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なぜもっと注目されないのかー山口那津男vs田原総一朗『公明党に問うこの国のゆくえ』を読む

「日本の政治の舵を取る 公明党のすべてがわかる!」「当代随一のジャーナリストが政権政党代表に舌鋒鋭く迫る」とのキャッチコピーに惹かれて読んでみた。コロナ禍への対応も入っており、公明党に関する最新の情報が満載されている。読み終えて、こんな凄い闘いをしている党なのに、世にあまり注目されていないのは不可解だと思わざるを得ない。私のような公明党関係者でも新たな気付きが一杯あり、刺激に溢れている。ただ、一重たちいたって深く読むと、少し物足りなさも残る▲まず、山口代表が衆議院選で、自民党公認候補との調整がならず、二度にわたって闘って敗れたことについて。「こんな経験をした者は公明党の歴史の中で私しかいません」と。溢れる悔しさを覆い隠した珍しい発言である。「衆議院選挙で2回落選して、もはや政治生命は絶たれた、と自分でも思いました」ーこの前後の記述には切なくやるせない思いにさせるものがあり、公明党の選挙を経験した者として、まさに正座して読まねばならぬと思った▲全国の地方議員の闘いに触れたところ(第一章)も、改めて公明党の底力の所以を思い知った。また、郵政解散で「新しい時代の風」が起こり、「とにかく風に乗れ」と訴えた場面(第二章)では、知られざる同代表の一面を見て興味深かった。新型コロナウイルス感染症対策で、閣議決定を覆し、10万円給付決定にまで持ち込んだ舞台裏(第三章)は、まさに迫力満点。社会保障政策に関する第五章は、私にとって新しい気付きばかり。「無償化3本柱」の中身、フィンランドに学ぶ子育て支援スタイル、就職氷河期の課題解消策などなど、すべて目から鱗が落ちる思いで、読み進めた。公明新聞紙上でこの対談を細かく分けて掲載をするとか、ユーチューブで発信すべきでないのかと思うことしきりだ▲次に私の最大の関心事を巡っての思いを二つ挙げたい。一つは、安倍自民党の金権政治の象徴として、問題になっている「桜を見る会」について。田原氏が「かつての自民党なら、実力者の誰かが、安倍さん、やめた方がいいよと忠告したはず。ところが、今は誰も言わない」と述べている。それに対して山口代表は「公明党は3、4人しか割り当てられていませんけれどね(笑)。」と発言。ここは「残念ながら背後の事情など知る由もなかった」とか、率直に弁明して欲しかった。田原氏が「そういうときは、やっぱり、公明党が強くいうべきなの」と差し込んでいるのに、同代表は黒川検事長の定年延長問題に関してはきちんと説明すべきだ、とだけ。「桜を見る会」については、公明党も参加せざるを得なかっただろうが、問題点はそれなりに追及すべきだ。一般的には壇上の首相の隣に山口代表が並び、杯をあげているシーンが映像で出てくるたびに、〝自公一体〟が印象付けられ、うんざりしてしまう▲公明党に今一番求められているのは、この国をどういう国にしていくのかというビジョンの提示ではないか。社会保障分野を始め、他党の追従を許さぬほどの政策提案を展開、実績も十分だが、国のあり方の大きな方向性で党独自の視点が見えない。要するに自民党と歩調を合わせる党であるとしか見えてこないのだ。この本の「はじめに」で、田原氏は、「最後に公明党は日本をどのような国にしようとしているのか。山口代表のビジョンをお聞きしたい」と述べている。私もそれに期待した。しかし、ズバリそう聞く場面は出てこない。当然、その答えもない。残念という他ないのである。蛇足だが、本書で活躍に言及されている公明党国会議員は男女2人づつ4人いるが、全て参議院議員。衆議院議員はどうしているのかと余計な心配をしてしまう。(2021-2-20)

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人の精神への処方箋と、文明への見立てとー中井久夫『分裂病と人類』を読む

前回紹介した与那覇潤さんの論考(『繰り返されたルネサンス期の狂乱』)の中で、私がもう一つ注目したのは中井久夫さんの『分裂病と人類』について触れられていたことである。この人は神戸に住む精神科医で、文筆家としても名高い。かつて私は『日時計の影』(2008年)『樹を見つめて』(2006年)を感動のうちに読み、読書録にも取り上げたことがあるが、この本は更に20年ほども前の1988年に出版されている。学術書風の硬いもので読みやすいとはいえないが、意を決して挑戦してみた▲最後の最後に「終わりにー〝神なき時代〟か」に接して、愕然とするほかなかった。「〝司祭〟を越えて殆ど〝万能者〟〝全知者〟として患者に臨まんとする医師の内なる誘惑が(実は医療の技術的未成熟による面が大きいのであろうけれども)、今日ほどたやすく診察室で実現しうるときはおそらくない」と述べた上で、「精神科医が、神の消滅しつつある時代に司祭あるいは神にとって代わろうとするのか。この誘惑の禁欲において医師としての同一性を保持しつつ患者に対しつづけうるのか。これは西欧精神医学の問題であるとともに、その枠を越えた現代の問題、特に日本(とあるいはアメリカ)の問題であろう」と結んでいる。いささか持って回った表現で解りづらい。要するに著者は〝神の代理人〟としての精神科医の危うさを吐露されているように、わたしには読める。それから40年が経った今も、この病をめぐる状況は殆ど変わりないように思われる▲一方、この本では、ルネサンス期の「魔女狩り」の史実を追っていて知的刺激を強く受ける。実は与那覇さんは、前述した論考で、「魔女狩り」と、現在における「反知性」の謀略論の台頭との類似性に着眼している。しかもその上に、「『西洋近代』を生み出す際の陣痛だったともいえるルネサンスのダークサイドは、目下の世界情勢とよく似て」おり、「いわば『中国主導の脱近代』への過渡期における『第二のルネサンス』が今起きているのだと見ることも可能」とまで読み取っている。加えて中井さんが「ルネサンス時代は異能を持たぬあたりまえの人が生きにくい時代であった」というルネサンス歴史家・塩野七生さんが繰り返す言葉に注目していることも見逃せない。この本は患者としての与那覇さんを見事に甦らせ、ついでに読者をも魅了させるのだ▲以上のように、この本は精神科医としての中井さんの二面性ー精神を患っている患者に対する医師の姿勢と、文明の病的側面を診る文明史家の態度ーが窺えるものとして、実に〝面白く〟読めた。なかでも第二章「執着気質の歴史的背景」での「文学的脇道」がいい。江戸期から明治期にかけての士農工商各階層ごとの倫理を語って、すこぶる惹きつけられるのだ。二宮尊徳、大石良雄、森鴎外、芥川龍之介らが俎上に昇っているが、とくに鴎外についての記述には関心を持った。「鴎外山脈」とも称される膨大な作品から、その一生を集約するものとして、詩「沙羅の木」を挙げている。「日露戦争における戦死の予感」としての「(鴎外)自らへの悼みの詩」は忘れ難い。「褐色(かもいろ)の根府川(ねぶかは)石に 白き花はたと落ちたり ありしとも青葉がくれに みえざりし さらの木の花」ー残された我が人生で、掴み損ねて置き去りにしているものを味わい尽くしたいとの、切なる思いが募ってきた。(2021-2-12)

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知性は死にそうー與那覇潤『日本人はなぜ存在するか』を読む

與那覇潤さんの『中国化する日本』は、妙に気になる視点のユニークな本だった。その後、彼が躁鬱病になったとの話が届いた時はショックだった。若いのに惜しいなあ、との思いが強かったのである。それだけに、大学は辞めたものの、物書きとして復活したとのニュースは嬉しかった。もう、カムバックから4-5年経つが、先日雑誌『Voice』2月号で久しぶりに論考を発見し、熟読した。『繰り返されたルネサンス期の狂乱』である。「(コロナ)危機への対応を先進国の政治家や知識人が誤った結果、知性への信頼を完全に崩壊させた」との指摘から始まり、このことを「世界史の中にどう位置づけるか」との問題提起は、極めて重要であり知的興味がそそられる▲「知性の崩壊」は、今や誰の目にも明らかになってきている。とりわけトランプ米大統領の振る舞い及び周辺の動きは「米国の分断・分裂」を明確にしただけでなく、日本にも「謀略論」の復活をもたらそうとしている。そんな状況のなか、『日本人はなぜ存在するか』を読んだ。「日本人とはいったい何か」とのテーマを巡って、国籍、民族、歴史に根拠はあるのかどうかを、社会学、哲学、人類学など様々の学問のアプローチを駆使して探っている。それはそれで興味深いのだが、より惹きつけられたのは、最終章の「解説にかえて平成の終わりから教養の始まりへ」だ。とくに、大学がこれから「独学との競争」に晒されるとのくだりは面白い▲AIの進展と共に、大学で教授から学ばずとも、スマホでグーグルにアクセスすれば、解は一発で求められる。かつての「知への山脈」はいとも簡単に崩れ去り、我々の眼前にそれは皿の上の手料理のように横たわっている。何の苦労もせずに先人の築いた「知の宝庫」が誰にでも手に入れられるのだ。時あたかも、コロナ禍でフェイスツーフェイスの教室での聴く講義から、オンラインでの見る講義が余儀なくされている。いやまして「独学の時代」の到来だとも言えるのである。大学教授はオンラインの狭間で独自の価値を編み出せるかどうかが問われ、学生の方は、単なる独学以上のものを、教授からどう得ていくかが求められてくる。この本は、大学の教授として脂の乗り切った矢先に躁鬱病を患った人の手になるものだけに、より「知性の存亡」が問われることがリアルに見えて来て興味深い▲この本は様々な意味で、今の時代の切り口のようなものを提起してくれている。それは「国家の擬人化」といった一見硬いとっつきにくい政治論的テーマから、「『シン・ゴジラ』『君の名は。』などといった一見柔らかい文化論的テーマまで、広範囲に料理してくれていて参考になる。著者はご自身の病気の体験談を含めて、平成という時代と真正面から取り組んだ『知性は死なない』というタイトルの本を少し後に出している。この本の続編の趣きがある。その意味では、わかりづらく食指が動かない危険のあるタイトルよりも『知性は死にそう』とか『死に瀕した知性』と言う風なものの方がいいかもしれないと思ってしまう。(2021-2-5  一部再修正)

 

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安保研究の「知的怠慢」を指摘ー山本章子『日米地位協定』を読む

目が覚める思いがした。「日米地位協定合意議事録を撤廃し、日米地位協定の条文通りの運用を行うことによって、不完全ではあるが協定が抱える問題の大部分は改善される」ーこの記述を山本章子『日米地位協定』の終章で発見した時のことである。政治家として長く「日米地位協定」の改定をせよと、外務省や米国務省に要望してきたのだが、いつも日米一体の門前払い的対応に歯噛みするのみ。この視点は欠落していた。著者は、この議事録が1960年に締結されてから、60年を超えて公の場で論じられてこなかったのは、「単に政治の場やメディアで注目されず、知られていなかっただけ」で、「日米安保研究の知的怠慢のせいでもある」と厳しく断じている。もちろんご自身もその責めを負うことに言及されている。このくだりを読んで、政治の世界に身を置いてきたものとして、恥いらざるを得ない▲この書物を読むことになったきっかけは、昨年末に山本さんが毎日新聞に寄せた寄稿文である。元東京新聞論説主幹だった宇治敏彦さんの一周忌にこと寄せて「心から尊敬する人物で政治史の師である」との書き出しで、様々のエピソードを交えた心惹きつける内容であった。実は、宇治さんは、私が所属する一般社団法人「安保政策研究会」(浅野勝人理事長)の草創以来のメンバーで、理事をしておられた。中途加入した私に、色々と声をかけてくださる優しい先輩だった。版画入りの俳句集を出版されていたことも印象深い。この寄稿文を読んで私が感激した旨を同会の仲間にメールで知らせたところ、柳沢協二・常務理事(元防衛省官房長)から直ぐに反応があった。山本さんがこの『日米地位協定』で石橋湛山賞を受賞されたことなど、いかに有能な研究者であるかを教えて頂いたのだ▲この本は「日米地位協定」をめぐる一連の経緯について詳細にまとめられており、その価値は極めて高い。関心を抱く人なら座右に置いておくといい。役立つこと請け合いである。私の衆議院議員としての20年間は、ある意味で「無念なことのみ多かりき」歳月だったが、この問題はその最高峰の位置を占める。沖縄における米軍人による少女暴行事件など乱暴狼藉が起きた時には本土でも怒りが盛り上がる。被告人の裁判は勿論、身柄拘束さえままならぬ現実を変えるために壁になっている「地位協定」改定機運が高まるが、やがてしぼむ。その都度国会でも声が上がるが、結局は陽の目を見ぬままに終わってしまう▲この点について、沖縄海兵隊の元幹部で、今は政治学者のロバート・エルドリッジ氏と私はしばしば論争してきた(幾度か書いてきたので、ここでは触れない)。結論は日米地位協定の改定しかないと私が言うと、不思議に彼は黙ってしまう。昨年その謎が解けた。実はこの5年ほどの間、彼は沖縄における米軍人の犠牲になった女性たちのために戦ってきていたのである。昨年、逃げていた米兵を発見することに尽力し、遂に捕まえたという。彼はその経緯をある新聞に寄稿した。その見出しは「日米地位協定の改定を」であった。そこでは、日米双方の責任ある部局がそれに不熱心であり、日本の政治家も無力であることを批難していた。何のことはない。彼は自身の「善行」を隠していたのである。成果が出ていなかったからであろう。日本の武士道を思わせる彼の振る舞いに、口先だけだった私は〝負けた〟との実感を抱くほかなかった。(2021-1-29)

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行動する学者による憂国の外交指南ー北岡伸一『世界地図を読み直す』を読む

国連大使を経てJICAの理事長だった東大名誉教授の北岡伸一さん。彼と私は、これまでに僅かだけれども重要な接点があった。一つは憲法をめぐる政治家と学者の座談会(読売新聞主催)でご一緒して、「場外衝突」したこと(幾度か書いているのでここでは割愛する)。もう一つはこの人の出身地である奈良県吉野町に行った際に弟君の北岡篤町長(今は退任)としばし懇談したこと。前者でこの人の心意気を感じ、後者ではこの人の出自を知った。『世界地図を読み直す』を読み進めるうちに、この二つの出来事を懐かしく思い出す記述に出会った。この本は、行動する憂国の学者・北岡さんがJICAの理事長として世界の各国を訪問された際の行動録である。昨年亡くなられた劇作家で文明批評家の山崎正和さんが「知的な俊英であるだけでなく、教養豊かな文化人」である北岡さんの「まなざしが各国をそれぞれ個性的に捉えて」おり「魅惑的だ」(毎日新聞「読書欄」2019-6-23付け)と推奨されたように、日本の行く末に示唆を与えてくれる極めて重要な外交指南書である。国際政治と日本の関わりに関心を持つ全ての人たちにお勧めしたい▲北岡さんは、日本外交が対米、対中、対韓といった二国関係に偏りすぎていたことが行き詰まりの背景にあるとして、その立脚点を定めるべきだという。つまり、日本の外交は利害の調整ばかりに終始して、どこに立って何を目指すのかが分かりづらいと指摘しているのだ。このことを「はじめに」でおさえたうえで、「おわりに」の末尾に、日本の理念は「非西洋から発展した歴史を基礎に、民主主義的な国際協調体制を、それぞれの国の事情に応じて支援していくこと」であり、「それを自覚し、言語化し、発信し、かつ戦略的に行動すること」が日本外交の大方針ではないか、と結んでいる。これまで訪問した108カ国(JICAの理事長としては50カ国)のうち20カ国を取り上げて、それらの国々の分析と、日本との関係について考察をしており、読み応え十分な知的興奮を覚える面白い内容になっている▲冒頭(序章)に掲げられた「自由で開かれたインド太平洋構想」を、まず「日本の生命線」と捉えていくとの観点は大事だ。これは、中国の「一帯一路」に対抗する戦略といった次元ではなく、「インフラのみならず、信頼関係の構築であり、人づくりであり、自由と法の支配」を中心とする、死活的に重要な構想だという。その中で、「途上国の若者には、日本に来て日本の近代化や開発協力の経験学んで欲しい」として、JICA開発大学院連携への期待を述べておられることが、大いに注目される。第一章から第五章までの20カ国をめぐる記述は、私としてはベトナム一国に行ったことがあるだけで、あとはいずれも未知のことばかり。尤もこのうち、親しい友人が過去に大使をしていた、マラウイ(野呂元良大使)と東ティモール(北原巌男大使)のくだりには惹きつけられた。マラウイには「本当に貧しいアフリカ」があり、「青年海外協力隊が最も多くの犠牲を出した国でもある」ということを知って、驚いた。友人の苦労が偲ばれた。また東ティモールについては、日本がかつて強い関心を持ったのだが、今は「孤立した民主主義国」であり、地域の連帯からも外れているようだという。「日本のパートナーとして押し立てていくべき」で、「国益判断に立った外交イニシアティブが必要だ」との見解には、焦りを伴って共感する▲圧巻は終章の「世界地図の中を生きる日本人」。現在の国際会議がどのように行われているかをめぐって、ご自身の体験も交えての極めて興味深い内容だ。そのうち、韓国のカン・ギョンファ外相について「英語はうまいし、合理的で、グレー・ヘアーが魅力的な女性で」、「彼女の能力は評価している」と、ベタ褒めのところには思わずニヤリとした。美人は得するなあと、改めて思ったしだい。また、中曽根元首相の「昭和の岩倉使節団」についての記述には深い憂慮を感じざるを得なかった。「経済は長い停滞を続け、少子化が進み、巨大な政府債務が蓄積してしまった」日本は、「進歩を遂げたのだろうか」と自問し、「大きな問題に優先順位をつけ、時には妥協して前に進むべきだった」し、「進歩しないうちに、いつしか国力の停滞が深刻化しているのではないか」と憂えている。最後に、島根県隠岐・海士町について、「日本にあるフロンティア」としての取り組みを印象深く紹介しており、興味深い。かの後鳥羽上皇が流されたこの地に必ず行こうとの思いを改めて強く抱くにいたった。(2021-1-22)

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警察官誕生のドラマを鮮やかに描くー長岡弘樹『教場』と『教場2』を読む

昨年末から新年にかけてテレビドラマに嵌った。年末は『教場』、新年は『教場2』。それぞれ前編、後編が連続二夜にわたって放映されたのだが、主演のキムタクこと木村拓哉の魅力に取り憑かれてしまった。彼の魅力を知ってる人からすれば、何を今さらということに違いないだろうが。早速、本も買い求め急ぎ読んだ。発刊された7年ほど前に読むかどうか逡巡したのだが、今頃になったことは悔やまれる。テレビの方が良くできているものの、あとで補足するためには本も得難い▲いわゆる警察小説と違って、警察官が誕生するまでの背景が描かれる。志願者を篩いにかけて落とすことが狙いとあって、教官による過酷極まりない試練が課され、観ても読んでもハラハラドキドキする場面の連続。犯罪者そこのけの際どく悪どい事案も次々発生、短編の連作の形をとっていて読みやすい。テレビ映像ではキムタク扮する隻眼の風間公親なる教官が、シャーロックホームズそこのけの観察力でトラブルを解決し、小気味いいことこの上ない▲この小説(映画)の魅力は、警官がどのように犯罪を捉え、犯人を見つけ出すかのノウハウが描かれていること。医療や政治、経済をめぐる様々に話題になるドラマは多々あるが、こうはいかない。結局、面白おかしく取り扱われるものの、あまり日常生活に役立たない。やれ、『ドクターX』やら『半沢直樹』などといった超人気を博したものも、「私失敗しないんです」とか「倍返し」などのセリフは印象に残っても、それだけに終わる。映画『記憶にございません』など、政治風刺の喜劇とはいえ、あまりに酷すぎる内容で、脚本家の知的センスを疑う。そこへいくと、この小説は犯罪にどう立ち向かうか、微に入り細に渡って説いてくれる上質の面白さを有している▲風間教官の壮絶な訓練を耐え抜いて、無事に卒業し、現場に送り出される警官たち。風間が一人ひとりと握手し、激励の一言を投げかけるラストシーンには胸が熱くなった。こう書くとお分かりのように圧倒的に映像の方が存在感漲る内容であった。ファーストシーンの運動場での訓練場面は、米映画『フルメタルジャケット』の海兵隊のそれを彷彿とさせるもので、何かと考えさせられた。先日のNHK「クローズアップ現代」では、自衛官の自殺問題を取り上げていた。また、今日は富山の元自衛官による交番襲撃事件の初公判が報じられていた。妙に自衛隊に「風間公親」はいないのかとの思いに駆られてしまう。(2021-1-14)

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「首都移転」しかないー高嶋哲夫『「首都感染」後の日本』を読む

昨年2020年は明治維新から約150年の日本にとって、大きな転機となる年だった。75年前の先の大戦の敗北に引き的するくらいの。そんな年に作家の高嶋哲夫さんと私は初めて知り合い、そして親しい関係になった。彼の住まいが神戸・垂水であり、慶大出身ということもあって。この新年早々(4日)に親しい仲間たち数人と、異業種交流会(私が友人と共催)に集ったが、そこに彼も顔を出してくれた。高嶋さんは昨年一年で4-5冊もの本を出したとのことだが、別れ際に、そのうちの一冊『「首都感染」後の日本』を頂いた▲この本はコロナ禍の後に巨大災害が必ず来るとの確信に基づく予測を述べると共に、その対応策を明らかにしている。今の47都道府県、東京一極集中から、道州制の導入と首都の移転の必要を、である。これはこの人の年来の持論であり、その著作『首都崩壊』に詳しい。岡山県吉備高原に持ってくるべし、との具体的提案も詳細に展開していて迫真性がある。『首都感染』を読んで感心していた私に、次はこれ、さらにまた、と次々指示をいただく。こちらは読むのに精一杯だが、有難いことと思い直して挑戦している▲東京から首都機能を移転ーとりわけ国会を移転させること、とのテーマは1990年代にそれなりに議論された。私が当選する前年に「国会等移転法」が成立(1992年)し、阪神淡路大震災後の1996年に改正された。99年には政府審議会が「栃木・福島」、「岐阜・愛知」、「三重・畿央」の三地域を候補地にと答申している。しかし、バブル崩壊やら東京都の猛烈な反対の前に殆ど議論も進展せぬまま棚上げ、沙汰止みになっているのが偽らざるところだ。私も現役当時党内議論に少し関わったが正直言って興味は薄かった。今となっては不明を恥じる▲高嶋さんは、首都の条件として❶自然災害が少ないこと❷交通の便が良いところ❸防衛しやすいところ❹首都を造るに十分な土地があることーなどの条件を挙げる。安定した地盤と温暖な気候で、日本の中ほどという位置(北方四島から尖閣列島までの中間)にある岡山県吉備高原が最適だというのである。この選定を含めて今後の議論に注目し、遅ればせながら参画もしていきたい。彼の小説はいずれもリアルな課題を真っ向から取り上げて興味深い(特に政治家として)ものばかり。中身も表現ぶりもやや硬いとの評価をする向きが少なくないが、コロナ禍中にあって、最も聞くに値する重要な提案をされている人だと思う。多くの人に読まれることを期待したい。(2021-1-8)

★1月第一週の読書リスト【①長岡弘樹『教場』②山本章子『日米地位協定』③北岡伸一『世界地図を読み直す』④長岡弘樹『教場2』】←今年度から、私が並行読みしている本を挙げていきます。この中から、やがてこの「読書録」に書くことになるものが出てくる予定です。

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孫娘の成長に見惚れ、深みに嵌るー伊東眞夏『深読み百人一首』を読む

もう幾つ寝ると〜お正月🎵お正月には凧揚げて~駒を回して遊びましょ🎵ー子どもの頃に誰しもよく歌ったものだ。お正月の遊びといえば、かるた取りも加わり、『百人一首』に興じる人たちも少なくない。我が家でも近くに住む孫娘が小学校にあがって、今や4年生だが、去年とはまた格段に腕をあげたようで、もはや爺さんは太刀打ちできない。この一年の間に孫と爺の力の差は大きく開いてしてしまった。というのも先だって手合わせを迫られて、1年生の孫と3人でやったら、7-8割方はこの孫娘に取られてしまった。上の句を母親が読み上げたら、間髪を入れずに「はいっ!」と上体を屈ませ、手を伸ばすのだから。下の句の登場まで待ってる当方は、せいぜい目の前のものを取るのが精一杯だった▲あまりの惨敗に、何とかせねばと思い、手元に『百人一首』本を揃えた。暗記用きまり字一覧付きの『百人一首』と、あんの秀子『楽しく覚える 百人一首』である。昔懐かしい和歌の陣列の前に、ただただぼんやりとイラストを見て、頁を繰ってるうちに日が経ち月が経て、お正月は指呼の間に迫ってきた。もはや諦めるしかない。言い訳やら、違う種類の孫遊びの手立てを考えているところだ。そうした遊びとしてのかるた取りの本とは別に、以前から新聞広告で知って興味を持っていた本を読むことにした。伊東眞夏『深読み百人一首』である。サブタイトルには「31文字に秘められた真実」とあり、大いに読書欲をそそられた▲『百人一首』とは、百人の歌人から一首づつ選んだもので、通常は京都・小倉で藤原定家が選び編纂した『小倉百人一首』のことを指す。概ね平安時代の歌が取り上げられている。著者伊東氏は「歴史の痕跡」に「鍬を打ち込み、歌の底に隠れている世の中の実相に触れてみ」ることで、「歌の本質を見つめたい」という。この本では(続編が既に出版されている)14の歌が取り上げられている。100首を何らかの仕分けをして章立てをするのでなく、ただ思いつくままに料理しているかに見える。平安時代の東北を襲った大地震に関連付けて、津波にまつわるものに始まり、次に「評判の悪い」とされる歌が二首取り上げられている。更には恋の歌がきて、次第に読者は引き込まれていく。編纂者としての藤原定家が凝らした趣向が克明に明かされるとなると、門外漢の身には、大いに興味を掻き立てられる。というしだいで、藤原道長が糖尿病による合併症で悶え苦しみ死ぬ、との最後のくだりまで一気に面白く読んだ▲この春のことだが、その感想を親しい友人の電器商にして作家の諸井学さんに伝えた。彼はすぐさまこの本を手に入れて読んだ。新古今和歌集の研究に長年取り組み、西欧現代文学との比較にも論及する手練れだから当然だろう。その反応に期待していたら、なんのことはない。徹底的にこき下ろす論評が返ってきた。徹頭徹尾切り捨て、「途中でアホらしくなって読むのを辞めた」とまで。いちいちあげているとキリがないので、一つだけ。「心あてに折らばや折らむ初霜のおきまどわせる白菊の花」という凡河内躬恒の歌について。この歌は、正岡子規が、歌よみに与ふる書」の中で、「一文半文のねうちも無之(これなき)駄歌に御座候」と、一刀両断にしていることで有名な歌である。子規は、初霜がおりたぐらいで白菊が見えなくなることはない、嘘の趣向だと、切り込み、「趣も糸瓜(へちま)もこれありもうさず」と、厳しい▲それをこの著者は、当意即妙の知恵に優れた人だったと、あれこれと守ってやっている。時代背景を述べた上で、「白菊というのはまさに、天皇の紋章。天皇そのものだと見ることができ」、「その天皇の地位が危機に瀕しているという意味が込められている」という。そして「おきまどわせる、のおきには島流しの名所(?)隠岐が隠されています」と。このくだりについて、諸井さんは、「この時代に天皇家に菊の御紋があったとは時代錯誤も甚だしい。菊の御紋は後鳥羽院以降が定説」である、とし、加えて、おきまどわせるのおきは隠岐の掛詞としているのは珍説だとも指摘する。また、私がこの本を読んで、なるほどと感心した「この歌集は50番で二つに折ると、最後のところは天皇・天皇・歌人・歌人とぴったり重なっている」との箇所にも、それでは「5番と6番、95番と96番の関係はどう説明するのか」と噛み付いている。都合がいいところだけ取って「全体を一つの構成にまとめ」ようと、「趣向を凝らしている」などとはいえないというわけである。ここまでいうなら、『間違いだらけの「少年H」』(山中恒・典子)の向こうを張って、諸井さんは『突飛もない解釈だらけの「深読み百人一首」』という本でも書けばと思うのだが。(2020-12-28 一部修正)

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50年経っても〝終わらない旅〟ー大澤真幸『三島由紀夫のふたつの謎』を読む

先月読んだ『三島由紀夫没後50年にコロナ禍の日本を想う』(中央公論12月号)という、大澤真幸と平野啓一郎の対談には随分と啓発された。サブタイトルの「『日本すごい』ブームの転換点」がその中身のエッセンスを言い表している。つまり、三島が生命をかけて訴えたことが、死後50年経って現実のものになろうとしていることをこの若い二人の社会学者と小説家が語り合っているといえる。コロナ禍への日本の対応がいよいよぶざまなものになりつつある状況下で、「すごくない日本」が鮮明に浮き上がってきている。これは現代日本人の多くが薄々気づいていることなのだが、その遠因のひとつが三島由紀夫の遺した言葉にあるとの見立てに、私も首肯せざるを得ない▲これが契機になって、前から気になっていた大澤真幸の『三島由紀夫ふたつの謎』を読んだ。ここで大澤が挙げる「ふたつの謎」とは、ひとつは、なぜ三島がああいう死に方をするに至ったのかであり、もうひとつは『豊饒の海』の最後がなぜ支離滅裂に終わっているのか、である。この本を読む前と後で、謎は解けたかと、自問すると「正直よくわからない」という他ない。大澤は知恵と意匠の限りを尽くして三島の45年の生涯の解明に迫っている。そのこと自体はひしひしと読むものに伝わってくる。だが、第一の謎の答えが「『火と血』の系列に属する論理が作用している」からであり、「鍛え抜かれた鉄のような肉体をあえて切り裂き、血を噴出させなくてはならなかったのだ」と言われても、もう一つ腑に落ちない。また、第二の謎についても「三島由紀夫は、この深い虚無を受け入れられなかった。自らの文学が、そこへと導かれていった何もない場所。救いようもなく深い、最も徹底したニヒリズム。ここから三島は逃避した」というのが、その回答であるという。目を皿のようにして本文中から二つの謎の答えを探しだした結果がこれである▲これまで三島の死のありようについては、私自身は、最も美しい肉体だと三島自身が信ずるに足りうる状態に到達した時に、それを破壊することで絶頂の姿を世間に、歴史に刻印させる選択をしたのだと、思ってきた。また、その文学におけるゴールも、彼自身の思索の行き着いた果てとしての「虚無」と重なり合うものだと、思い込んできた。そうした私の思いと、大澤の謎解きとは微妙にズレがあり、読み終えてなお判然としない。ただ、この本には多くの三島理解へのヒントが埋め込まれており、大いに役立つ。例えば、奥野健男の『三島由紀夫伝説』がしばしば引用されている。未読だったので、早速読むことにした。ここでは、母親から引き離され祖母と暮らした幼年時代がいかに後々の三島に影響を及ぼしたかが克明に描かれている。極めて読み応えがあった▲三島は自衛隊員に憲法改正に向けての蹶起を促し、それが叶わぬと見るや、切腹し首を落とさせた。かつて、日本の未来を憂えて、魂のない単なる経済大国が東洋の片隅に残るだけだとの意味を込めた言葉を遺した。このことを取り上げた大澤と平野の対談に、改めて三島を語る今日的意義を感じる。コロナ禍の中における対応にあって、中国に、台湾に、韓国に遅れをとっていると見られている日本。かつて「日本すごい」と言われた「面影やいずこに」という他ない。三島由紀夫が今登場すれば、ほら、言った通りだろうというに違いないのである。そうさせないために、どう動くか。50年経っても私たちの「三島への旅」は、未だ未だ終わりそうにない。(2020-12-16 敬称略)

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卓越したキリスト者の目から見た師の実像ー佐藤優『池田大作研究 世界宗教への道を追う』を読む

朝日新聞の渡辺雅隆社長が経営赤字の責任をとって辞任するとのことを知った。一連の不祥事の直後に就任されたのが2014年というから、あれから6年が経ったことになる。私が付き合った少なからぬ記者たちの人生を変えてしまった激震だったが、私も長年の間慣れ親しんだ新聞を購読せぬことにし、違う銘柄に替えてから同じ時間が流れたわけだ。もちろん時々図書館でまとめ読みというか、〝まとめ流し読み〟を今もするが、同紙の紙面基調にあまり大きな変化は見られないような気がする。個人的には極めて優秀な記者が多く、あの人ならという社長候補も過去にいたし、今もいるが、そういう連中は埋もれたままのようなのは残念という他ない▲そんな状況を尻目に、同社の週刊誌「アエラ」誌上で、43回にわたって連載されてきた佐藤優さんの『池田大作研究』がこのたび出版された。毎週発売される毎に貪り読んだ私としては、買わずに済ませているが、改めてこの本について取り上げたい。著者は、創価学会による公式文書をもとに、とりわけ『池田大作全集』全150巻と、『新・人間革命』30巻31冊のテキストをベースにしたと言われる。この人の類い稀な記憶力、洞察力、分析力に加えて博覧強記というしかない知的蓄積は世に普く知れ渡っているが、短い歳月にこれだけのものを書く能力に(その前に読む能力にも)ほとほと呆れてしまう。かなり大部のものになっているのは、池田先生の著作からの引用がかなり多いことによる。このこと自体をとやかくいう人がいるが、この引用あらばこそ、門外漢の人たちにとって理解する上で欠かせぬ役割を果たしているといえよう▲この本について私ごときがあれこれ読後録を述べるのは差し控えたい。それよりも、「連載を終えて」と題する作家の澤田瞳子さんとの前後編の二回にわたる対談について触れてみる。これがまた実に面白い読み物になっているのだ。とくに佐藤さんがキリスト教と対比しているところが。創価学会での生活が55年にも及ぶものにとって、表面的にせよ分かった気になったり、当たり前に思ってることがこの人の視点を通じると新鮮に見えたり、新たな気づきになる。一例だけあげる。牧口常三郎初代会長が獄死されたことについて、「おのれ権力」という発想になって「反体制」になるはずなのに、「途中からは、ただ反体制ではなく、むしろ体制化していく。ただし、体制に取り込まれてしまったわけではない。その部分が面白かったんです。キリスト教に似ています」と。そう言われても、キリスト教の歴史に殆ど疎い私など、ああそうか、と思うしかない。今回改めて佐藤さんのこの研究から、キリスト教部分だけを抜き取って勉強する必要を感じるのは私だけだろうか▲もう一つ、深く感じ入ったのは、安倍政権の核廃絶についての姿勢が、この7年8ヶ月で変わったとして、「明らかに、公明党の影響がある」としているところだ。「ナショナリズムが強まり、戦争の危機が強まってくる中において、戦争を阻止する役割を、私は創価学会に非常に期待しているんですよ」という。ここは佐藤さんに一貫している姿勢だが、期待はずれにならぬよう心していきたい。これはご本人も後段触れているように、「核抑止の論理」は論理で外交官としてわかるから、「常に私の中に引き裂かれるような感じがある」のだ。これは公明党の外交安全保障担当者として私自身いつも感じた理想と現実の落差であり、乖離であった。そのあたりを佐藤さんは、「池田大作氏のテキストにも、理念と現実の間で、引き裂かれるような状況をやっぱり感じるわけですね。その中で自分の言葉を紡いでいって、自分の宗教団体を主導していく。やっぱり、宗教って面白いなと思う」述べている。このくだり、果たして自分はどう対応してきたか。引き裂かれる状況をやむを得ぬこととして放置してこなかったかどうか。改めて池田先生の「紡がれた言葉」を再読、吟味せねばと思うことしきりである。(2020-12-9 一部修正)

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