Monthly Archives: 7月 2016

愛するがゆえの痛烈な一撃ー村上誠一郎『自民党ひとり良識派』

「私は今、自民党を憂いています。現在の自民党政治の暴走に対して、たった一人でも政治家の使命をかけて闘わなければならない。そう決意をせざるをえないのです」-参議院選挙の直前に出版された本、村上誠一郎『自民党ひとり良識派』を選挙後に一気に読んだ。衆議院議員に連続当選すること10回。自民党一筋に31年。「ミスター自民党」を自認する男の「たった一人の反乱」が気がかりになっていた。何がそこまで駆り立てるのか、と。自民党の内情に立ち至るのは差し控えたいが、恐らく全編これ正論であろう。政策課題に関しても一部を除いて、その主張に共鳴することは少なくない。そのうえで、好漢惜しむらくは浮いている、との印象はぬぐいがたい。彼ほどの侍による地に足つけた批判ならば、今少し同調者もいるのだろうに、と思うからだ▼村上氏は年齢は私より7歳下だが、衆議院議員当選は7年早く、初めて会った時からその堂々たる風貌は仰ぎ見る存在であった。一緒に欧州経済事情視察に行くなどするなかで妙にウマが合った。かの福島原発事故の後処理問題では出色の論陣を張った彼と、微力ながら私も行動を共にした。その間、事あるごとに「吠えるだけではなく、行動を起こせ」と焚き付けた。引退後にも一度会ったが、その時も「同志を募らなければ。一匹狼では」と偉そうに苦言を呈したものである▼私との最大のくい違いは、安保法制について、いわゆる集団的自衛権の行使容認をしたことは違憲であり、解釈改憲は立憲主義に反するとしている点である。仮に集団的自衛権を憲法を改正しないでまともに導入したのなら、解釈改憲をしたことになろう。しかし、今回の安保法制は、従来からの個別的自衛権の範囲を出ていない、というのが私の認識である。そこを彼は曲解してしまっている。殆どの憲法学者たちの指摘する「違憲論」も存知のことだが、彼らが同時に「自衛隊違憲論」者であることを見逃すことはできない。国際法や国際政治学者の多くは、憲法学者と意見を異にしていることも抑えておく必要があろう。尤も、憲法について村上氏は3原理を変えないで、環境権など国民の理解を得やすいものから改正して行くことが穏当な政治的判断だとしている。これなど公明党の「加憲論」と全く同じであり、大いに興味深い▼私たちは立党いらい長い間、”自社55年体制”を倒すことに意を注いできた。ソ連崩壊とともに社会党が消滅し、自民党は一党で政権維持をすることが困難となった。21世紀に入り連立政権が常態になって、公明党は外から自民党政治打倒を叫ぶより、内側に入って改革することに方針を変更した。自民党政治を庶民目線のものに変えるためには、与党の一角を占めたうえで普段に主張し続けることが近道だと判断したからである。庶民大衆のために政治を立て直す観点から、与党第一党の存在を注視してきたのだ。村上氏の言われるように、かつての自民党は「あらゆる意味で強固かつ強靭な政党」であった。しかし、その分、庶民大衆からは程遠い存在であった。それを大衆寄りのものにするべく、外から内から、手を変え品を変え、あの手この手で取り組んできたのが公明党なのである▼時として、公明党は「平和の党」の旗を降ろしたのか、との批判を受けることもある。”空想的平和主義”の立場からは無理からぬことかもしれない。現実に根差した中道政治の展開はなかなか理解されがたい側面もある。我々は自民党が庶民に目配りを十分にする党になって欲しいことを念願してきた。「消費増税にせよ、規制改革にせよ、はたまた社会保障改革など国民にとって厳しい政策を着実に推し進めることができるのは唯一、自民党である」と断言する村上氏にとって、公明党の存在こそ手枷足枷になっているとの認識なのかもしれない。そのあたりについては触れられていないからわからない。他党批判には手を染めたくないとの慮りなのだろう。だが、かつての自民党との違いは公明党との共闘にあるわけだから、自ずと心中はうかがえるというものだ。自民党の変貌に向けてしゃにむに手を打ってきた側からして、仮に村上氏のいうような現状に同党が陥っているとするなら、「薬が効きすぎた」というべきだろうか。友党の一員として複雑な心境にならざるを得ない。自民党の今を嘆き続ける村上氏と、自民党の変革未だならずとする私とが折り合える日は果たして来るのだろうか。(2016・7・23)

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「憲法」でも注目されるべき第三の道ー『見損なわれている中道主義の効用❻』

これからの日本社会の行く末に目を凝らすとき、誰しもが1985年のバブル絶頂期から数年を経ての崩壊に始まる、長期低落傾向に歯止めをかける必要性を感じるはずだ。この期間における日本を覆う支配的な価値観とは何だろうか。それは結局のところ、1945年の戦後から一貫して流れる経済成長至上主義、成長神話ともいうべきものではないか。この経済成長に全てを託すことが国家目標に、いや国民の目標にさえなっていることの過ちにそろそろ我々は気づかねばならない。いや多くの人は既にそれに気づき、様々な発信もなされているが、未だ本格的に旗印は取り換えられてはいないのである▼私はこれまでことあるごとに、芸術、文化に力点を置いた国作りにその方向性を変えるべきことを強調してきた。軍事や経済と無縁な国家は勿論ありえない。しかし、それに翻弄されてしまってはもともこもない。経済力や軍事力はほどほどでいい。それよりも、一人ひとりの人間が持てる能力を芸術や文化の面で存分に発揮して、それぞれの人生を謳歌出来るようになったら、どんなに素晴らしいことか。お前は何を戯言を言ってるのか、という向きがあればぜひとも違う目標を提示して頂きたいと心底から思う▼国家目標などといった言い回しは、今更必要ないといわれる方もあろう。現にかつてあるパーティの場で束の間だったが、尊敬する劇作家の山崎正和さんにこうした考えをぶつけたことがあるが、柔らかな微笑みを湛えて「それは必要ないでしょう」と言われたことを覚えている。それは国家目標という言葉の響きが悪いからで、国民の思いとでも言い換えてみたらどうかとも思う。今、安倍政権は「一億総活躍社会」を掲げている。この気持ちは私の言うところと相通じるものがある。あらゆる人々が活躍できるように、との思いは得難い。だが、安倍首相自身の言動がややもすれば、過去の軍国国家の再来や経済力偏重の継続を想起させてしまう。皆が活躍して、その先にいったいどういう国作りをしようというのかが、問われねばならないのだ▼「教育」をめぐっての、戦後民主主義の弊害と戦前回帰の無謀といった異なる立場の間での論争も、あるいは「憲法」についての「改憲か、護憲か」の論議も、中道主義の立場が見失われてはならない。公明党は「教育基本法改正」をめぐって自民党との間で極めて長い時間をかけて議論を積み重ねた歴史を持つ。ひとえに従来の古い「保革対立」から脱却せんとする熱い思いからだ。人間教育に依拠する「創価教育」の伝統を重視する公明党ならではの闘いである。憲法論議でも公明党は現行憲法を貫く3つの基本原理を堅持したうえで、新たな時代変化に呼応するために新しい条項を加える「加憲」を提起している。憲法の「どこを変えて、どこを変えないのか」の議論がまずはなされねばならない。「全部変えてしまえ、いや一切変えてはならない」という対立にはもう終止符を打つ必要がある。参院選挙が終わって、いよいよ公明党の真骨頂が試されるときが来た。今こそ第三の道・中道主義が待望される。(この項終わり=2016・7・13)

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失われた歳月を取り戻すために何が必要かー『見損なわれている中道主義の効用』❺

これまで概観してきたように、公明党が安倍政権の背後にある「宗教ナショナリズム」と結託して、日本を再び奈落の底に突き落とす重要な片棒を担いでいるとの指摘は、あまりに皮相的な見方が過ぎ、おかしすぎるというほかない。むしろ左右両翼のはざまで喘ぐ「大衆」を真に救済する中道主義の役割こそ見直されるべきではないかと、これまで述べてきた。ここで、私は冒頭に紹介した「25年パラダイム変換説」よりも、「40年日本社会変換説」の効用を説いておきたい欲望に駆られる。何も数字遊びをしようというのではない▼後者は、作家の半藤一利氏の提起によるもので、前者よりもいささか世に早く出たものと思われる。明治維新から40年後の日露戦争の勝利。更にそこから40年後の太平洋戦争の敗北。で、そのまた40年後のバブル絶頂から崩壊を経て今に至る流れ。このような山あり、谷ありの繰り返しを持ち出すと、大澤真幸氏の説といかにも酷似して見える。第一の40年は、富国強兵の国家目標、第二の40年は、継続ゆえの失敗として捉えられる。第三の40年は、経済至上主義の旗印の下での高揚の時代。これはまた、その後の40年ということになると、2025年まで続くわけだが、この期間が同じ経済優先の御旗のもとで繰り返されてはならない。自然の為すがままに放っていると、少子高齢化社会のピークとしての悲惨が待ち受けていることになってしまう。大澤説も半藤説も悲観的な先行きを強調しているという面では同種のものではある。ただ、後者の方は、国の旗印を今からでも遅くないので変えよう、との投げかけを許す余地が未だしもあるように思われる▼1945年から40年かけた期間における凄まじいまでの経済成長を経たうえでの壮絶なバブル崩壊。その影響をもろに受けた日本社会は、”失われた20年”と揶揄された。いや、その時間幅については、今や25年、30年と20年を超えて、更に伸びつつあるといえなくもない。ほぼ同じ期間を日本国の衆議院議員として、その異名を為さしめたことは今になって思えば無念だ。結果的には無為に過ごしてしまったという他ない身として、ひたすら恥じ入るしかない。あれこれとやってはきたが結局は「失われた」というのでは。この誤りを繰り返さないために、さてこれからどうしたらいいのか。(2016・7・12)

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宿命的に困難さ伴う政治選択の具体的表現ー『見損なわれている中道主義の効用』❹

この50年の日本の政治を概観したが、公明党という存在が一般的に理解されづらいのは、中道政党だからだともいえる。いわゆる右でもなく左でもないという政治選択。これは民主主義の展開が具体的な姿をとって現われるうえでは、どうしても分かりづらいものとならざるを得ない。政権側の一員として政治的構想や政治選択の是非を問われる場合、イエスかノーで迫られると、注文は多々あるにせよ、結局は政権側の構想にイエスとなりがちである。安保法制を例にとろう。自公協議という水面下の交渉で、公明党は自民党の狙いをめぐって修正をあれこれ主張した。だが、終わってみれば、自民党と大差ないかに見える。公明党内部から、自民党との違いを明らかにしてほしいとの要望がそれなりにあったのは当然だろう。一昨年の閣議決定以降、私は決定に至るまでの経緯をつぶさに公表すべきだと、幾つかの機会をとらえて発言した。そうすることで、公明党がいかに自分らしさを発揮したかがわかるし、自民党との主張の違いが判ると思ったからだ▼しかし、それはついになされることはなかった。せめて党首討論を安倍、山口の党首間でやればいい、それが無理なら自民、公明の安保専門家同士で公開の議論でもやるべしと、たきつけたものだ。ある後輩代議士は「赤松さんの言う通りだが、それをやれば連立が壊れる。いつの日か自公協議の全貌は明らかにするから待っていてほしい」と私へのメールで述べたものだ。ないものねだりが過ぎたかもしれないが、メディアも自公の違いをもっと明らかにする方向を促す努力をすべきだった▼要するに中道主義は政治表現の対象として分かりづらい宿命にあるということをここで指摘している。かつての民主党と、仮に公明党が組んでいたらどうなっていたか。理念的には似たものを共有していた両党だけに、面白かったかもしれない。私には「早く生い立て民主党」と云って、同党の成熟を待ち望んだ頃もあったが、所詮は無理なことだった。勿論「政治の安定」という観点から、そんな”火遊び”のようなことは到底できないのだが。中道主義は本来、機に応じて左右両翼の政治選択と歩調を合わせることがあってもいいはずのものだろう。机上の空論を弄ぶなと云われることを百も承知で、なお口にしてみたい欲望に駆られる▼今のような自公政権が永遠に続いていけば、民主主義本来の政権交代が叶わない。中道主義はここでジレンマに陥ってしまう。理屈の上では、中道主義の政党は、どこかで一方の党の補完の役割を放棄して、もう一方の側の支援に回るということがあってもいいはずなのである。日本の政治の前進のために近い将来そういったことが起こりうるかどうか。そのためには、少なくとも政権を競う片方の政党グループに、世界観を異にする革命政党の本質を持つ共産党が存在することはあってはならない。(2016・7・5)

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