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【160】「日本防衛」「地震対応」そして「人類の宿命転換」を━━新年の新聞各紙の論調を読む(下)/1-8

前回に続いて、読売新聞、朝日新聞と聖教新聞の新年号の論調を追います。

 まず、読売新聞。この新聞社は、毎年の元旦号では一般ニュース、特に安全保障関連のものをトップに持ってくることが多い。今年は、中国が昨年12月に、宮古海峡(沖縄本島と宮古島間)などで、海上封鎖に似た演習を行ったことを報じた。重武装をした海警船団が、沖縄県・尖閣諸島周辺に昨年12月に現れたことが複数の政府関係者からの情報で分かったという。これは同国が台湾有事を想定した上で、海上封鎖の範囲を拡大させようとしており、日本政府が警戒しているというのだ。強引な中国の海洋進出は、南アジア全域に顕著だが、この5年ほどは日本の尖閣周辺で、特に質量的双方で著しく増えている。とりわけ、軍艦並みの76ミリ砲を搭載した海警船が昨年6、12月に4隻づつも現れている。「現状変更の試み」として繰り返されているとの見方が専門家の間でも強い。これに対して、日本の国会での安全保障をめぐる議論は、「安保法制」関連法が成立したのちのこの10年ほどは、極端に低調である。「政治とカネ」や、経済格差の影響なども重要だが、国家の安全についての議論をもっと日常的に行なって、有事への構えを国民的レベルで共有する必要があろう。なお、「読売」は3日付けからAI社会の近未来を展望する連載を始めている。「日経」の連載と軌を一つにしたものとみられよう◆朝日新聞は、一面トップに「能登半島地震から1年」を取り上げ、防災を論じている。能登半島のこの一年を振り返ると共に、〝老いて縮む能登〟の未来が多くの自治体にとって、「近い将来と重なる」ことから、対応を迫る着眼である。例えば、都市部と各地方自治体が連携して、時節に対応して移転を促進するなど関係人口を臨機応変に増やす考え方が以前から着想されながら、なかなか軌道に乗っていない。もっと、国を上げての重層な取り組みが求められよう。また、「朝日」は、元旦から左肩に企画連載として『百年 未来への歴史 デモクラシーと戦争』を始めている。戦前の歴史を振り返ると、「勢い」という言葉が一つのキーワードになっていて、戦争への流れがとどめられなかったことが「歴史の教訓」として汲み取られるという。昭和天皇の「引きづられて了った」との言葉の引用は改めて衝撃を受けるが、現在只今の世界の状況が「百年前の再現」に直結しないとは言い切れない。そうならぬために、デモクラシーを強靭なものにすべきだとの論調が仄見える。「毎日」の連載とも共通するものといえよう◆以上に見てきた全国商業紙の傾向とは一線を画す視点での連載企画が注目されるのが聖教新聞。タイトルも『2030年へ 人類の宿命転換への挑戦』と壮大である。元旦号から始まった連載の一回目は、「人材を育む〝教育的母体〟」(上)。SGI (創価学会インターナショナル)は、米国・グアムで発足して今年で50年が経つ。SGI がスタートする場になった第一回「世界平和会議」で、池田大作先生が、〝世界は軍事、政治、経済という力の論理、利害の論理が優先されることによって平和が阻害され、常に緊張状態に置かれている。こうした状況を打破し、平和への千里の道を開いていくことこそ、宗教の本質的役割〟であることを強調したことが紹介されている。社会の繁栄と平和のために、貢献的実践を貫く「世界市民」たれ、との呼びかけである。5日付けの(下)では、世界平和に向けて、池田先生との対談でアンワルル・K・チョウドリ元国連事務次長が「政治家や国際公務員だけに任せていてはいけないと、声を大にして叫びたい。民衆が立ち上がってこそ、また市民社会が前面に出て改革を求めてこそ、より良き世界へと変革し、また創出していける」と、SGIへの期待の言葉を寄せている。強く共鳴したい。本文の末尾には、「我々が目指すべきは、未来の世代のために、人類が直面する難題に果敢に挑戦し、より公正で持続可能な世界を構築しゆく人材の育成である」(「創価学会社会憲章」)とする一方、「国際社会の期待に伴い、人材を育む〝教育的母体〟としての学会の使命は重大である」と結ばれている。現今の世界を覆う危機に対して、ただ憂慮するだけであったり、傍観者ではいけないことを痛感する。更に、この50年の池田先生の凄まじいまでの「人間外交」の成果が、誤れる世界のリーダーによって押し流されようとしていることに対する無力感を抱く人々がいる。これには強い憤りと失望を感じる。今最も大事なことは、民間外交に死力を尽くされた池田先生の後に続く行動である。今三たび迫り来る世界戦争と、地球環境破壊への危機はまさに「人類の宿命」との戦いである。それを転換する道に邁進することこそが今求められていると思われる。(2025-1-8)

 

 

 

 

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【159】「後退期」に向かう民主主義の危機━━新年の新聞各紙の論調を読む(上)/1-5

 選挙イヤーと言われた昨年は、SNS旋風が吹き荒れたことで、既成メディアは顔色なしの傾向なきにしもあらずだった。しかし、日本社会の大筋の世論はいわゆる大手紙の論調に左右される。毎年、正月元旦号及び松の内辺りの紙面で見てとれる風向きを私なりに把握してきた。今年はまず、毎日、日経、産経新聞から取り上げてみる。

 毎日新聞は年間を通じた特集「これまで これから戦後80年」を展開するとのこと。その皮切りとして、民主主義を考える「デモクラシーズ」とのタイトルで連載を始めた。第一回は、最新のデジタル技術を生かして民主主義の「アップデート」を試みようとする人々を取り上げた。姿かたちの見えない「民意」を探るためのツールとしてのリクリッド(Liqlid)なるもので、これは自治体の施策について市民の意見を募る仕掛けとしてのオンラインプラットホームである。すでにこのツールを導入している自治体は約60にのぼる。要するに現在の間接民主主義としての議会ではなく、直接民主主義に移行する仕組みを作ろうというわけである。世界でもこうしたデジタル民主主義の活用は着々と進んでいる。具体的には、台湾で「民主主義は不変ではなく更新されるものだ」と説く唐鳳(オードリー・タン)氏(初代デジタル発展部長)へのインタビューを試みている。日本でも宇野重規東大教授が『実験の民主主義』という著作の中で、デジタル技術を使った意見集約、議会を介さない政治参加、1人1票にこだわらない政治参加などの実例を紹介しており、私も当ブログのNo110で紹介した。この直接民主主義に近づく営みは間違いなくこれからの世界のトレンドだと確信する◆日本経済新聞は、戦争の飛び火やら、自国第一のポピュリズムが台頭してグローバリズムが逆行するなど、「逆転の世界」を14カ国・地域に40人の記者がいる英語メディア「Nikkei Asia」と共に取材して、世界の危機の連鎖に日本は備えよとの警鐘を乱打している。そのうち、「日本に必要な備えは、あらゆる危機に対応できる財政やエネルギー、金融市場の余力にある」とした上で、「少数与党で政策が停滞することは許されない。米欧がつくった国際秩序にただ従う姿勢はもう通用しない。企業も世界の供給網や販売網の再構築が不可欠になる」と強調。「まずは常識を捨て去り、逆転の世界を直視することから始めなくてはならない」と呼びかけている。注目されるのは、アジアからの視点として、「(トランプ政権の再来で)米国が去るなら別(の国)を探す」とばかりに、イスラム教徒が多く、歴史的経緯からも共産主義への拒否感が強いマレーシアやインドネシアでさえ、「経済や社会の利益を考えて、中国寄りになっている」と明かす。また、『歴史の終わり?』で知られる米の政治学者であるフランシス・フクヤマ氏への注目すべきインタビューを試みている。同氏は、米の覇権が終わり、多極世界に移ることを見通す一方、いま我々は民主主義の「後退期」(a period of democratic backsliding)にいると明言するものの、「永続はしないだろう。権力が個人や一族に集中する独裁体制は最終的に安定せず、人々はそうした社会での暮らしは望まない」からだと、楽観的に述べる。トランプ政権の寿命は4年だし、中国やロシアの体制も長続きしないとの見立てである。私も同じ観点に立つ◆産経新聞で注目されたのは、第40回正論大賞を受賞した外交評論家の宮家邦彦氏とBSフジLIVE  プライムキャスターの反町理氏による対談である。混迷の度合いを強める世界の情勢の中で、日本の国益と世界の安定をどう追求するかがテーマだ。宮家氏の論調で注目されるのは、第二次世界大戦の教訓から国際連合を作った世界が80年を経て、今新たなる戦争の危機を迎えているとの認識を示していること。ここで彼は、トランプ氏の再登場で「国際協調主義」が劣勢となり、「戦間期」が終焉する可能性に言及して、それへの備えを強調する。この辺り日経の論調と同じである。ただし、宮家氏は、その危機をチャンスにする考え方として、「勝ち組」に入ることを強調する。つまり、日本は第一次世界大戦後は、国際連盟に常任理事国入りするなど「勝ち組」だったのに、第二次世界大戦後は、秩序を破壊した責めを受けて、「負け組」に回ってしまった。その巡り合わせを、逆転させる好機は「戦間期」の後にやってくるというのだ。ロシアや中国、イランなどの「力による現状変更」を求める国が動く時に、それを止める側に回ることで、新たな「勝ち組」に入れるのだというわけである。だが、第三次世界大戦という危機を止めるための瀬戸際という重大な場面での日本の出番に疑問を持つ向きは多かろう。私も大いに疑問を持つ◆そう私が考えた矢先に、対談でも両勢力の衝突を巡って、日本が軍事力の行使を決断できるのかとの議論になった。その際に、宮家氏は、「(戦争をする覚悟があるかどうかについては)専守防衛を厳格に解釈し『反撃能力は相手の攻撃がなければできない』などとする公明党は危ういんじゃないですか」と懸念を表明している。加えて「労組連合」の支援のもとにある「国民民主党や立憲民主党にしてもどうか」と、軍事力行使に否定的な見方に立つ。こうした議論を読んで、私は、直ちに宮家氏に「『勝ち組』に日本が入るには、公明党(の存在)は危ういけど、『21世紀型の保守政権に脱皮』するには、公明党の中道主義の21世紀型展開が必須だと、読み替えました」とメールをした。軍事力云々はわざと避けて、回りくどいコメントをしたのだ。これに対して、宮家氏から「軍事力の使用にアレルギーのない健全な中道保守の存在がカギになると思います」と返事がきた。さてその役割を担う政党はどこか。消去法でいけば、健全かどうかは別にして、「維新」ということになる。さて自公政権内でこうした国家戦略をめぐる議論がなされているのかどうか、疑わしい。(2025-1-5)

 

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【158】もっと率直に、もっと大胆に━━『公明』25年1月号から考えたこと/12-27

 ダークブルーの題字と白抜きの目次━━新たな表紙デザインでさっそうと登場した党理論誌『公明』の新年号を読んだ。戦後80年(昭和100年)の、新時代を画するにふさわしい出立ちである。かねて公明党の〝現在地〟を考える上で、格好の材料を提供してくれるものとして高く評価してきた。今回のものも総選挙後の公明党のこれからを見通す上で大事な論考が並んでいる。敢えて厳しい視点を持って、特集の中から論者の幾つかの指摘を深読みしてみたい。

●これからの公明党への温かくも厳しい注文

  今回号でまず注目したのは小林良彰慶大名誉教授の『24年衆院選に見る有権者意識と公明党の今後』だ。この論考で、小林氏は、ご自身が代表を務める投票行動研究会が実施した全国意識調査の結果に基づいて、今回の選挙での有権者の意識を分析している。それによると、今回の自公両党の敗因については、当然ながら政治資金問題の影響が第一に挙げられるが、第二に、物価上昇で有権者、特に若者世代の暮らしが苦しくなっているのに、それを止められなかったとの指摘をしている。加えて、公明党支持者の高齢化、つまり若者世代からの支持が弱かったことを挙げている。

 今後の公明党について、小林氏は、与党として、国民民主党など他の野党との競合が課題になるとした上で、「『きれいな政治』や『弱者救済』という公明党本来の主張を実現する好機」であると共に、「今回の衆院選で異なる選択をした有権者を引き戻す大きな鍵になるだけではなく、新たな若い世代を中心とした有権者を引き付けることにもつながる」と、期待を込めた楽観的な見方を提起してくれている。

 だが、それには相当なハードルがあるように、私には思われる。例えば、特集1で、冨山和彦・日本共創プラットフォーム社長は『エッセンシャルワーカー前提に中間層の形成を』という刮目すべき論考の最後に、重要な注文を公明党に対して向けている。それは、ライドシェア解禁や、雇用の流動化促進といった、規制緩和、規制改革などのテーマに「公明党は少なからぬ国民から慎重過ぎると映っている」と述べたくだりである。安全、安心を強調するあまり、新たな政策への決断を躊躇する頑なさを懸念しているに違いない。ここらは、公明党が与党化による〝官僚寄りの発想〟に引きずられていることへの警告とみられよう。

 一方、熊谷亮丸・大和総研副理事長は『成長と分配の〝二兎〟を追う政策が重要』との示唆に富む論考において、財政健全化に向けて「公明党には、責任政党、責任与党として、財政規律を順守する責任感を持ってほしい」とか、社会保障の有り様を巡って「年齢で輪切りにするのではなく、能力のある方にはそれに応じた負担をしていただくような仕組みを整えるべきだ」といった大所高所からの要求がなされている。ポピュリズム的な動きに流されやすい公明党の痛いところを突いているものと私には思われる。

●読者のために編集部の解説や、党幹部の受け止め方も開示すべし

 『公明』には、毎号様々なテーマについて貴重な論考が各分野の第一人者によって掲載されている。これをどう読むかは、なかなか至難のわざだと思われる。せっかく大事な問題提起がなされているのに、その趣旨が読者に十分に伝わらなかったり、党の政策担当者や幹部の目に留まらなかったら残念である。そこで、提案だが、毎号の論考で全てとは言わないまでも、特に注目されるべきものについては、担当スタッフによる〝読みどころの解説〟が施されれば、と思われる。

 「編集後記」は、編集スタッフの苦労談として、毎回興味深く読んでいる。たとえば、今回のものでいうと、熊谷、冨山両氏をインタビューした(上)記者が「公明党の課題として、激しく変化する時代の中の柔軟性と、現役世代の不満を払拭する言葉がつむげていないことを感じた」とある。回りくどい表現との印象を受けるが、要するに、激しく変化する時代状況にあって、対応する政策を提示し得ていない公明党に現役世代が不満を持っていると言いたいのだと思われる。同感だ。

 このあたり、もっと遠慮せずに論者の言いたいところを抽出して、それへの編集側の感想を大胆に披瀝してもいいと思われる。時に党政策担当の議員の意見もコメントとして求めてもいいだろう。機関誌だからといって、党への厳しい意見を抑える必要はないと思う。もちろん、慎重な言い回しは必要だろうが、恐れたり、おもねることはない。どんどんあるべき姿を率直に表明すべきだ。

 最後に、編集部による『政治家改革の視点』で、「『次の勝利』へ立党精神の深化を」なる論考について、一言付け加えると、政治家といっても国会議員と地方議員は一括りにできないし、「大衆と共に」の立党精神は、「イデオロギー優先」の時代状況の中で、出てきたものだということを銘記する必要がある。明年はこのことの持つ意味を掘り下げて考え続けたい。(2024-12-27)

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【157】12月の読書日記②━━鈴置高史『韓国消滅』を読む

 在日韓国人との懇談での突然の涙

 先の衆院選で、私は後輩議員の選挙事務所長として様々な方々とお出会いして、あれこれと議論をしたものですが、その中でとても印象に残る場面がありました。旧知の在日韓国人の方との懇談の際のことです。私が朝鮮半島にあっては、三国鼎立の時代が古代からあったのだから、南北分裂を統一へと持ち込まずともいいのではないかとの考え方を持ち出して、意見を訊いてみたのです。元々統一された存在ではなかったとの認識の提示でした。彼は当初、首肯しつつ静かに語り出しました。ところが暫くの刻を経て涙ぐみ、切なそうな表情のまま沈黙してしまったのです。その状態が2-3分間続いたでしょうか。いたたまれず、わたしから話題を変えました。朝鮮民族の不幸な歴史の根源に不用意に立ち入った我が身の不作法さを自省した経験です。

 「韓国」を専門にする学者、評論家、ジャーナリストは私の友人たちに少なからずいることは、折に触れて述べてきました。先般らいの尹韓国大統領の戒厳令から弾劾に至る大騒ぎの最中に、某大手紙のソウル支局長になったばかりの友人記者に激励メールをしたものです。彼は台湾から香港へ、そして韓国へと、この10年足らずの間に転戦しています。そのうち帰国したら、「今風北東アジア談義」をしたいものと期待しています。

 前置きが長くなってしまいました。12月中旬に読んだ本でとても惹き込まれた本は鈴置高史『韓国消滅』です。この人もひと時代前のソウル、香港特派員を経験してきました。日経新聞出身の経済評論家です。フジTVのプライムニュースでの「韓国解説」の常連の一人です。先日の放映でこの本を執筆者自ら宣伝されたので読みました。過去からの『米韓同盟消滅』『韓国民主政治の自壊』に連なるもので、期待に違わず面白いです。

 「復讐の連鎖」に「哀しみの連鎖」を味わう

 韓国の出生率は、0・72(2023年)と、OECDに所属する先進国中最も低いことが注目されます。その上、働き手の減少が著しく、経済規模の急激な縮小が懸念される一方です。さらに、米中両大国の狭間にあって右往左往する歴代政権は、交代するごとに前任者が獄に繋がれることが定番で、「復讐の連鎖」とでも言うべき実情は目を覆うがごとく無惨です。

 今回の尹氏が招いた事態はまさにこれまでの「交代のサイクル」を待ちきれぬほどの急スピードといえます。その辺りのことがこの新書を読むと、単なる大統領個人の資質のなせるワザだとの見立てを超えて、この民族が宿命的に抱える宿痾とでもいうべきものに差配されていることがよく分かってきます。これまでの鈴置さんの著作を読めば自明の理のことだと分かっていながら、つい手を出して、改めて深く納得してしまうのです。

 読み終えたいま、冒頭に述べた韓国にルーツを持つ隣人の涙に、同情を超えた〝哀しみの連鎖〟を抱かざるを得ません。「2つの祖国」を持つ、日本に生まれ住む在日韓国人には、日韓双方の歴史の根源が理解できるが故に、彼我の差の依って来たる流れに、こみあげてくるものがあるのでしょう。それについても改めて気づきました。(2024-12-20)

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【156】12月の読書日記①━━高嶋哲夫『ダーティー・ユー』と『チェーン・ディザスターズ』

 今年2024年もあとわずかになりました。この『忙中本あり』も、新たな年に向けて装いを新たにすべく、残された日々を使って少し試運転をしてみます。まずは、週刊読書録風にまとめるバージョンからです。ともかく短くまとめることに執心してみました。

●怒りと共感で心奪われる「いじめ問題」━━『ダーティー・ユー』

 12月に入って、10日あまりの間(12-1/〜12)に、高嶋哲夫の本を2冊読みました。『ダーティー・ユー』(2000年発刊)と『チェーン・ディザスターズ』(2024年発刊)の2冊です。前者は、アメリカからの「帰国少年」(雄一郎・通称ユー=中学2年生)が、いじめにあう級友を見て、いじめる相手と徹頭徹尾戦う話。彼はアメリカにいた頃ダーティー・ユー(汚いユー)と呼ばれていじめられた経験がある筋金入りのファイター。この本の読みどころは「日米教育現場比較」であり、いじめ対応の「戦う作法比較」でもあります。いじめについては、宮部みゆきの『ソロモンの偽証』が今まで最も熱中して読んだ本ですが、こっちの方が新鮮味があって面白く感じました。とくに、終わり近くで、担任の教師とユーが酒のワンカップと缶ビールでイカくんをかじりながら、公園で2人がいじめについて語り合う場面は秀逸です。高嶋は、この本をベースにして映画を作成して、全国の学校で上映しようといま計画中と言います。私も応援依頼を受けております。この15日には神戸で講演会もあるとのこと。聞きに行ってきます。

●日本を襲う巨大災害の連鎖に立ち向かう女性首相━━『チェーン・ディザスターズ』

 『チェーン・ディザスターズ』は、つい先日に発刊されたばかり。巨大災害が連続して日本を襲うというストーリー。南海トラフ、首都直下型地震、台風による豪雨、富士山噴火による火山灰の首都圏直撃。いずれも凄まじいまでの被害をもたらすものばかりですが、それが半年ほどの間に連鎖するとの筋立て。この危機の中で、政府は機能麻痺状態に陥りますが、若い女性首相が偶然にも災害担当相から抜擢され就任します。この新首相が民間人の起業家と組んで八面六臂の活躍をするところが見ものです。著者は、これまで数多くの災害危機を描く小説を世に問うてきましたが、まさにその総集編とも言うべきもので、その主人公が女性政治家という着眼がポイントです。実はこの本の末尾近くに、ちょっとした私に関係する〝遊び的仕掛け〟が施されており、笑えます。(探してください。簡単にみつかります)。首都機能を東京から岐阜に移すところで終わっており、少々尻切れ感が拭えません。著者によると、続編を書くとのことです。その仕掛けが施された人物が活躍すると言うので、大いに期待したいと思っています。

 以上の2冊は、私の友人である高嶋哲夫の著作ゆえ、裏話が直接聞けました。(敬称略  2024-12-12)

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【155】(第1章)第7節 中国を舐めていると日本は没落し続ける━━邉見伸弘『チャイナ・アセアンの衝撃』

 経済のリアルな現場からの新鮮な報告

 中国を分析する際に、政治の視点が経済を見る目をどうしても曇らせる。やがて中国が世界の覇権を握るとの予測をデータの裏付けと共に示されても、頭のどこかで打ち消す響きが遠雷のように聞こえてくるのだ。しかし、経済のリアルな現場からの報告は、全く違う印象をもたらす。邉見伸弘『チャイナ・アセアンの衝撃』は、これまでの「中国観」を台風一過の青空のようにクリアにしてくれる出色の本である。著者は、モニターデロイト及びデロイトトーマツコンサルティングのチーフストラテジスト及び執行役員/パートナー。豊富な図表、グラフを駆使し、章ごとに分かりやすいポイントをまとめてあり、読みやすい。

 この本が世に出て既に5年近い。中国が醸し出す経済状況は変化を見せ、ややもすればその「減速」を指摘する向きも多い。ここでは、出版2年後に著者が補講的に発表した論考「チャイナ・ASEANの変質と加速」(Voice2023年4月号)を併せ読みながら、その実像を見抜く目を養いたい。アジアに関心を持つすべての人に役立つこと請け合いである。

 まずは本の方から。「日系企業はここ5年で中国からの撤退が続く。大きな理由はコスト増だという」「自動車産業等においては日本企業がタイを中心に圧倒的なシェアを占めていることもあり、中国製品は安かろう、悪かろう、アフターメンテナンスでまだまだといった認識だ(中略)日本企業は簡単に切り崩せないという視点もある」━━こうしたくだりには、どこか中国を舐めて見る癖のある身には合点がいく。人権に無頓着で、お行儀も悪い、そのくせ計算高い。平気で交渉相手を騙す。そんな国民性を持った国の企業と付き合うのはとても骨が折れる━━これが概ね日本人の「対中商売観」だと思ってきた。中国に永住を決めた「和僑」の友人でさえ、ついこの間まで中国企業との商いはよほど習熟した者でないと危険だ、との見方を振りかざして憚らなかった。

 そんな見方で敬遠するうちに、彼我の差は益々開いたのかも知れない。中国の都市経済圏の凄まじい発展ぶり。地続きのアセアン都市圏との綿密な繋がり。自分たちが「知らないことを気づかない」うちに、怒涛のように様変わりしている「チャイナ・アセアン関係」。その実態が鮮やかに描かれていく。中国で人口が1億〜2億級の都市群が全土で5群もあるという。日本の人口は減りこそすれ増えはしない。この比較ひとつでも打ちのめされるに十分だ。著者は、国際会議やビジネスミーティング、会食等の場を通じた情報交換を貴重な情報源に、海外に出れば、現地不動産屋の案内で、津々浦々の人々の生活ぶりを収集してきた。コロナ禍にあっても、公開情報を丹念に読み込み、筋トレをするかのように、報道との差に繰り返し目を凝らす。その地道な作業の結果が見事なまでに披露されていくのだ。

 「減速」に幻惑されては実態を見損なう

 ついで2023年の論考に目を向けたい。著者は、パンデミック前に比べれば中国経済は「減速」したかに見えるが、ASEAN各国との結びつきは基本的に勢いを保ったままであることを強調。とかく適切に認識しようとしない日本人の見方に警告を発し続ける。両者間における「インフラとデジタルの融合は、チャイナ・ASEAN経済圏においてすでに完成しつつあり、経済合理性に鑑みれば、パンデミック下でも貿易や投資の額は上向くのは自然な流れであった」と強気である。いや、それどころか、随所で「日本よりも中国に関心を抱く」ASEAN諸国の実態に目を向ける。ただし、それでも、経済成長をし続けるASEAN諸国への眼差しは地に足をけており浮ついてはいない。「ASEAN諸国は中国に呑み込まれるか否か」という「黒か白か」の議論では現実を見誤るという指摘には目を覚まさせられる。「いまではむしろ中国が欲しがるサービスや技術が手元にある。ASEAN諸国はすでに『選べる立場』へと成長している」というわけだ。この辺り、大いに刮目せねばならない。

 その上で著者は、「リテラシー・ギャップ」が最大の課題だという。日本人は、「国外で、政治でもビジネスでも教育でも、実際に何が起きているかを知らぬままに議論をし意思決定を重ねている」と手厳しい。具体的には、経済発展レベルは都市ごとに異なるのに、「ワンチャイナ」の視点では判断を曇らせることや、「ASEAN諸国の主要都市の経済水準は、日本の政令指定都市にも肉薄・凌駕する勢い」だから、「狭い意味での常識で考えては陥穽にはまりかねない」と。結論として真のアジアの世紀は水平方向の地域経済回廊の構築からもたらされるもので、ASEANと日本、そして広義では米国も含まれるべきだ」というのである。読む者の世界観を確実に広げてくれる素晴らしい論考に強い充足感を覚えた。

【他生のご縁 尊敬する先輩の後継者】

 邉見伸弘さんは私の尊敬してやまない公明新聞の先輩・邉見弘さんのご長男。随分前から、親父さんからその消息は聞いていました。「慶応に入った。君の後輩になった」「卒業して経済の分析をあれこれやってる」と、それがやがて「中国関係の本を出した。読んでやって欲しい」となりました。

 「父から市川さんと赤松さんのことは、本の話と共にずっと聞いて育ちました」━━頂いたメールの一節です。心揺さぶられました。父子鷹を見続ける読書人たりたいと思うばかりです。

 

 

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【154】(第2章)第2節 背筋伸ばすキリスト者の説教━━曽野綾子『晩年の美学を求めて』

〝嘘好き〟で〝正直嫌い〟の小説家の本分

 全部で28本のエッセイ集。何歳であろうが、「人生」を考える者にとって貴重な指針が満載されている。とりわけ自分の「老い」を自覚し、どう残された時間を過ごそうか悩む人には、良き「手引き書」になろう。私の様な「晩年」にさしかかった老年には、来し方のチェック集とも言える。身につまされながらも、日の入りまでの僅かな〝いとま〟に修正を試みようとの気持ちになった。作家で元日本財団会長の曽野綾子とはどんな人物なのか。著者自身はその「性格の複雑さ」と「悪い性癖」の由来について、「不幸」と「信仰」の2つを挙げる。「不幸」は少女時代の父の暴力から母を庇うための抵抗から始まった。その結果受けた「顔の腫れ」を取り繕うための学校での「嘘」。家に帰って現実逃避のために読む「小説の世界」。子供の時から「二重生活」の持つ重要な意味を知ったからだという。

 一方、カトリック信仰で、世間的な〝情緒的行為〟の「愛」とは違う、見返りを期待しない〝尽くすべき誠実〟という、もうひとつの「愛」を知ったからだ、と。そこから「ほんとうの愛は作為的なもの」であって、「正直など何ほどの美徳か」とまで言い切る。私はここに、〝嘘好き〟で〝正直嫌い〟の小説家・曽野綾子の本分を見る。

 最も納得したのは「自立と自律」についてのくだり。若き日から人任せで(家庭では親や妻、会社では女子社員や秘書)、何も自ら手を汚したことのない人間が老いてから、自分では何も出来ずに困り果てるというケースが事細かに語られる。私もろくすっぽ「自律」が出来ていない口だ。家事の一切を妻任せできたため、今となっては無能者同然。洗濯機、掃除機の動かし方もままならず、衣服、下着の畳み方もいい加減。料理はオムレツもカレーも出来ないし、味噌汁さえ真っ当に作れない。著者は「料理、家事は段取りの塊であり、連続」であって、「頭の体操にはこれほどいいことはない」と強調。「単純作業」として、「家事」を馬鹿にしてきた男どもへの攻撃は収まらない。発展途上国の過酷な環境に比べて圧倒的に恵まれた条件下にありながら、それを見ようとさえしない「現代日本人の甘さ」を突く曽野さんの筆先はどこまでも鋭い。

 性善説と性悪説に分けることの是非

 他方、キリスト者としての著者の考え方は、異教徒として感心することと、やや違和感を感じるところがある。一つは、「希望を叶えられない人生の意味」が昨今教えられていないことについて。昔は親も世間も、「その不幸の中で、人間として輝くことができることも教えた」のに、今は、「いい年をした老人までが『安心して暮らせる社会を保証しろ』などと国に要求する。そんなものは初めからどこにもないことが、年を取ってもまだわからない」のかと手厳しい。新約聖書の中の「ヘブライ人の手紙」の11章からの引用を通して、「信仰を抱いて死ぬ」ということの尊さを明かすのだ。さらに、「志半ばに倒れる」ことは人間共通の運命であるのに、「社会的弱者」がそういう目に遭うのは、政府が悪く、社会が堕落しているからだとする風潮を嘆く。私はキリスト者のこの視点に共鳴すると共に、「今の日本」がとかく責任を転嫁し、なんでも人のせいにしがちになっていることを憂え、その片棒を担いでいないか、と自省する。

 二つ目は、人間存在の有り様をめぐる「性善説」と「性悪説」の考え方について。曽野さんは小説家らしく「性悪説は最低限、推理小説の話の種にはなるが、性善説を小説にするのは極めてむずかしい」とジョークぎみにいう。ただ、この二分法は仏法徒としては単純過ぎて物足りない。生命は一瞬に三千種の状態を孕むとの「一念三千論」などのダイナミックな理論を持つ仏法の方が奥深く見える。縁する環境如何でどうにでも転ぶ人間だからこそ、〝善の方向〟へと強く導く具体的作業としての日常的祈りが必要なのだ。

 また、「戦争でも災害でも、『語り継ぐ』ということはほぼ不可能で無意味だ」とされる。「老年にとって、また死に至る病にある人にとって、半世紀先の平和より、今日の美学を一日づつ全うして生きる方が先決問題だ」とし、「平和運動が、戦争の悪を語り継ぐことだけであるはずがない。戦争を忌避するというのに、親を放置しておいて、何が平和か」とまで。「平和への希求」に伴いがちな「偽善者」の匂いを嗅ぎ分けるのに急なあまり、「偽悪者」ぶりが過ぎて「勇み足」をおかされているように見える。尤もそこに妙な心地よさは漂う。

●他生のご縁 衆議院憲法調査会での出会い

 2000年の10月12日。私は国会で曽野綾子さんとささやかなやりとりをしました。聞いたのは、21世紀の政治家像。「嘘をつくから政治家は嫌い」と言われるのなら「こんな政治家なら好きよ」って聞かせて、と迫ったのです。彼女は、「何かうれしくなるようなことを聞いていただいた」と述べたあと、「明確な哲学とあえて危険を冒すという姿勢を持つ政治家」と明言。政治家は誰もがわかってることを言うのではなく、「わかる人はついてこい」と言って欲しい、と。

 また、子供の教育に関して、私は「確立された個に接触することの大事さ」という持論を述べました。これには全く同感とされ「(強烈な個性との出会いで)びっくりしたり、怖気を震ったりなんかしながら、こういう風にものは考えられるのかと思って私自身を伸ばしていただいた」と、「若き日の幸せ」を印象深く語ってくれました。

 

 

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【153】(第5章)第5節 続編次作を待ち続けた30年━━西村陽一『プロメテウスの墓場』

20世紀末のロシアの舞台裏

 『プロメテウスの墓場』が世に出た90年代半ば当時は今と同様に、あるいはそれ以上に内外の情勢は混乱を極めていた。とくにソ連の崩壊で、いわゆる「東」は上を下への大騒ぎだった。20世紀の世界が轟音たてて変わりゆく中、同時中継を見るようにこの本を貪り読んだ。著者は1992年から5年ほど朝日新聞記者としてモスクワにいた。この本では激動するかの国の舞台裏を渾身の取材で露わにして見せた。題名は「原子力」をギリシア神話のプロメテウスに見立て、その末路を表す。行き場を失った原子力潜水艦、武器商人を介して闇マーケットに流される核物質、海洋投棄される核廃棄物などの実態をリアルに描き、その無惨な姿を墓場に喩えた。

 書き出しはとても印象深い。「真冬の北極圏は、太陽に見放される、12月、うっすらと明るくなるのは、午前11時過ぎから午後2時くらいしかない。漆黒の闇に包まれる夕刻ともなれば、凍てついた道の上を最大で秒速三十メートルの寒風に乗って吹雪が走る。ところどころにたつ街灯の鈍い光に照らされた雪は、まるで蛾の乱舞のようだ」━━ロシア北極圏のムルマンスク州にある町・ボリャルヌイの冬を鮮やかに描きだし惹きつけてやまない。

 この本を読み終えたその時から、次作を待ちに待った。国際政治の内幕を次々に読み聞かせてくれるはず、と期待したからだ。朝日新聞のエースのひとりとしての呼び声高く、モスクワ勤務から後にアメリカ総支局長へと栄進し、やがて政治部長となり、更に経営陣の様々な重要なポストに就いていったが、共著は何作かあったものの、単著としては一向に2作目は目にすることが出来なかった。本業が忙しかったと思われるが、待つ身も辛かった。

 期待裏切らなかった対談本

 あれからほぼ30年。あの当時を強く意識させる本が出た。『記者と官僚』━━外務省主任分析官だった作家の佐藤優さんとの対談本である。腕組みした2人が互いに背を向け、思わせぶりな目でこちらを見やっている写真が表紙に。思わず目を逸らしたくなる。強いインパクト。サブタイトルには「特ダネの極意、情報操作の流儀」とある。総選挙の対応で慌ただしい日々が続いた後に、一気に読んだ。帯に「暴こうとする記者。情報操作を目論む官僚。33年の攻防を経て互いの手の内を明かした驚愕の確固答え合わせ』」とあるように、ソ連崩壊前夜の1991年2月に初めて2人が会った時以来の、虚々実々の駆け引きの全貌が登場する。前作と趣は異なれど〝30年の期待〟を裏切らぬめっちゃ面白い本である。

 処女作を回顧するかのようなくだりを見つけた。「地元ロシアのメディアに先んじて、冷戦時代の地図には載っていないシベリアなどの核封鎖都市の数々を訪ねたり、中央アジア、ロシア、ベラルーシの戦略核ミサイル基地や極北の原子力潜水艦基地の内部に入り込んだり、核物質密輸の犯罪集団を追跡したりという、今だったら確実にスパイ罪で捕まるような危ない取材をすることができました」と。30年前と今を繋ぐ〝西村タッチ〟は、〝かくも長き不在〟を詫びるおみやげのように登場するのだ。

 この本は、拙著でいう『77年の興亡』の末に、共に危機的状況を迎えた「記者と官僚」という2つの職業の〝華やかなりし頃の成功譚〟でもある。待ち受ける苦難の道を厭わずに挑戦する若者や、越し方を振り返る高齢者にとって、学び慈しむ教訓が満載されていてとても得難い。とりわけ①国益の罠②集団思考の罠③近視眼的熱意の罠④両論併記の罠⑤両論併記糾弾の罠という「5つの罠」には考えさせられた。我が政治家人生にとっても痛恨の一事であった「イラク戦争の顛末」は②を噛み締めることで改めて深い反省へと誘わせられる。

この対談で、私が惹きつけられたのは第6章「記者と官僚とAI」。ここでは記者が書く原稿、官僚が取り組む「答弁対応」へのAIの導入といった問題から、既存メディアの生き残りの道に至るまでが語られ、示唆に富む。西村さんが「メディアの敗戦」について「メディアがコストをかけて取材したニュースコンテンツについて、まっとうな対価を得ることがないまま、世界中で巨大プラットフォーマーに対するニュースの提供が広がったことを意味」するとした上で、「正当な対価を組織的に求めるべきだ」としている点は注目されよう。

 この辺り、〝30年の不在と復活〟へと思いは馳せる。なお、佐藤氏が「近年朝日新聞が集中的に扱ってるテーマの中で、唯一評価しているのはホストクラブ問題なの」と述べたのに対して、「唯一か?(笑)」と西村さんが返したところには心底笑えた。また、一連の「朝日新聞の失敗」への弁明もさりげなく盛り込まれていて、それはそれで読み応えがあった。

【他生のご縁 番記者いらいの〝読書仲間〟】

 西村陽一さんとは彼が公明党の番記者をした短い期間のお付き合いが「始まり」でした。どっちも本が好きで、会うたびにどちらからか「今何読んでるの」と聞いたものです。

 偶々私がワシントンを訪れた際に、彼はアメリカ総局長をしていましたが、その次に出会ったのは朝日新聞大阪本社が新しくなった時の「披露宴」。私は万葉集学者の中西進先生と一緒に出席していました。なんとその場に彼は常務取締役で東京からやってきたのです。

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【152】(第6章)第5節「米英愛」関係と「日韓」のあいだ━━林景一『アイルランドを知れば日本がわかる』

 〝いびつな位置関係〟と〝ぼんやりした部分〟

 司馬遼太郎の「街道を行く」シリーズの『愛蘭土紀行』を読んでアイルランドという国に興味を持った。その本を携えて首都ダブリンに行ったのは2006年のこと。待ち受けていてくれたのは駐在大使の林景一さんだった。日愛友好関係に貢献された方を表彰する式典に、日本政府を代表(町村信孝外相の代理)して出席した━━というと大袈裟だが、ウソではない。石破茂氏らと共に防衛庁の省昇格に伴う課題調査のためドイツと英国を訪問した帰途に、ひとりロンドンから寄り道をした。当時の私は厚労副大臣だった。林さんの外交官人生の〝イロハのイロ〟としての米英両国。大使デビューはアイルランド。その任を終えて、この本を出版された。読むと、アイルランドを〝補助国〟にして、米英と日韓の関係を〝ロハ〟(只)で解説してもらった気がする━━というのは言葉遊びが過ぎようか。太平洋を真ん中にした地図では隠れている英愛両国が、大西洋を中心にして見直すと、目の前に現れる。と同時に、日本は視界から消える。そんな〝いびつな位置関係〟による〝ぼんやりした部分〟を鮮明に見せて貰った━━随分と得をした読後感を味わえる本である。

 中学校の時に林さんは映画『大脱走』を観て、主題歌を口ずさんだ。その英語体験から話は始まる。以下、『風と共に去りぬ』『黄色いリボン』『タイタニック』『名犬リンチンチン』など懐かしい映画やドラマの話が続いてワクワクする。映画好きがかつて嵌まった物語の背後に、アイルランドの歴史が秘められていたことが分かってドキドキもする。西部開拓史にも南北戦争にもアイリッシュが深く関わっているうえ、現代の野球やボクシングなどスポーツや美術、文学など芸術の分野でも活躍する人たちが数多い。アイルランドから累計700万人もの移民がアメリカに渡り、現在4000万人ものアイリッシュ系アメリカ人がいるとのこと。ケネディ、ニクソン、レーガン、クリントン氏ら大統領経験者たちも20人ほどに達するとは驚く。英国から新天地を求めた人々によって米国は建国されたと、単純に考えていた者にとって、アイルランドの役割は〝新発見〟だが、カトリックとプロテスタントの違いなどキリスト教を軸に的確に腑分けする著者の記述は実に分かりやすく面白い。

 「最も近く〝最も憎い国〟」という位置付け

 そして舞台は英国へ。「最も近く〝最も憎い国〟」との位置付けは、今もなお火種が燻る「北アイルランド」問題を持ち出すまでもない。だが、林さんが大使在任中にこの問題は政治的には「大団円」を迎えた。両宗派のトップを首班とする自治政府が成立した。この本の執筆時点で残っていた課題(エリザベス女王のアイルランド国訪問)も、「早晩実現する」との著者の予測通り、3年後に実現したのである。「ケルト」神話に始まる古きアイルランドの歴史を紐解き、英国による侵略、植民地化、併呑の流れを描く。「一方の英雄、守護神はもう一方の極悪人」と聞くと、直ちに日韓の関係に思いが浮かぼう。矢内原忠雄(元東大総長)の「英愛」と「日韓」の関係史を比較した論考に遡った上での著者の見立ては興味深い。「英愛和解」への5つの視点のうち、「(両国が)歴史的わだかまりのマグマを北アイルランド和平構築への協同というエネルギーに変えていった」ことの効果が高く評価される。その過程でアイルランドの「英国憎悪」の必要性が消滅し、それが和解を容易にした、と。

 最終章では、彼の国を「姿見」として、日本が己がふりをただす試みに挑む。以下、日愛比較の私見を示したい。「人間以外に資源がない」とのハンディを抱える日本とアイルランド。教育に力を入れようとする姿勢や移民・外国人に対する親切な接し方には共通点を感じるものの、「小国ゆえの『弱い者の見方』」という指摘には違和感が漂う。比べるには国の規模が違い過ぎるのかもしれない。日本では国民レベルでの「小国」との認識が客観的にはギャップがあり、自画像にズレが生じている。「中立国への固執」については、日本人にとっても見果てぬ夢。柄は大きいくせに未だひとり立ち出来ていない子どものような日本。小国であっても背筋の整った大人の国柄ぶりを発揮するアイルランド。私には無性に眩しく見える。

【他生のご縁 国会で、ダブリンで、東京界隈で】

 林景一さんとのお付き合いは長く、もう30年近くになります。衆院外務委員会に所属することが多かったので、条約局長、国際法局長だった林さんにはしばしばご指南を賜わったものです。そのつど優しく丁寧に深い蓄積を披露してくれました。

 アイルランドに滞在した2日間はめくるめくような時間の連続で、あの場所、この町へと案内いただきましたが、あらかた忘却の彼方に。残っているのは彼の心細やかな気配り、目配りの手触りの温かさです。

 ダブリンの大使館での式典で私は岡室美奈子早稲田大学教授(のちに坪内逍遥演劇博物館館長も兼務)を紹介されました。アイルランドが生み出した劇作家サミュエル・ベケット(ノーベル文学賞受賞者)を研究する女子学生だった頃に、司馬遼太郎さんと出会ったことが『愛蘭土紀行』に出てきます。林大使が取り持ってくれたご縁を大事にして、その後も3人で懇談を重ねました。この集いのたびに私は〝司馬さんの影〟を見てしまいます。

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【151】(第3章)第4節 古今東西、我が身にも数多の実例━━山内昌之『嫉妬の世界史』

仏教の十界論における位置付け

 人間が他の人を嫉み(ねたみ)、妬く(やく)ことを「嫉妬」というのだが━━著者は他人が順調であり幸運であることをにくむ感情としている━━人間存在にとって実に厄介なものである。仏教の「十界論」では、地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界の4つを「四悪趣」との名称で、人間の陥り易い〝悪しき生命状態〟に括っており、嫉妬界というのはない。全くの私見だが、5番目の「人界」(6番目以降は、天界、声聞界、縁覚界、菩薩界、仏界)に含み込まれているのではないかと勝手に思っている。それほど人間と、切っても切れない感情だからだ。その「嫉妬」にまつわる古今東西の様々なエピソードを集めた本が『嫉妬の世界史』である。著者はイスラム世界を中心に国際関係史に透徹する知を持つ。この本は同氏の世界史考察の流れの中から溢れでた、珠玉の逸話を集めたものといえよう。200頁足らずの小さな新書版だが、とても深くて重い内容に彩られており、実に面白くてためになる。

 日本における具体例で注目すべきは、森鴎外である。夏目漱石と並ぶ明治期を代表する文人だが、同時に軍医でもあった。彼は生涯〝二足の草鞋〟を履き、「二刀流」の使い手だった。その彼が妬み妬まれたのは「医の世界」での人間関係が主だが、それは同時に「文の世界」との関わりを持っていた。著者は、軍医としての鴎外を人事を敏感に栄誉と屈辱を入り交わらせて感じ取るタイプと規定する。『舞姫』や『智慧袋』といった作品の中で、自身の鬱憤を晴らす表現を盛り込んだというのだから只事ではない。前者でライバルへの批判をあてこすり、後者では「よせばいいのに『自分は上司に認められず同輩にも受け入れられず、才能は自分よりも劣る者が上に立っている』とまでやってしまった」というのだ。当然ながら周りからは激しい攻撃の対象となった。著者は『鴎外漁史とは誰ぞ』との作品には「鴎外の不平不満と愚痴が渦巻いている」とまで明かす。ここまで「嫉妬」という感情に翻弄されながらも、文学において見事な地位を築き上げたのは立派というほかない。しばしば比較される漱石に、好感を抱いてきた私にホッとする思いが宿るのは自然な感情だろう。

 3つの国の3人の「独裁者の業」

 一方、眼を外国の例に向けよう。ローマ皇帝の時代。「政治力、軍事力、大衆の支持も、他のすべてもあった」ポンペイウスは、それゆえ自信家であり、そのため、同輩の嫉妬に嵌まり込んだ。「偉大な個人」になれた可能性があったのに、実際になったのは「大器晩成型でプレイボーイ」のカエサルだった、と。しかし、そのカエサルも「嫉妬と反感のうずまくローマ政治の複雑さに足をからめとられて非業の死をとげた」。塩野七生の『ローマ人の物語』を巧みに引用しながら、「男の嫉妬の怖さ」を披瀝してやまない。他方、「独裁者の嫉妬」のトリオはスターリンと毛沢東と金日成。「平等思想の美名のもとで、人間の嫉妬を構造化し、密告や中傷を日常化する体制をつくりだした」「マルクス主義と共産主義の罪は深い」との記述のもと、この3つの国の3人の「独裁者の業」とでもいうべきものを暴いていく。この嫉妬史は、それぞれプーチン、習近平、金正恩へと今に続いており、山内さんだけでなく誰しもが続編を書けそうなのは怖い。

 嫉妬は女の専売特許のようにかつて扱われた趣きがあったが、それこそ男の女への妬心というのは、ギャグか。人間関係だけでなく国家相互の嫉妬にも著者は目を向け、かのイラクのサダム・フセインのクウエート侵略を挙げる。隣国の豊富な石油埋蔵量に嫉妬した挙句だ、と。朝鮮半島でも貧困の「北」が「南」の繁栄を妬む構図は誰でも思い浮かぶ。

 最後に「嫉妬されなかった男」に一章が割かれている。嫉妬続出の後にさわやかに顔を出すのは陸軍元帥・杉山元。彼は、陸軍大臣、参謀総長、教育総監という「陸軍三長官職をすべて経験した稀有な存在」でありながら、目立った嫉妬や反感を受けなかった。そのわけを山内さんは、定見がないように見える「茫洋とした態度」をとりながら、「緻密な計算の上に立つ保身術」を身につけ、「勝負に出るときは度胸もあった」からだという。「粘り強くハラを見せない」タイプなのだ。

 最後に登場するのは、徳川三代将軍家光の庶弟・保科正之。この人物が日本史の裏面でひっそりとだが燦然と輝く位置を占めていることはつとに有名だ。その大きな理由として「嘘をつかない政治家」だからという。「気性がまっすぐな人間に嫉妬する同僚は少ない」とのことだが、昨今の政治の世界で見出し難いように思われるのは恥ずかしい限りである。

【他生のご縁 名通訳者から紹介されて懇談】

 厚生労働省で仕事をした僅か一年ほどの間に、米国、ニュージーランド、ベトナム、英国、ドイツ、アイルランドと旅をする機会に私は恵まれました。そのうちベトナムは国際会議への出席でもあり、なうての英語の達人がサポートしてくれました。著名な英語通訳者の田中祥子さんのことです。

 この人に紹介していただいたのが山内昌之氏でした。中東を話題にしたことから同氏が田中さんとも大変親しい仲だとわかり、3人で夕食を共にすることになったのです。世界各国のお国事情から大相撲の話まで、世界を跨ぐ話題であっという間の数時間でした。2023年よりの横綱審議会委員長も宜なるかなと思ったしだいです。

 

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