上げられている。高校時代の私の友人で飯村六十四という医師がいるが、この本を彼から読むように勧められた。この医師は、糖尿病内科が専門でアンチエイジングやスポーツドクターの研究にも取り組んでいるが、宮本作品の愛読者でもあると知って驚いた。未読の方や食生活の改善に関心のある方にはお勧めしたい▼『満月の道』は,雑誌「新潮」の2012年1月号から2013年12月号までのものが単行本に取り込まれているが、ほぼ最後の部分に、『赤毛のアン』が登場する。NHKの朝ドラに「アンと花子」が取り上げられたことを知ったうえで、輝さんはおそらくここの部分を書いたのだろう。でなければ、驚異的な偶然にたまげる。高校二年生の伸仁(輝さんのこと)が,この本をあっちこっちに線を引き、ぼろぼろになるまで何度も読んだと思われるくだりがとりわけ興味深い。「アンにものごとを冷静に受けとれということは、性格を変えろということになるだろう」という一行に線を引いていることを父親の熊吾が発見して、「この文章の意味を解せるおとなは少ないでしょうな」と言わせているのだ。「人の宿命と性格ーそれぞれの転換は可能か」と若き日にしばしば考えたテーマを思い起こさせられ、ほのぼのとした気分になった。(2014・9・6)

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オーラルヒストリーの面白さと危うさ

元東大教授で今は放送大学教授の御厨貴さんとは二度お会いしたことがある。一度は読売新聞主催の憲法をめぐる座談会。今一度は、ある雑誌の編集者の仲立ちで太田昭宏代表(現国交相)と一緒に食事をした。いずれも未だ彼がTBSテレビの『時事放談』の司会(2007年から放映)に出るようにはなっていなかった頃のことだと思われる。特に、太田代表(当時)と共に会った時には、学者らしからぬ軽いタッチの御仁で、実に話しやすかったとの記憶が残っている。その際に「是非とも公明党のすべてを語り合いたいから別に機会を」と言われたのに、太田氏の都合で実現出来なかったのには悔いが残る▼その彼の近著『知の格闘 ー掟破りの政治学講義』は、「学問は、バトルだ 好奇心が躍動する前代未聞の東大最終講義」と新書の帯にあるがごとく、政治学者の通常の枠を超えた面白い中身になっている。全編これ裏話特集といった感じで笑えるエピソードや秘話が満載されていて興味深い。衆議院議員を6期20年務め、それまでも政治記者や代議士秘書を20年ほどやっていた、「永田町通」の身にしても、初耳や初お目見えのようなこともあって”勉強”になった。新聞や週刊誌、テレビのニュースでだけでしか政治の姿かたちをご存じない方には、特にお勧めしたい▼私は小泉内閣の最後に一年間だけだが、厚生労働副大臣を務めたことがある。それ以前にもこの人物をウオッチしたことがある(旧神奈川二区の時代)ので、とりわけ御厨さんの「小泉純一郎評」は出色の出来栄えだと感ずる。小泉氏のオーラルヒストリー(政治家の口述を歴史の証言として記録する)が難しいという理由を挙げているくだりだ。理由の一つとして、徹底して自分の関心のあることしか喋らないことを挙げている。なにしろ、講演会で喋りたいことしか喋らず、時間が残っていても、自分の気分でさっさと止めて帰ってしまう、と。「相手があって自分があるとういうことを考えない人だ」とまで断定し、「小泉という人は記憶を失ってい」るし、「やったことをたぶん次から次へと忘れていっている人」だとまで言うのだから凄い。総理大臣を5年もやっていたのだから、そこまでは酷くなかろうと弁護したくなるぐらいだ▼ともあれ、最終講義の気安さゆえか、生来のこの人の性格からか、言いたい放題はまことに小気味いい。ただ、政治家の口述は記録する方の姿勢がかなり問われる。玉石混交の発言をすべて真に受けていくと、やがて出鱈目なことが歴史の事実として残り、誤ったイメージを随所にばらまきかねない。したがって、よくこの手のものは監視する必要があろう。例えば、中曽根内閣の官房長官として名を残した故後藤田正晴氏が「公明党はちょっと危ない」とし、その理由は「この国への忠誠心がない政党」だと、共産党とある意味同一視している。これには御厨氏は「俺が死ぬまで吹聴するな」と言われたようだが、最近は(時効だから)喋っているという。この話には、「先日、公明党の代表に言ったら嫌な顔をしていました(笑)」というオチがついている。こういう箇所に出くわすと、なおさらとことん公明党について彼と語っておきたかったとの思いが募ってくる。(2014・9・2)

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