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【177】されど我らが「教育の危機」━━福澤諭吉『文明教育論』をめぐって(下)/5-10

 天皇から国民へ、主権を持つ主体が変わった。明治維新から敗戦までの戦前の77年間の学校教育で、いわゆる「道徳」の授業の中身は国家が決めた。学校はそれを教え込むところだった。戦後は1947年の新憲法発布と共に、民主主義の名の下に、市民社会やコミュニテイが決めることになったのだが、それはあくまで建前(たてまえ)で、文科省の決めた『学習指導要領』の中にその方向性が決められてきた。だが、その「道徳教育」の有り様をめぐって政治の世界で長く対立が続いて来たのである。

⚫︎「道徳教育」についての変遷と左右・保革の対立

 道徳とは、「社会生活の秩序を保つために、一人ひとりが守るべき行為の基準」と、辞書には定義されている。人間が共同生活を営むうえでのルールとでも言えようか。戦前は「教育勅語」を基軸に天皇の国家としての枠組みが形成されてきた。ところが戦後は一転、天皇は象徴へと後衛に退き、主権者としての国民が前面に出ることになった。ただし国民といっても、間接民主主義のもとに、衆参両院の議員の中で多数派を形成した政権与党が担わざるを得ない。

 紆余曲折はあれども占領期7年の混乱を経て保守勢力の一本化の元に、戦後10年が経った1955年(昭和30年)辺りから、保守政権の意向を強く反映した文部行政が展開していく。具体的には「教科」ではない「道徳の時間」が設けられ、官製による中身が定められ『学習指導要領』に掲げられた。以来、50年にわたっての「保守対革新」のせめぎ合いが続く。具体的には「自社対決」の政治の中で、国家と「日教組」との抵抗というパターンが鮮明になっていった。米ソ冷戦下の時代での日本国内の左右対決の場の典型として学校教育の現場が荒波にさらされていったのである。

⚫︎「教育基本法」の改正に見た保守中道のせめぎ合い

 その半世紀に及ぶ日本政治の保革対決の流れも国際政治における社会主義の退潮(1989年のソ連崩壊)と共に変化をきたす。90年代に入って約10年、自民党一党支配から連立政治へとの動きが促進され、やがて2000年代の「自公政権」へと定着していく。この「保守・中道政権」のもとで2006年に実現したのが「教育基本法改正」であった。安倍晋三第一次政権はこれに「保守」の面子をかけ総力を上げて取り組んだが、ここで見逃されてはならないのが中道・公明党のストッパーとしての働きぶりである。

 実は、同法改正に至るまでの3年間で70回にも及ぶ「自公協議」が行われた。国家主義的志向にはやる自民党内保守勢力と、それを中和させたい中道主義公明党のせめぎ合いだった。結果として、「柔らかなる歯止め」が随所に散りばめられた。焦点とされた「愛国心」の表記については、「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し」との表現に抑え込まれた。国家主義路線強調の懸念を払拭したとの一定の評価がなされる。また、時代の変化に対応した「生涯学習」や「家庭教育」「幼児期教育」などの新たな理念が盛り込まれた。画期的なことだった。

 ただ、この時の改正については、「それまで道徳教育の徳目だったものが『教育の目標』としてずらずら並べられることになり」、「教えるべき道徳の中身を国が決める社会になっている」との批判も惹起された。教育をめぐっての「国家主導か民主先導か」の争点の決着は引き続き持ち越されたのだ。

⚫︎されど我らが教育現場での悲劇的実相

     一方、教育現場での「いじめ」は今や73万2千件を越す(2024年度)。「引きこもり」はその倍の146万人(23年度)に達している。加えて精神疾患に沈む教師の数は増加の一途を辿り、5897人(21年度)にもなろうとし、教育分野に挑む若者の数は減少傾向に歯止めがかからないのである。この悲劇的方向に文科省は教員採用の時期前倒しといった〝窮余の一策〟しか撃つ手がない。何かが狂っているとしか言えない教育の現状をどうするのか。悩みは深刻である。

 そして、GDPの下降と軌を一にした学力の右肩下がりの傾向も只事ではない。日本の教育の現状に警鐘を乱打する識者の中には、旧態依然とした文科省の『学習指導要項』至上主義を変えるべく、一大教育改革運動の提起を主張する向きもある。また、米国のように、高校までを義務教育化し、入学し易く卒業し辛い大学へと改革すべしとの提案や、幼児保育期における「自由革命」的変革などなど、百家争鳴、諸人乱舞の、〝教育をなんとかしろ〟の声も地鳴りのように広まる一方なのである。

 そんな折に、政党、政治家が高校の授業料をめぐって公私立ともに無償化を志向するのは、公立高校の低落化を促進増長するだけで、教育改革に逆行するものだという主張も見逃せない。政治の最前線が国家百年の計からして最も大事な「教育」の根本的解決を棚上げし、目先だけの人気取り、ポピュリズムに任せてしまっているようにしか見えない。この現状に対して、関係各機関が冷静に徹底した議論を展開していくことから始めるべきだと考える。

 その議論の開始にあたり福澤諭吉の『文明教育論』における問題提起の再考を促したい。(2025-5-8)

※長年続けて来ました読書録ブログ『忙中本あり』も今回の拙著『ふれあう読書━━私の縁した百人一冊』下巻の発刊を機に終了することにいたします。ご愛読ありがとうございました。感謝致します。

 

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【176】「教える」よりも天賦の才を伸ばすこと━━福澤諭吉『文明教育論』をめぐって(上)5-3

 ⚫︎「教育」改め「発育」の提案

 「教育」っていう言い方はよろしくない━━福澤諭吉はこう否定して、替わって「発育」とすべきだと主張した。明治22年(1889年)に発表された『文明教育論』なる論考の中で、以下のように述べている。

 「固(もと)より直接に事物を教えんとするも出来難きことなれども、その事に当たり物に接して狼狽(ろうばい)せず、能(よ)く事物の理を究めて之に処するの能力を発育することは随分出来得べきことにて、即ち学校は人に物を教うる所にあらず、唯その天資の発達を妨げずして発育する為の具なり。教育の文字甚だ穏当ならず、宜しく之を発育と称すべきなり」

 学校はものを教えるところじゃあなくて。個人一人ひとりが持ってる理解力、能力を潰さずに、発達させるところだと言っている。つまり、教師が予め決められた教え込む内容を押し付ける場所ではなくて、子どもたちが天から与えられた能力を伸ばしゆくところだという。

 この論文は『教育勅語』より僅かに先に公表されたものなので、直接意識して書いたものではない。ただし世の空気は紛れもなくその方向で横溢していたに違いなく、福澤はそこに切り込んだものと確信する。

明治維新から20年余。明治政府は「大日本国憲法」を定め、天皇を唯一絶対とする価値観のもとに早急に国づくりに役立つ人材を育てようとしていた。そのため、教え育てる=「教育」が大事だった。それを福澤は否定して、あえて「発育」とすべきだとした勇気に深い感慨を持つ。

⚫︎受け入れられなかった「発育」

 民主主義の世になって80年。何はともあれ「民主主義教育」が定着した今となっては、むしろ「発育」の方が分かりづらいかもしれない。学校は、天皇のもとにおける画一的な価値観を教えるところではなくなったものの、急拵えの「国民主権」を教え育てるところに変身した。つまり受動的という面で、戦前とさして変わらぬままに時が流れた。

 私は昭和27年に小学校に入学したから、文字通りの「戦後民主主義教育」の一期生だ。その後9年の義務教育、3年の高校教育を経て、福澤の作った慶應義塾に学んだが、不勉強で恥ずかしながら「発育」なる言葉を一度も知らずに時が過ぎ去った。明治22年の福澤の「教育への反旗」があまりにも「反国家」「反権力」的志向過ぎて、暗闇に葬られたまま100有余年が経ったといえるかもしれない。

 これは、「富国強兵」という明治日本の国づくりからして、ある意味当然だったといえよう。福澤の「発育」の理念は、当時の「国家主義」による人づくりからはあまりに迂遠過ぎた理想論だったに違いない。しかし、敗戦の後、新憲法の樹立、占領を経て戦後日本の国づくりの段階でも「教育」という言葉を変えようという動きがあったとは寡聞にして知らない。なぜだろうか。

⚫︎中途半端に終わった「教育」改革

  その原因には2つほどあるような気がする。一つは「教育」には封建的な国づくりに直結する側面があるとはいえ、人間が成長していく過程で、やはり教えられ学ぶことは不可欠である。つまり、「教育」には双方向の意味合いがあり、一つの見方に決めつけられないということだろう。

 二つには、「発育」という言葉の持つ分かりづらさが指摘される。人間が本来的に持つ才能、資質を伸ばす、つまり「天資」の発達を「助ける」ことが大事といわれても、それが「発育」と結びつかないうらみがある。ピンとこないのだ。

 ということから敗戦、占領期の7年を経て、日本が生まれ変わるチャンスに、結局は戦前と同じ「教育」という言葉を使うことになった。ただし、その意味合いは全く違うことから「戦後民主主義」という概念をくっつけた「戦後民主主義教育」という言葉が出来上がったものと思われる。

 この戦後の「教育」の転換が、実は名称の有り様における半端さに加えて、占領した当のアメリカがいわゆる「自由な教育」の本分を日本に押し付けることにおいても中途半端だったということがある。二つの半端が重なって、今の日本の「教育の危機」の遠因があるように思われてならない。(この項続く 2025-5-3一部修正)

 

 

 

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【175】掘り当てた鉱脈とは何か━━夏目漱石『私の個人主義』の読み方(下)/4-25

⚫︎「他人本位」から「自己本位」へ

 漱石が苦悩の末についに掴んだ「悟り」とは何か。あらためて彼自身が克明に語っているくだりを整理してみたい。前回に見たように、漱石はあれこれと思い悩んだ挙句、とうとう「何の為に書物を読むのか自分でも意味が解らなくなってきた」と情けない自分を曝け出す。その直後に、「此時私は始めて文学とはどんなものであるか、その概念を根本的に自力で作り上げるより外に、私を救ふ途はないのだと悟ったのです」と続く。そして、悟るに至った経緯を3頁ほどにわたって付け加えた末に「其時私の不安は全く消えました。私は軽快な心をもって陰鬱な倫敦(ロンドン)を眺めたのです。比喩で申すと、私は多年の間懊悩した結果漸く自分の鶴嘴をがちりと鉱脈に掘り当てたやうなきがしたのです」と述べ、一件落着ぶりを高らかにうたっている。

 さてこれだけでは、美味しそうなお菓子の立派な包装紙を見せられただけで、どんな味がするか中身がわからない。3頁にわたる悟りの中身をみてみよう。彼は何に漸く気が付いたと言ってるのか。私風に読み解く。

 結論を先にいう。「他人本位」で駄目だった。これからは「自己本位」でいくと、告白しているのだ。

 まず、他人が飲んで誉める酒を、飲んでもいない自分が美味い酒だと言いふらしたり、読んでもいない外国人の作品を人の尻馬にのって褒めそやすというような「人真似」ではいけないということを強調する。自分自身の意見を曲げてまで、外国人の「受け売り」をすることの非を訴えているのだ。

 そして、風俗、人情、習慣、国民の性格といったものは国によって違うことを説明するだけでも日本の文壇に画期的な役割を果たせる━━漱石はこう悟った。その上で、文芸に対する自己のよって立つ基盤を固めるために、文芸とは縁のない自然科学や哲学分野などの書物を読み始めた。で、そうした生き方を「自己本位」「自我本位」と名付けたのだ。西洋人を意識し過ぎることなく、日本人らしさを表現する著作を書くことを「生涯の事業」にしようと考え、遂に鉱脈を探し得たと誇らしげに語るに至ったのである。

⚫︎今になお続く「他人任せ」の生き方

 「自己本位」「個人主義」に対立する生き方は「他人本位」であり「国家主義」であろう。もっと分かり易くいうと、人の受け売りでなく、自分の頭で自ら考え、自分らしく生き抜くのが前者であり、後者は他人のモノマネで、上からの指図通りに独自の考えもなく唯々諾々と従うことをいう。漱石は後者的な生き方に自分も囚われていたから苦しかったことを謙虚に述懐している。

 このことを今に生きる我々に当て嵌めると、本質的には漱石の時代と令和の今と殆ど変わっていないことに気付く。「天皇支配」から「民主主義の世」に変わっても、結局は同じとはどういうことか。戦後民主主義の時代にあっても、所属する会社、団体に身を任せ、自ら考えずにただ従うという人は多い。「右向け右」でなく、何故に左でなく右なのかを、瞬時にあるいは少し時間をかけてでも考えることはとても大事なのだ。

 ここで実例として、私自身にとっての「個人主義」を考えたい。19の歳に浄土信仰を続けるか、日蓮仏法かの選択を迫られた。先祖からの信仰を捨てるのに抵抗がなかったというと嘘になる。親との間で大いなる軋轢があった。病魔も襲ってきた。だが、必死の壮絶な闘い3年の末に、母親を納得させ、やがて親父も老いては子に従うとばかりに承服してくれた。家族6人全員法華経信仰に改宗する機縁に私がなったのである。

 漱石が鶴嘴で鉱脈を掘り当てたように、私はこの道を行けば必ず頂上に行き着ける近道を探し当てたような実感を持った。もちろん、「自己本位」の道は平坦な一本道ではない。それこそ60年というもの、のべつまくなく〝自力と他力の鍔迫り合い〟を繰り返してきた。言い換えれば、自由気ままな個人の生命と、秩序だった組織人の使命の葛藤である。この2つ、絶妙なバランスあったればこそ道を踏み外すことはないと確信する。

⚫︎個性、権力、金力を培う良き人格

  さて後半は人間にとって「個性」と「権力」と「金力」との戦いについてである。漱石はここで、他人の「個性」を奪う根源の悪になり得る「権力」と「金力」の使い方を戒めるべく、「人格」の重要性に言及している。つまり、ある程度の修養を積んだ人格の持ち主でなければ、個性も権力も金力もうまく機能しないのだということを言っている。

 漱石の言い分をわかり易く、つづめていうと、「もし人格のないものがむやみに個性を発展させようとすると、他人を妨害する。権力を用いようとすると、濫用に流れる。金力を使おうとすると、社会の腐敗をもたらす」というのだ。個性、権力、金力の発揮には、〝人格のある立派な人間たれ〟と強調しているのである。

 これについても現在ただいまの世の風潮を鑑みると、政治とカネをめぐる政治家の問題が真っ先に思い浮かぶ。加えて放送、芸能の世界におけるリーダーたちの無惨な勘違いを指摘せざるを得ない。3つの力の誤った使われ方が悲惨な混乱を引き起こしている。今人生の晩年を迎えた私は、負ではなく善の方向に赴くことを強く念願する。恵まれぬ若者たちに基金を設立し、寄附や献金を残せる身になりたい、と心底から願う。漱石の『私の個人主義』を再読して、目線の方向を確認すると共に、まず一歩踏み出したいと強く思う。(2025-4-25)

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【174】明治、昭和、令和と続く三題噺━━夏目漱石『私の個人主義』の読み方(上)4-18

⚫︎半生を振り返りつつ、「自己本位」の生き方を明かす

 夏目漱石の数ある作品の中で、『私の個人主義』ほど彼自身の生涯のあゆみを簡潔に述べたものはない。学習院における学生を前にした講演(大正3年/1914年11月25日)であり、二年後に亡くなったことからすると、あたかも遺言のごとく、将来を託す若者たちへの人生に贈る言葉になっていて極めて興味深い。私は講演そのものを解説した後に、私自身が初めて読んだ今から55年前の記憶と、令和7年の現在只今の読み方とに分けて捉えてみたい。

 まず、漱石の講演の骨子について。明確に2つに分かれる。前半は、漱石自身の半生を回想する形をとりながら、「自己本位」という生き方をどのような経緯で選択したかが語られている。当時の世界はイギリスがトップだった。最も「社会進化」した国だとの捉え方が支配的だった。漱石は留学先のロンドンで、イギリスに引き摺られるばかりで自分を見失っていた。自身の弱さと悪戦苦闘しながら、ついに独自の境地に到達するのだが、その戦いのありようが丁寧に語られていく。

 後半は、「自己本位」という生き方が持つ危うさについて、「権力」と「金力」という2つの角度から分かりやすく説く。聴衆の学習院の生徒たちがその2つに恵まれた環境にあることを強く意識したうえで、これからの人生で気をつけろよと、忠告したのだった。100年前のこの指摘が今の日本に生きる人間にとってもドンピシャに当たっている。当時の若者向けだが、あたかも今の指導者層への警句のようで興味深い。

⚫︎昭和40年代に読み、漱石の英国での病を思う

  この講演を初めて私が知った(読んだ)のは今からほぼ55年ほど前。第一回の大阪万博の頃(1970年)。印象に強く残ったのは英国での漱石の「病気」だった。前半の「自己本位」もあまりわからず、後半の「権力」「金力」への批判に至っては、全く記憶に残っていない。漱石は50歳を前に亡くなったが、生涯を通じてあれこれ病に悩まされた。持病は胃潰瘍で生涯を通じて5回ほど入院治療をした。最終的に死因も胃潰瘍による腹内出血と言われている。痔疾も患っていたが、英国留学時は恐らく鬱病に悩まされていたに違いない。

 留学時に精神的にどう大変だったかについて、漱石は講演でつぶさに語っている。この世に生まれた以上は何かしないといけないと、思ったのだが、何をすればいいか、ただぼんやりしているだけで、まるで袋詰めにあって出ることのできない人間のようだったという。そういった不安を抱いたまま大学を卒業し「同じ不安をつれて松山から熊本へ引っ越し、また同様の不安を胸の底に畳んで遂に外国まで渡った」と表現している。この間に袋詰めの袋を突き破ろうと、ロンドン中を「錐探し」に歩いても見つからない。結局、下宿の一間の中で考えに考えたけれど、分からず、いくら本を読んでも腹の足しにもならないし、何のために本を読むのかも解らなくなってきた、と赤裸々にその苦悩の日々を語っているのだ。

⚫︎令和の今読み返して、ロンドンでの「漱石の悟り」の重大さに気付く

 最初に読んだ時はこうした苦しい様子だけが印象に残った。要するに漱石は英国でうまく勉学が手に付かず、結局学問を続けることを断念して負け犬のように帰国してしまったと、勝手に私は思い込んだ(記憶が残った)。しかし、まったく違った。漱石は確かに鬱病のようになったのだが、実は病に負けたのではなく、トコトン考え抜いた挙句に、まさに開き直った姿勢から、その後の人生を決定づける重大な自覚━━「自己本位」という生き方の悟りに到達したのだ(と今ごろ分かった)。(以下続く 2025-4-18)

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【173】もはや堕ちゆくところにまで至ったのか?━━渡邊弘『教育の危機と現代の日本』/4-11

 今の日本の教育が悲惨な状況にあるとの認識はもちろん人によって違うだろう。私は暢気に構えていたが、このところ急速に危機意識を持つに至っている。直接的にはこの欄でも幾たびか取り上げた小説家の高嶋哲夫さんの影響によるところが大きいが、今回紹介する標題作を読んで一段とその意識が高まった。著者は作新学院大学長。慶應大の著名な教育学者・故村井実名誉教授の門下とのこと。先般、兵庫での教育講演会で直接講演をお聞きしてご挨拶もできた。私の現役時代の衆院憲法調査会や憲法審査会で席を並べ、親しくさせていただいた船田元代議士の一年後輩、兄弟のような関係と知り、大いに親しみを抱いたしだいである。その日の講演は、牧口常三郎初代会長に始まる創価学会の人間教育への深い造詣を感じさせる内容であり、今回出版に至った経緯もお聞きした。一読し日本における教育の現状が羅針盤を手にしたように分かる素晴らしい内容の本にめくるめく思いがする。具体的な課題の掘り下げと共に、福澤諭吉、夏目漱石、宮沢賢治、芥川龍之介、牧口常三郎ら教育に関する先達の警鐘及びねむの木学園の宮城まり子の実践にはいたく胸打たれるものがあった。多くの人に勧めたい◆著者は①教育の歴史②人間観(子ども観)、教育観などの教育思想③教職・教員養成④教育連携体制構築⑤生涯学習の5点に根本的な問題があるとして、人間教育からの改革の必要性を強く訴えている。その主張の基本には、これまでの日本が政治、経済、軍事を国家の繁栄に直結するものと優先的に捉え、教育をおざなりに考えてきたとの見立てがある。昭和100年、戦後80年の今、そのツケが一挙に噴出してきたとの捉え方である。拙著『77年の興亡』で述べたように、明治維新から戦前の77年は「菊の御紋」に象徴される「天皇支配」のもとでの教育だった。一転、先の大戦での敗戦からの戦後の77年は、大胆にいえば「星条旗」のもとでの「米国支配」の影響下の教育だったと見られよう。もちろんその内実は前者では「近代化」をめぐる日本古来の思想と西洋思想との戦いがあり、後者では「民主化」をめぐっての保守と革新(リベラル)の抗争が内在していた。それらの陰で、あるべき本来のものとしての「人間教育」は、この150年余の間、一貫して埋没していたといえよう。つまり「百年の計」と言われる教育は、無念なことに、体を成してこなかったといっても言い過ぎではないのかもしれない◆そんな中で著者の鋭い洞察力は幾つもの課題解決の糸口を提起してくれる。ただ、一点私が気にかかるのは「性向善説的人間観」という考え方である。著者は従来からの①性悪説②性白紙説③性善説的人間観に対して、第4のものとして、「性向善説人間観」への転換を強く訴えている。人間は本来悪だ、いや善だとする二項対立に代わって、「誰もが良さを求める働きを潜在的に備えている」との考え方は注目されよう。ただ、私のような日蓮仏法に依拠する人間の考え方には、既に、性善、性悪の二項対立に対して、第3の道としての「中道的人間観」があった。つまり、人間が環境如何によって善にも悪にも変化するとの一念三千論に依拠する人間観であり、言い換えれば、善の方向に持っていくために仏界との縁が大事だとする考え方である。著者は、これを性白紙的人間観と同一視されるのだろうか。宗教的力を介在させて、悪に赴くところを善へと志向させゆくとの考え方の方が分かりやすく実効的だと思われる。性向善説を設定するとしても、性向悪的志向をどうするのかとの問題は残ろう。このあたりについては、恐らく「宗教と思想の違い」からくるものだと思われる◆この著書では喫緊に解決されるべき課題としての教師不足、裏返せば若者に受けない就職先としての学校の抱える問題という大きな論点があげられている。仕事の多面性、給与の問題から始まり、子どもたちとの向き合い方、親御さんとの関わり方などに至るまで、膨大な厳しい現実に対し、息を呑む思いの連続である。精神疾患で休職に追い込まれた教員が6000人近くにも及ぶ(2021年)というくだりなど深刻さを通り越す。そんな中で、5人の思想家たちによる警鐘(第4章)には引き込まれた。とくに福澤諭吉の『文明教育論』、夏目漱石の『私の個人主義』に関する記述は興味深い。諭吉が「国家が決定した単一的価値観を教え込もうとする意味での『教育』という言葉をやめて『発育』という言葉に変えた方がよいという主張」をしていたことは残念ながら知らなかった。実は「教育」という言葉にそこはかとなき疑問を持っていた私としては、我が意を得たりである。「自発能動」という人間自身の内から溢れ出る力を育むという意味での「発育」と捉えようとした諭吉の慧眼には深く感動した。また、漱石が「国家的道徳は個人的道徳に比べて低いとして、あくまで徳義心の高い個人主義を優先していた」ことやら、牧口の「母性は本来の教育者であり、未来に於ける理想社会の建設者であり、教師は寧ろ代理的分業者といふべきである」といった言葉を引用していることなど、印象深い。この本を読むことで、現代日本の教育がなぜ停滞を余儀なくされているのかがよく分かる。事ここに至るまで手を拱いてきた政治家のひとりとして心底から恥入るしかない。(敬称略  2025-4-11)

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【172】これぞ「その本」を読みたくなる書評集━━川成洋、河野善四郎編『今、あなたに勧める「この一冊」』/4-4

 私が初めて世に問うた本は『忙中本あり━━新幹線車中読書録』(2001年)である。この本を出すについては色んな方面からクレイムがついた。まず親友。「人がどんな本を読んだなんかは、普通の人は興味を持たない。だから売れない」。次に弟。「新幹線に乗ってる間に読んだ本の書評集なんて、議員は暇だなあって思われるだけ」。次に先輩議員。「政治家が書いていいのは回顧録だけだ」。最後にある新聞のコラムニスト。「この政治家が将来どんな仕事をするかが興味深い』。それから25年。「読書人」の名はちょっぴり頂いたが、本は売れず、政治家としても大成しなかった。だが、議員は辞めても書評は続けている。そんな私に書評を書けと、英文学者にしてスペイン専門家の川成洋法政大名誉教授が言ってくれた。この人との出会いは遠く新聞記者時代に遡る。私が20代後半の頃。50年も前のことだ。80歳を悠に越えられても、今なおあくなき創作欲で年に数冊もの専門書を出版され続けている。尊敬する学者が出される書評集に名を連ねさせてもらうことだけでも名誉なことと思った。その本が昨日届いた。直ちに書評集の書評を書いたしだい◆この本には30人の各界の専門家が「一冊の本」を勧めている。そのうち4人のものを紹介したい。私が未読の古典を取り上げた人2人と、中国の真実を伝えていないとの観点から1冊を選んだユニークな人と、編纂者に敬意を表して川成さんの合計4人4冊である。まずは、川成さんから。この人が選んだのは平田オリザの『名著入門━━日本近代文学50選』。樋口一葉の『たけくらべ』から別所実の『ジョバンニの父への旅』まで50冊を取り上げ、「日本近代文学の大きな流れを跡付けている」と。嬉しいのは中江兆民の『三酔人経綸問答』が一番初めに出てくること。この本は私の政治への開眼の書である。勇ましい豪傑と理想論の洋学博士と調整役の現実的な南海先生。「当時の政治思想の迷走がこの三人の論者が見事に鮮明にしている」とあるが、大筋これまでの日本の政治は殆ど変わっていない。それどころか「自由とはとるべきものなり、もらうものにあらず」との兆民の主張を全く理解していないために「いまだ世襲議員を選出している」。日本人は「何時になったらこの馬鹿馬鹿しい政治状況から訣別するのか」との指弾が胸に突き刺さる◆未読の古典は、ロジェ・マルタン・デュ・ガール『チボー家の人々』とジョナサン・スウィフト『ガリヴァー旅行記』。前者は元フランス大使の小倉和夫さん、後者は東洋大理事の小島明さんの手になる。『チボー家の人々』は私の仕事上のボスだった市川雄一公明党書記長から幾度となく読後感を聞かされた本だが、聞き流してきた。弟ジャックの反戦の姿勢を「国家利益と国の栄光に向けて国民の情熱を煽ろうとする権力と、勢力に対する市民の抵抗精神にあったのではないか」と捉えて、「ナショナリズムを扇動する政治権力が世界に満ちている」いまこそ、噛み締める価値があるとしている。傾聴に値する。また兄アントワーヌの、「一見常識的、小市民的生き方こそ、実は無理をしない、それでいて、堅固で粘り強い生き方とも言えるのではないか」として、時代の変遷をこえていつの世にも通じる「普通の市民」の強さがかくされていると指摘する。惹きつけられ、この本を読んでみたいと初めて思った。『ガリヴァー旅行記』も前から気にはなっていたが読んでこなかった。つい先ほど毎日新聞で絵入りで連載されていたが、やり過ごして後悔していた。改めてヨーロッパで、「今では偉大かつ不朽の風刺文学であり、これまでに書かれた最高の政治学入門書」だとの評価がなされているとか。子供向けと捉えられることが多いが「大人への教訓がいっぱい盛り込まれた」「人間が分る、社会が分る、人生の指南書」との位置付けが眩しい。今度こそ読もうと決意した◆さて最後は、ノンフィクション作家・細川呉港さんの安藤彦太郎編『現代中国事典』である。これは中国文化大革命を礼賛した人々の手になる事典である。目の前で起こった「事実」を報道することが実際には「真実」に程遠いことを克明に明かしている。実は私の学問上の師匠・中嶋嶺雄先生は、日本中の中国礼賛の流れに抗して、ひとり「文化大革命批判」をやってのけた。それだけに、間違って中国を捉えた学者や新聞社の失敗の背景が私にはよく分かる。ついでに、この人の書評にまさるとも劣らぬユニークさを持つのが私のものだと自負しておきたい。ハーバー・リーの『アラバマ物語』を取り上げたのだが、映画と小説の双方を比較しつつ、モッキンバード(ものまね鳥)に「人種差別の寓意」を見たとの独自の読み方を示した。人のものまねで差別をするなとの思いが分かっていただけるだろうか。拙文を読んで実際に本を読み映画を観てくださる人が1人でもおられれば、嬉しい限りだ。編纂者の川成さんは、「はしがき」の冒頭に「皆さん、本を読みましょう。いや本を読んでください」と書いている。そして同じ言葉を文末に繰り返して終わっている。渾身の思いを込めて、遅れて生き来る青年たちに読書の効用を説いて止まないのだ。(2025-4-4)

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【171】シリコンバレーでの教育の果てに━━ヤング吉原麻里子・木島里江『世界を変えるSTEAM人材』を読む/4-1

 シリコンバレーで子育てをした2人の女性がその体験をベースに、「STEAM」教育ってどんなものかということを書いた本です。私がこの本を読むに至ったのは、日本の教育を考える上で、欠かせぬ視点だと思ったから。つまり「泥縄」式読書━━先端科学技術の分野で、坂道を転がりゆく日本に対して、燦然と輝くアメリカの秘密は何かということを手っ取り早く解説してくれる本を探し当てたということでしょうか。英語の頭文字をくっつけて新たな熟語を作るというのは、あまり私は好きじゃないのですが、そんなこと言ってられません。STEAMという「5文字英造語」が何を意味するかがとっかかりです。Science(科学)、Technology(技術)、Engineering(工学)、Arts(アーツ)、Mathematics(数学)の5つの頭文字をとって作ったものです。じっと見るとわかりますように、Arts以外は理系の分野です。元々はSTEMという4文字から始まったのですが、のちにArtsが加わりました◆サブタイトルに「シリコンバレー『デザイン思考』の核心」とあります。科学技術のコアをなす概念に芸術、教養、人文学を混在させたアーツを加えたのがSTEAM教育です。STEM(幹)にA=デザイン思考が加わってSTEAM教育が完成したという経緯が文系人間にとって、ワクワク感が伴ってきます。理系学問に文系のアーツが入って、蘇らせたと私は勝手に解釈するからです。著者たちは、STEAM人材を、人間を大事に考えるヒューマニストの基本に立って、イノベーション(技術革新)にデザイナーの視点を持って取り組むものと規定しています。私はこう認識して俄かに具体的な負のイメージが鮮明になってきました。アメリカは21世紀に入った頃からこういった観点での人材育成に取り組んできました。「失われた30年」に呪縛されたかのごとき日本との差は歴然です◆この本で最も引き込まれたのは第5章「シリコンバレーの教育最新レポート」です。なかでも1976年以降、他校と全く異なる「オープン教育」と呼ばれるアプローチを実践してきた「オローニ小学校」の実例はとてもユニークです。まず、2つの学年をまとめたクラス編成で(幼稚園と1年生、2・3年生、4・5年生)、年齢の異なる生徒が同じクラスメートとして一緒になって学ぶということに驚きます。子供たちは教師から指導を受けるというよりも、生徒同士との協働の中で課題を見つけ上手く解決していく方法を学ぶのでしょう。試験などなく、学校は子どもたちに「知的探究心」「やれば出来るという自信」などを探し見つける場としての存在感を発揮するというのです。およそ日本では想像できないほど自由奔放な学校教育現場にはたまげるばかりです◆こんな点に世界をリードする企業のリーダーたちが輩出される基盤があるのかと思うとため息が出てきます。尤も粗探しをする訳ではありませんが、シリコンバレーの直ぐそばに、イーストパロアルトという貧困層の住む場所がある(1980年代は犯罪による死亡率がトップ)ことがもたらす負の遺産は見逃せません。「イノベーションで世界をリードするシリコンバレーでは、巨額の富が生まれ続けている陰で貧富の差が拡大し、生活の質が確保できないなどの歪みが顕在化している」との記述を読むと、やっぱりなあと妙に安心する思いがもたげてくるのも否定できないのです。また、STEAM教育の華麗な成果と共に、イーロン・マスク氏に代表されるGAFAMのような起業家たちの姿が目に浮かんできます。才能を伸ばす教育の行き着いた果てが強欲な富裕層と重なってしまうのです。直接の因果関係とは無縁であっても、見逃せない課題解決に向けてどう立ち上がるか。悩まざるを得ません。(2025-4-1)

 

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【170】よみがえってくるコロナ禍に襲われた日々━━岡室美奈子『テレビドラマは時代を映す』を読む/3-27

 「私の体はテレビでできている」とのタイトルで2019〜2023年の実質4年間に毎日新聞夕刊に連載されたコラムが一冊の本になった。著者は早稲田大教授で、前早大演劇博物館館長の岡室美奈子さん。サミュエル・ベケットの研究者として著名なこの人が「テレビドラマ論」をも専門にされてることを不覚にも知らなかった。『ゴドーを待ちながら』のような、難解な「不条理演劇」で体ができてるひとだとばかり思い込んでいた。新聞で連載に出くわすたびに新鮮な刺激を受け、新たな境地をひらかせられたものだ。改めて一冊の新書に全50回分が集約されたものを読んで、ひたすら懐かしい。新聞で読んだものは2頁と短いが、ひとつの章が終わるごとに登場する「幕間エッセイ」は7〜8頁と長い。著者の〝思いの丈〟が書き込められたようで味わい深い◆この本で、「女性たちの緩やかな連帯」から「ドラマが描く/描かない恋愛と結婚」までの7本のエッセイを読んで、かくも豊かなドラマが毎夜毎晩流されていたのか、と改めて思い知らされた。実は私はこれまでテレビドラマはあまり見てこなかった。NHKのドキュメンタリー番組が主で、せいぜい大河ドラマや朝ドラぐらいだったからだ。50本のコラムが並んだ目次を見て、私が実際にテレビで見たドラマは『いだてん〜東京オリムピック噺〜』と『鎌倉殿の13人』だけというお粗末さ。だが、この2本とりわけ後者のインパクトは強烈だ。佐藤浩市扮する上総広常の最期を描いた場面は本当に迫力満点だった。過去に見た映画のどれに比べても壮絶な立ち回りだった。「各登場人物の死をいかに描くかということから逆算して人物造形がなされているのではないかと思うほど、退場シーンが秀逸だった」との岡室さんの感想には全く同感する◆『いだてん〜東京オリムピック噺〜』は、第10回と第30回の2度も取り上げられている。著者自身が述べているように、このドラマは視聴率が低かった。その理由は前半のマラソンランナー・金栗四三の伝説風スタイルと、後半の1964年の東京オリンピック招致者・田畑政治の実録風スタイルが折り合わなかったことにあるのかもと推測する。疲れきった金栗がマラソンコースを間違えた挙句に、コース付近の立派な居館で介抱を受けた話や、人見絹枝ら女子選手の活躍に至るまでの苦労談など重くて厚いエピソードが見た人間の脳裡にはっきりと刻印されたドラマだった。著者は、「日本のオリンピックの歴史を、当事者と庶民両方の視点を織り交ぜて描いた傑作だった」とする一方、コロナ禍で1年延びた末に賛否両論渦巻く中で開催された「2020東京オリンピック」の総括を、意味深長な問いかけで終えているのが胸に刺さる◆この本で岡室さんが取り上げたドラマの放映はちょうどぴったりとコロナ禍の期間とダブル。岡室さんはあとがきを「テレビをめぐる四年間の旅を振り返って思うのは、やはりコロナ禍においてドラマが果たした役割の大きさだ。ドラマはさまざまな形でコロナ禍における私たちの日常を映し出し、コロナ禍でささくれた心を癒してくれた」と書き出している。その猛威は世界中を襲い日本の各家庭をも巻き込んだ。私の顧問先の幹部は2019年晩秋にコロナに罹り、あっという間に帰らぬ人となった。その病の残酷さたるや別離の儀式すら奪い去った。それゆえに彼は長期の旅に出たまま逢えない日々が今も続いているような感がする。亡くなったとの実感が未だに湧いてこない。その災いとほぼ踵を接するように世界を襲ったのはウクライナ戦争であり、ガザを舞台にしたイスラエルとパレスチナとの戦争である。あのコロナ禍と違って、未だこれらの戦争は我々の日常生活と離れている。それが身近に迫ってきたら?いかなるドラマも癒してはくれるまい、と思う。(2025-3-27)

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【169】硬直化した政治状況を打破するために━━東浩紀『訂正する力』を読む/3-17

 『公明』4月号のインタビューに触発されて、東浩紀さんの『訂正する力』を読みました。面白い。知的刺激をたっぷり受けました。「修正する力」さえ持ち合わせていない政治家は大いに学ぶべきだと思います。この本は「語りおろし」。そのため若干未整理の部分もあり、私の早とちりも否めませんが、お許しください。

⚫︎9条では政府、自民党が「訂正する力」を発揮

東氏)政治とはそもそも絶対の正義を振りかざす論破のゲームではありません。あるべき政治は、右派と左派、保守派とリベラル派がたがいの立場を尊重して、議論を交わすことでおたがいの意見を交わすことでおたがいの意見を少しづつ変えていく対話のプロセスのはずです。しかし、現状ではそんなことはできない。(7頁)

赤松)この本は2023年10月末出版。当時と違って今は衆院で政権与党が少数です。今年度の予算編成をめぐる与野党の攻防も趣きを異にし、「高校教育費無償化」を巡っては維新、「103万円の壁」を巡っては国民民主との間で「対話」がありました。立憲とも「高額療養費上限額引き上げ」について折衝がありました。その結果、一部で野党の意見が取り入れられたのです。これまではひとたび組んだ予算案は一円足りとも「修正」しないのが当たり前でした。「修正」より、「訂正」はそれまでのスタンスの誤りを正すニュアンスが強いのですが、それについては?

東氏)皮肉なことに9条についてはむしろ政府のほうが訂正する力を発揮しています。(「解釈改憲」で「集団的自衛権」を認めることで方針を変えたことを意味します)  リベラルのほうも訂正する力を発揮し、条文自体を変えてしっかりできること、できないことを規定したほうがいい。(35頁)

赤松)実は公明党は、「安保法制」の改定で、「集団的自衛権」を認めていません。いわゆる玉虫色解釈にこだわり、個別的自衛権の延長だとの態度をとりました。公明党も「訂正する力」の発揮には躊躇したのです。

⚫︎「余剰の情報」を沢山発信する立場の強み

赤松)言論の世界でも、(変化の連続で)「訂正する力」を発揮できず、自縄自縛に陥っているケースが多い?

東氏)言論人はそんな変化に対応し、訂正を繰り返す必要がある。にもかかわらず彼らが軌道修正を頑なに避けるのは、そんなことをしたら支持者を失ってしまうと恐怖しているからでしょう。立場を守ろうとするあまり、現実に対応ができなくなっているわけです。(だが、「交換不可能な存在」になると違ってきます)(153頁)

赤松)東さんは、ロシア情勢に詳しい佐藤優(元外務省主任分析官)氏がウクライナ戦争開始いらい「ロシア寄り」だとの批判を受け続けていますが、いまだに活動を続けているのは、佐藤さんが「余剰の情報」を沢山発信してきており、交換可能な専門家ではなく「佐藤優」という固有名で存在しているからだとしています。「ウクライナ戦争」について彼は、当初から「即時停戦」を説いており、創価学会の池田先生の主張に同調してきました。「ロシア寄り」かどうかではなく、生命の尊厳のスタンスからの発信だと私には思えます。

⚫︎平和主義の「訂正」の提唱

東氏)戦後日本は経済復興や国際復帰を達成するために平和国家という物語をつくった。これもある時期までは柔軟に運用されていたが、いまはすっかり硬直化している。(中略) いま、日本に求められるのは平和主義の「訂正」だと思います。(214頁)

赤松)東さんは最後に「平和とは戦争の欠如である。政治の欠如である。政治と離れた喧騒に満たされていることである」とする一方、「日本はもともと文化の国」「政治と交わらない繊細な感性と独自の芸術をたくさん生み出す国」だったと述べています。日本は武力を放棄したという理由で平和国家なわけではなく、そもそもそういう国だったからこそ平和国家なのだと、「平和主義」観を訂正して見せています。

東氏)右派が軍備増強を唱え、左派が平和外交を主張する。例によってゼロかイチかの対立になっていますが、本当は二者択一ではありません。どっちもできる。(217頁)

赤松)それって、公明党のスタンスでした。ほどほどの軍事力と縦横無尽の外交力の発揮です。かつて、公明党の平和主義は「行動する国際平和主義」だと規定しました。座して死を待つのでもなく、かと言って、軍事力増強のみに走らないものだと強調し、一定の軍事力のもとに、外交力と文化力の相乗効果を発揮する必要性を訴えたものです。中道主義の面目躍如たるところです。

 【余録】なお、この本は最後に日蓮を作為=政治の思想、親鸞を自然=非政治の思想とやや大雑把に誤解を呼ぶ捉え方を示しています。私なら前者はリアルな平和思想、後者を能天気な非武装平和思想と位置付けます。更にまた、ルソーを「訂正する力のひと」だったとして、作為と自然の対立を止揚する「自然を作為する」立場に立っていたと、持ち上げています。日本復活には、伝統を活かし、世界に発信していくこと。訂正する力を取り戻すこと。平和を再定義することだと結論づけていますが、竜頭蛇尾の感は免れない結論です。(2025-3-17)

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【168】日本の教育現場の惨状をどうする?━━高嶋哲夫『アメリカの学校生活』を読んで/3-10

 またも高嶋哲夫さんの本である。しかも学校教育もの。もういいよって声が聞こえてきそう。でもそう言わないでほしい。とっても価値あるアメリカ学校現場探訪記といえるので。ただし紙の本はもう絶版だから書店では手に入らない。彼のもとにも2冊しか残っていないという。で、彼が送ってくれたのは紙の本ではなく、デジタルデータである。昭和56年(1981年)に書かれたもので、先日取り上げた『カリフォルニアのあかねちゃん』と共に、彼の作家生活の初陣を飾る対をなす。私のアイパッド画面いっぱいに極小文字が横長で並ぶ。同時に文字の拡大を拒む仕様とあって、読み辛いことおびただしい。読みかけると一気に目が斜視度を強め近視もさらに進みそうなんで、ゆっくりじっくり時間をかけた。高嶋さんによると、今アマゾンでは17505円の値が付いている貴重本とのこと。ということで、頑張った。ここではこの本のさわりの部分をご紹介した上で、日本の学校教育との比較を試みたい◆アメリカの義務教育と、大学での生活のあらましについては、最新ブログ『後の祭り回想記』No.206(3月8日号)に書いているので、それ以外のものについて日本に見られない特徴を挙げておく。まず英才教育についてMentai Gifted  Minor (MGM)と呼ばれるものがカリフォルニアの例で述べられている。心理学の専門家が各学校を周り、2年生以上の児童の中から教師の推薦で選ばれた子どもに知能テストを行う。IQ132以上のものたちを選び出し、MGMクラスに入れて特別教育をしていく。このクラスには州から特別な予算が支給され、それぞれの才能に応じて能力強化への便宜が図られる。科学や芸術分野に興味を持ち、それなりに力があると認められると、特典が得られるというのは驚く。なんだか社会主義国家みたい。また、初等教育の中での教える側のボランティアの存在というのは、日本と大きく違う。例えば、ルームマザーという人たちが教員と共に生徒たちの面倒を見ていく。父兄と先生が一緒になって子供たちを育てるという発想である。また、米国では家庭が学校の代役をする仕組みもあるというから実に自由そのものだ。もちろんアメリカの学校現場にも多くの問題はあるのだが、日本のように中央集権国家ではなく、50の州ごとに各地域の独自色を発揮しながら自由そのものの教育展開は、突出した人材を生み出すのに好都合なのだろう◆一方、足並みの乱れを恐れがちな日本は、結果として画一化に靡いてきた。戦後80年。これまで日本の教育は文部、文科行政による「詰め込み教育」の是非を巡っての「ゆとり教育」導入の混乱など、その定見のなさが指摘され続けてきたことは周知の通り。気がついたら、世界各国の大学との格差が只ならざる歪みを示しており、愕然とする。学校現場は、①教員の長時間の過密労働②教員の志望者減③教員不足・未配置④非正規教職員の増加⑤精神疾患など病休者・中途退職者増⑥不登校やいじめに対する子どもの指導やケアの不足など数多くの問題で疲弊していると言わざるを得ない。つまり日本の教育はインフラから、表面上の見栄えまで。ことごとく元気がない。この現状はなぜか、これをどうするのか◆偶々9日に神戸で開かれた教育講演会で、栃木・作新学院大の渡邊弘学長が来られるというので駆けつけた。この人、自民党の船田元氏(元経企庁長官)の盟友的存在と聞く。講演では、日本の教育現場が幾たびも危機が叫ばれた末に、遂に今危急存亡の危機に直面していることを強調された。それを救うのは「人間主義の創価教育しかない」との漲る確信。牧口、戸田、池田と三代会長の教育に関する箴言を散りばめた講演の迫力には改めて心揺さぶられた。慶大での恩師・村井実教授からの直伝がご本人の「創価教育研究」の契機になったとか。知らずにきた。内に教育現場の混乱。外に国際社会の暗雲。「二重の危機」に苛まれている日本の現状を、10年大学の後輩になる教育学の泰斗から突きつけられた。恥ずかしい。危機に至った根底の責任は共に政治にあると思うがゆえに胸締めつけられる思いがする。創価の庭で育って60年。公明の旗の下で動いて30年。一体自分は何をしていたのか、と。(2025-3-10)

 

 

 

 

 

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