Monthly Archives: 2月 2015

気が狂うか、自殺か、それとも宗教を選ぶか

若い日の記憶にある言葉に、「人生を徹底して真剣に生きようとすると、気が狂うか、自殺することになりかねない。それをさけたければ、宗教をするしかない」というものがある。狂気、自殺、宗教の三択とは、いかにも極端すぎる。宗教を進める側からの陰謀ではないか、との疑念を持つ向きもあるかもしれない。ま、それはさておき、日本の小説家の群像を歴史的にたどると、悪戦苦闘しながら真剣に生き抜いた人々に出会い感慨深い。去年から読み続けているドナルド・キーン『日本文学史』(徳岡孝夫、角地幸夫他訳)。その近代・現代編(全9巻)のうち、今月は一気に3巻から6巻へと進むなかで、そうしたことを痛切に印象付けられた。キーン氏といえば、今年の朝日新聞の新年3日付けだったかに詩人の金子兜太さんとの対談が掲載されていた。90歳を優に超えるお二人の語らいは、人生の風雪を感じ読みごたえがあった。「この歳になって時代を脱却したね」との発言は、実に意味深長だと思えたものである▼この『日本文学史』は、一人ひとりの作家の人生を作品を通じて露にしていく試みで、まことに味わい深い。すでに知っていたことも少なくないが、未知のエピソードもふんだんに発見でき新しい感動の連続だった。全ての作品を自分で読み明かすことがとてもかなわないとなれば、キーン氏の道案内で全貌をともかく手中にできることは得難い経験だと思われる。ニューヨークで生まれたのち、31歳の年に京大大学院に留学していらいおよそ60年。その蓄積は深く貴重なものである。ご本人は先の対談で「日本文学の素晴らしい時代は、平安朝、元禄期、そして戦後期の三つ」と語っている▼その戦後期を代表する作家の一人は三島由紀夫だろう。いかに生き、どういう風に死ぬかという課題を突きつけてきたひととして忘れがたい。昭和45年11月25日の市ヶ谷での自衛隊員を前にしての演説や総監室での割腹自殺。あの当時は私自身の人生の曙期だっただけに、より印象が濃い。この本の訳者の一人である徳岡孝夫氏は三島との親交も厚く、自決直前に檄文を渡された人だ。その彼が、先日NHK総合テレビ番組「日本人は何をめざしてきたか」で、インドへの旅から帰ってからの三島が全然変わってしまったと述べていた。「輪廻を悟った」というのだが、どう悟ったのか。彼の最後の作品『豊饒の海』四部作に明らかにされているのだろうが、私には未だに判然とおちないところがある▼キーン氏は「三島が小説家として学んだことのすべてを『豊饒の海』に投入した」と書き、「完成後はもはや何物も残っていないから死ぬほかない」と友人たちに語っていたことを明きらかにしている。「三島由紀夫45歳での死」を私自身が見聞したのは25歳の誕生日の前日だった。「事実は小説より奇なり」に驚き、感じ入ったものだ。ひよわな文弱の徒がのちにボディビルで体を鍛え上げ、美しい印象をひとに与えたままにしておきたいとの三島の思いに、分かったような分からないような気分を抱いた。それから45年後の今がある。「長く生きれば生きるほど人間は醜くなるという自説を、彼はだれよりも自分に対して、きびしく適用した」という著者の言葉に同意する思いと反発する思いが交錯する▼三島由紀夫の他にも川端康成、太宰治、芥川龍之介らが自死の道を選んでいる。彼らがどう生き、なぜ自殺を選んだのかはキーン文学史を通じてある程度分かる。夏目漱石、森鴎外両巨人の正反対ともいえる生き方、谷崎潤一郎、永井荷風両耽美派の似て非なる姿などについても時を忘れて読みふけることができる。それにしても冒頭にあげた三択のうち宗教を早くして選んだものにとって、名だたる小説家のなかに宗教と格闘したひとがあまりいないように思われるのは残念である。(2015・2・27)

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エネルギーの未来をめぐる常識的で平凡な結論

近頃これほど痛快な思いを持って読み進められた本は少ない。石井彰『木炭・石炭・シェールガス』である。「文明史が語るエネルギーの未来」との副題がついている新書だ。著者は読み始めのところで、世の通説(再生可能エネルギーが将来は原発に代わり得るという考え)に惑わされている人々の哀れさを露骨なまでに明らかにし、後半読み収めのあたりでは、多くの人が信じて疑わない世の通説(CO2の排出が地球温暖化の主因との考え)の間違いが明らかになるかもしれないことを予見してみせる。その両方について私は、自身のかつての国会での発言が関係しており、大いに興味をそそられた。しかも、前者では私は多数側に属し、後者では少数派にあることがなおさら興味深い。ことがエネルギーに関するものだけにどなたも関心を持たざるを得ないはず。皆で論争する契機にすると面白いのではないか▼まず、最初の通説は、煎じ詰めれば、「再生可能エネルギー優位」論だ。「3・11東日本大震災・原発事故」によって、”さよなら原発・こんにちは新エネルギー”のような論調があらゆる場面で取りざたされているのはブラックユーモアだと石井さんはいう。森林という新しくない再生可能エネルギーの過度な利用が大規模な環境破壊をもたらしたことを欧州の歴史や日本の過去に遡って明らかにしている。確かに産業革命の名のもとイギリスやドイツ、フランスでは森林が荒れ果てた。日本でも江戸時代の最終盤・幕末には国土の四分の一近くが完全な裸地になっていた。手つかずは奥山で里山は丸裸だったのだ▼だから、環境破壊をせいぜいもたらさないために安全に十分気をつけることを前提に原発に手を染めたのではなかったのか、と。それをあたかも新しい発見であるかのように再生可能エネルギーを取り扱うのはお笑いだという指摘は確かに笑えそうで笑えない。野田民主党政権末期に衆議院予算委員会で「新エネルギー開発に取り組め」と”大論陣”を張った私としてはいささか反省するところ無きにしもあらずだ。あの時に私は太陽光発電を進めることが事態の抜本的転換になるかのごとくに発言した。化石燃料に比べてエネルギー効率が非常に低く、生態系に悪い影響を与えることを改めて指摘されると、当時ある程度分かっていながら触れずに隠していたことが、覆っていたベールを引きはがすかのように白日の下にさらされたような気がする▼もう一つの通説は、CO2が温暖化の元凶だというもの。実はこれに対する異論はかねてよりあった。とくに、チェルノブイリやスリーマイル事故で劣勢に立たされた原発業界が、巻き返しのために気象学者が唱えだしたCO2 排出による地球温暖化という議論に飛びついたというものが大きい。もちろん、こうした”政治的陰謀説”ではなく、果たして地球は温暖化しているのかという根本的な疑問も提起された。実は私は衆議院環境委員会での質問の際に、一部気象学者の間では、むしろ寒冷化しているとの説もあることをとりあげ、一方に偏らない議論の必要性を喚起したものだ▼石井さんは、スペンスマルクというデンマークの宇宙物理学者が「太陽の磁気活動周期=太陽系外からの宇宙線量変動が低層の雲量に影響し、それが地球気候の変動を生じさせる」との説を唱えていることを紹介し、「極めて説得力に富む新学説である」と持ち上げている。これには大いに我が意を得たりとの気がする。かつて党内の環境部会でこれに近い議論を持ち出しても、多数派に与する人たちから一笑に付された。もう一度議論を蒸し返してみたい思いもしないではない。しかし、著者はこうした議論を持ちだすことによってやみくもに通説を否定しているのではない。むしろ、過去の歴史を見据えたうえで、極端に走ることをいさめているのだ。要するに、「より効率的で生態系負荷の低い再生可能エネルギーの研究開発」を進める一方、「より安全で廃棄物の少ない原子力技術の研究開発も鋭意続け」ることが懸命だと言っているのだ。極めてこれは常識的だろう。また、温暖化の原因をめぐる論争をめぐっても「不確定要素が非常に大きい」として軍配をどちらかにあげることには慎重である。ここでも常識を発揮しており、結論はいたって平凡なのだ。平凡ではいけないのですか、との著者の声が聞こえてきそうだ。凡人は常に非凡を求めるものかも知れない。(2015・2・26)

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男から女へ、年功序列から若者登用へ

先週取り上げた『地方消滅』での増田寛也さんの問題提起を受けて、私たちが考えねばならない政策に関する本をたて続けに読んだので、順次紹介したい。まずはあの本のなかでも対談相手として登場していた藻谷浩介さんの『デフレの正体』。藻谷さんとは五年ほど前にお会いした。この本が出版された頃だ。公明党の政務調査会に講演者として来てもらった。いらい注目している人だが、益々その論調の鋭さとわかりやすさに磨きがかかっている(最も面白かったのは『里山資本主義』でこれはすでに紹介済み)。日本経済の最大の癌ともいえる、生産年齢人口減少問題にどう立ち向かうかについて、①生産性を上げて、経済成長率を向上させよ②景気対策としての公共工事の増加を図れ③インフレ誘導すべき④エコ対応の技術開発でモノづくりのトップランナーとしての地位を守れーなどという主張が巷に満ち溢れているが、これには実効性が欠けるというのが彼の基本的立場だ。確かにこうした主張は俗耳に入りやすい▼しかし、藻谷氏はそうした主張を退けて、少し角度が違った観点から目指すべき目標を設定する。それは①生産年齢人口の減るペースを少しでも弱める②生産年齢人口に該当する世代の個人所得の総額を維持し増やす③個人消費の総額を維持し増やすの三つだ。いずれもそう難しいことではなく、文字通り生産年齢人口減に真正面から対処するために必要な手立てだと思われる。そしてそれを実現するために、誰が何をすればいいのかを具体的に三つ挙げた。一つは、高齢富裕層から若い世代への所得移転の促進。第二が女性就労の促進と女性経営者の増加。第三に、訪日外国人観光客・定期定住客の増加。これらは単的にいえば、若者、女性、外国人対策。この三ついずれもある意味で分かっているけど手がつけられてこなかったものばかりだ▼彼は、若い世代の所得を頭数の減少に応じて上げる「所得一・四倍増政策」や団塊世代の退職で浮く人件費を若者の給料に回そうなどといった具体的提案を並べる。さらに、若者の所得増加推進は、「エコ」への配慮と同じだとか、生前贈与促進で高齢富裕層から若い世代への所得移転を実現しようなどとの一味違う提案もなされる。女性についての問題点は、「女性を経営側に入れて女性市場を開拓する」という可能性をほとんどの企業が追求していないことに尽きるという。確かにそうだ。それより、もっと基本的なところで女性への偏見が消えていない。それは「女が今以上に働くとさらに子どもの数が減るのではないか」との思い込みだ。藻谷さんは、それを「若い女性の就労率が高い県ほど出生率も高い」として否定する。外国人対策については、公的支出の費用対効果が極めて高い外国人観光客の誘致を推奨している。これは現在瀬戸内海に外国人観光客を誘致しようとの取り組みを仕事として進めようとしている私としては大いに賛同したい。こう見てくると、藻谷さんの主張は「男中心の年功序列の日本人社会」が根本的に見直しを迫られているというものだとわかる。この5年の間にかなりこうした提案は取り入れられては来ているが、さらなる徹底が望まれよう▼この本のサブタイトルは、経済は「人口の波」で動くというもの。『地方消滅』での対談で、増田氏が「海外では人口問題に対する危機意識が高いですよね。政治家を含め、人口論をきちんと勉強している」と述べると、藻谷氏は「マクロ経済学は基本的に率ではなく絶対数だというのが、日本を除く世界の常識です」と応じている。さらに、地方人口の減少について、「今よりはるかに縮小はするけど、ゼロにはしない」との地方人口の「防衛・反転線」の構築を求めているのはきわめて現実的な提案といえよう。具体的に自分の住む町をどう住みよい町にするかを一人ひとりが考えていくことが大事だ。この四月に行われる地方統一選挙をきっかけにわが町をどうしたいのか、候補者の主張にしっかり耳を傾けるとともに、自分たちも考えていきたい。(2015・2・21)

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『地方消滅』を悲観論に終わらせるな

日本の896の市町村が消えてしまうー東京一極集中が招く人口急減で、地方が消滅するという衝撃的な中身が話題を集めて半年余り。遅ればせながら増田寛也『地方消滅』を読んだ。この人は東大を出て、建設省に勤めること20年足らず、40歳を過ぎて岩手県知事を三期12年。そして総務大臣に。それを終えて、今は日本創成会議座長につき、今回のレポートをまとめた。私は、2001年に衆議院国土交通委員長を勤めた後、総務委員長も一年間だけだがこなした。旧建設省、運輸省、自治省、郵政省などの幹部をそれなりに知っているが、増田氏の悪い評判は聞かないが、取り立てていい話も聞いたことはない。要するに真面目で仕事熱心なひとだったが、存在感はあまりなかったものと思われる。しかし、ここへきてまったく様相は一変。日本の明日に大きく注文をつける存在へと変身した▼地方を消滅させないために必死になって戦ってるものにとって、何をわざわざおおげさに悲観的なことを提示しているのか。その思いは今もなお消えない。しかし、彼は「大げさではないか」との批判に対して、「今回の人口予測は日本で出ているあらゆる将来予測の中で最も正確なもの」と胸を張る一方、「何もしなければより厳しい結果になることを心配すべき」だと迫る。今まで自分の街では人口が減りそうだと薄々気づいていたのが、リストを見て「遠く離れた自治体でも同じことが起きているとリアルに認識できるはず。自治体レベルで人口問題を考える、共通のベースができた」と意に介さない。リストに消滅の可能性が高いとして斜線をかけられている町が兵庫県には新温泉町、上郡町、神河町、市川町の4つ。うち私の旧選挙区の西播磨からは3つも。人口のカギを握る若年女性の数が2040年にはそれぞれ三分の一くらいに減り、文字通り数えるくらいになってしまうというのだ▼こうしたデータを前に、当事者の意見を訊いてみた。市川町議会の元議長・稲垣正一氏は、平成の大合併に神崎郡は乗り遅れたことが最大の原因だという。基本的な行政能力が疑問視される町長ではなにおかいわんやだと、匙を投げかけている様子すら伺え、暗澹たる気分になってしまった。尤も、神河町では町おこしのための動きもみられ、私のところにも意見が求められてきている。また、北海道の芦別市出身の稲津久衆議院議員にも電話で水を向けてみた。ここは札幌市が小東京的様相を示して、人口がそちらに流れがち。彼は意欲漲る政治家で、人口減に歯止めをかけるべく八方手を尽くしてはいるものの、前途は楽観を許さないとの見方をしていると受け止めざるを得なかった▼確かに事態は厳しい。増田氏は、以前に紹介した『里山資本主義』の著者・藻谷浩介氏との対談で、「本来、田舎で子育てすべき人たちを吸い寄せて地方を消滅させるだけでなく、集まった人たちに子どもを産ませず、結果的には区に全体の人口をひたすら減少させていくー私はこれを『人口のブラックホール現象』と名付けました」という。それに対して藻谷氏は、「東京は人口を消費する街。そこにもっと若者を集めろなどというのは、日本国を消滅させる陰謀ですよ」と応じる。こうした現状を打開するには、皆が現状をしっかりと認識したうえで、立ち上がらねばならない。増田氏自身あとがきで「今回示した現実を立脚点として、政治、行政、住民が議論を深め、知恵を絞る必要がある。いたずらに悲観するのはやめよう。未来は変えられる。未来を選ぶのは私たちである」と述べる。私は彼がこういうなら、ここから出発する続編を書いて欲しい。でなければ、結局は悲観論で終わってしまう。この本の少し前に出版された冨山和彦『なぜローカル経済から日本は甦るのか』は悲観論を打ち消す具体的方途を示している。藻谷氏の著作同様これからはどう地方を復興させるかの議論を花盛りにしていきたい。(2015・2・15)

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新たな”一期一縁”を生み出すきっかけ

先月の半ばに上京した際に、二泊三日の滞在時間中に様々な人たちとお会いし、旧交を温めたり仕事上のお付き合いを重ねたが、そのうちのひとりに第三文明社の社長の大島光明さんがいる。二つ年上の怖い先輩である。この人と初めてあったのは昭和40年代の後半だからかれこれ40年に及ぶ。新聞記者や団体役員を経て今は出版社の社長。節目ごとにご指導をいただいている。現在は自分の社で出版している月刊誌で佐藤優氏の対談が始まっていることから、彼と会うこともしばしばあるようだ。上京の際には佐藤さんのことをあれこれ語り合った。その際に帰り際に同社発刊の書物を数冊戴いた。その中に、森田実『一期一縁』があった。森田さんも佐藤さんと同様に、いやもっと前から公明党に対してまことに得難い応援の言葉を発信していただいている▼公明党兵庫県本部でわたしが代表を務めていた頃に幹事長として長く支えてくれた野口裕県議は、この森田氏とかねて親交があり、しばしば引っ張ってきてくれて講演などをしていただいたものである。森田さんとはそうしたわたしの先輩や後輩とのご縁はありながらも直接のつながりはなかった。ところが、不思議なことにたまたまわたしが購入して読んだ姫路の同人誌『播火』がご縁でしっかりとつながりが出来た。『播火』は姫路で作家活動を続ける柳谷郁子さんが主宰する同人誌だが、わたしも時々目にすることがある。今回は、わたしのもとで仕事を支えてくれていた仲間が初めて寄稿したものが掲載されていると知って、手にしたものだ▼巻頭のエッセイを開いてみて驚いた。いきなり、そこには森田実さんの『一期一縁』の中の「われは湖の子」が登場しているではないか。柳谷さんは諏訪湖のそばで生まれ育ったひとなのだが、森田さんのこの本のそのくだりを読んで思わず懐かしい故郷のことについて思いを馳せさせられ筆をとられたようなのだ。「湖(うみ)とは諏訪湖のことである。海のない長野県の諏訪では諏訪湖を湖(うみ)と呼んでいた、とある。私もそう呼んで育った」から始まる文章はなかなか美しい筆致で読む者に感激を呼び起こす。わたしはこのひともそして元姫路市議だった夫君も(共に早稲田大出身)存じ上げているだけに興味深く一気に読んだ。何よりもこの森田さんの本は、ご主人が本屋で見つけて、この諏訪湖のくだりを広げて彼女に見てみなさいと差し出されたというところに感心した。夫唱婦随の典型のように感じられ、麗しい思いがしたからだ▼こうして柳谷さんのおかげで、大島社長からいただいたままになって書棚に積まれていたこの本を引っ張り出して読むことになった。「われは湖の子」から始まって、「平和」と「出会い」についての二章からなる本を読んだ。第一章では全学連の闘士だった頃の森田さんについての生きざまが分かるし、第二章ではその後の彼の人生における交友関係がよく分かる。まさに一人ひとりの人間を大切にして関係を大事に育て上げられる人柄が彷彿としてくる。直ちに大島先輩に連絡し、森田さんの事務所の連絡先を聞いた。ファックスを送り、柳谷さんのことをお伝えした。すぐさま、森田さんからは「柳谷郁子さんの美しい文章を読み、感動しました。『播火』を読みたいと思います。私のHPの読者の中には地域の同人誌を発行している方もいますので、『播火』を紹介したいと思います」とあった▼森田実さんは1932年生まれだから今年83歳になられる。益々お元気で公明党がいかに素晴らしい政党であるかについて語ってくださっている。イデオロギー華やかなりしころの一方の旗頭だっただけにその論陣はただならぬ重みを持つ。佐藤優さんと並び立つもう一人の諸天善神に違いない。柳谷郁子さんは、姫路に拠点を持ち作家活動を旺盛に続けている。先年お会いした時に、黒田官兵衛にまつわる書物を著わしてほしいとの地元のファンの方々の要請を受けているとのことであった。このたびの件で、そのことをお聞きしたら、ようやく上梓する寸前にこぎつけたとのことだった。この人の先のエッセイの末尾には「その湖畔で育った私はどうしても書きたい小説の抗争を抱いたまま未だ果たせないでいる。題名だけは揺るぎなく決まっているのだが」とあった。私より8歳ほど年長だと思われる方だが、いやはや年齢を感じさせぬ創作意欲は凄まじい。遅れて歩むものたちにとって大いに励みになるお二人だ。(2015・2・8)

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