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[5]地方 の「文芸同人誌」の凄味を味わう/9-30

「忙中本なし」の昨今、政治、経済、文明論などはともかく、文芸本からは遠ざかる一方。そんな折りもおり、学生時代の懐かしい先輩から地方の同人誌が届いた。『中部ぺん』第28号ー創立されて35 年目を迎える「中部ペンクラブ」が年に一回発行する「総合文芸雑誌」だ。そこには、同クラブの文学賞『特別賞』を受賞された中島公男さん(日本ペンクラブ会員)の喜びの言葉と写真が掲載されていた。少し前に発刊された『瞬間よ止まれ!』が受章対象作だった。そのタイトルから窺えるように、この本は、今を生きる生命の営みに、切なる愛おしさを感じさせる秀作だった。受章を記念して書かれた彼の小論は、文豪トルストイの日記から読み取れる「書くことへの悩み」より筆をおこし、アウレリウスの「今の瞬間だけに生きよ!」で締め括られていた。その誠実なお人柄がしのばれた★実は、それより数日前に、私の友人・諸井学氏から、播州姫路の文学同人誌『播火』108号が届いていた。そこには彼の随筆「日本文学のガラパゴス化」と、特別企画 国文学セミナー『「新古今集」以後の和歌文学』の2篇が掲載されていた。この人は知る人ぞ知る電機商にして作家という二足の草鞋を履いている(3年前に姫路の「黒川録朗賞」を受賞)。そのうえ、日本文学にもヨーロッパのモダニズム文学にも滅法造詣が深い。いわば2足の草鞋を履いた和と洋双方の〝料理の達人〟といえようか。その彼の特技が見事に披露された2篇を読み、心の底から唸った★特別企画の和歌文学セミナーについては、彼の代表作『神南備山のほととぎすー私の新古今和歌集』で使われていた手法の第二弾。初めて読んだ時はものの見事に騙された。架空のセミナーを誌上で展開、さもどこかでやった講演を再録したものと思い込んだ。それが実は全部机上のもので、しかもそれ以外に挿入された掌編も悉く意匠の限りを尽くした内容。読み終えて『新古今和歌集』の全貌が仄みえてくるという企みに絶賛するほかなかった。今回は〝柳の下〟だと分かってはいたものの、結局は彼の術中に嵌まってしまった。「新古今和歌集」が出来上がって後の「勅撰和歌集」講義から、「和歌文学の終焉」をもたらした正岡子規の、〝寝たままの振る舞い〟に及ぶまでの二回分40頁。食べ応え十分の「和食」だった★また、もう一つの「随筆」がまた味わい深い。ここでは、いかに日本文学の今が、世界標準から見て特殊な位置にあるかを明らかにしている。カフカの『変身』の、かの有名な「目ざめてみると、自分が巨大な虫になっていることに気づいた」とのくだりを読んで、某同人誌主宰者が「ある立場が書かせた稀に見る奇書」と捉えていることを一例にあげ、諸井さんの筆は切り込む。「20世紀以降世界の小説家は物語を離れて小説の構造を重視するように」なっているのに、日本の文学は基本的には「あらすじや登場人物のキャラクターに頼った解釈」に終始していることの落差を指摘するのだ。実は私自身、彼我の差の実感が乏しかった。諸井さんとの出会いからサミュエル・ベケットの『モロイ』の存在を知って読んだのだが、全く理解不能だった(この辺りについては既に公表済み)から。諸井さんは、最後に今のような状態が続けば、「世界に通用する小説家が生まれません」し、「ノーベル文学賞など望むべくもないのです」と結んでいる。さて、この「洋食」料理は私には、味が濃いすぎて、いささか後味が悪いように思われる。(2021-9-30)

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[4]看護師が見たパンデミックー『新型コロナウイルスとの闘い2』を読む/9-14

「看護師が見た」ー何だか、市原悦子主演で話題を呼んだテレビドラマ『家政婦は見た』を連想した。余計な思いを振り払い、頁を繰った。この書物は、特定非営利活動法人「地域医療・介護研究会JAPAN」と株式会社「ヘルスケア・システム研究所」の共著による、シリーズ第二弾である。一作目は、「現場医師120日の記録」とあったが、いささか羊頭狗肉の感は否めなかった。病院長ら幹部の発言が目立ち、「現場」とは遠い感じだったからである。同研究会の邉見公雄会長に直接、率直に苦言を呈した。しかもその辺りについて、「読書録」ではなく、褒めたり貶したり、あれこれ「回想記」に書いた。今回のものにおける邉見会長の巻頭言には、「(前回の出版では)『最前線で活躍しているはずの看護師がいない』などの鋭いご意見も頂戴いたしました」との断り書きがついている。私だけでなく、多くの読者からの注文があったものと思われる。今度は、看護師ら現場サイドの声も十二分に反映されていて、文句はない◆なかでも愛甲聡院長による「永寿総合病院の1年の記録」は20頁に及ぶ力作。院内感染発生という厳しい事態をどう乗り越えたか。反省部分を含め様々な意味で読み応えがあった。更に「最前線看護師のチャレンジ」との一文には驚いた。「兵庫県立尼崎総合医療センター」の看護師(大迫ひとみさん)のものだったからである。貪るように読んだ。というのは、まさにこの病院で昨年秋に、尼崎市在住の私の親しい友人Kさんが亡くなった。緊急入院して、僅か半月ほどで懸命の治療の甲斐もなく。ただただ悔しくむなしかった。先に彼の妻君の感染が分かり、県内のある病院に入った。彼からぜひ尼崎総合医療センターに転院させて貰えないか、との要請が私にあった。直ちに動いたが、そもそも同センターが重症患者優先であり、我儘は許されないとの返事を伝えざるを得なかった。と、殆ど同時に、彼自身の「陽性」も判明した。皮肉にも彼の場合は希望通りに同センターへの入院となってしまうのに時間はかからなかったのである◆大迫さんは「一晩で二人の患者のご遺体を棺に納めた。第一波流行期では、亡くなられた患者を納体袋に包んで棺に運び入れ、葬儀社から託されたビニールテープで棺の蓋が開かないよう目張りをした。この作業もすべて看護師が行ってきた。ある看護師は、患者が息を引き取る最期の時間に寄り添い、体を優しくさすり、手を握って患者の旅立ちを静かに見守った。重症化した後、患者が家族との再会を待たずに亡くなられた経験から、患者が会話をできる時期を逃さず、ipadによる家族との面会も積極的に行ってきた」と伝える。このくだりを読み、まさにKさんを看取ってくれた看護師さんたちの「心」を知った。新たな感動で涙ぐまざるをえなかった。集中治療室に入る前日に、彼と携帯電話で交わした最後の言葉が蘇ってきた。先に無事に退院出来た奥さんは、別れの言葉を遠く離れた窓越しでしか発することが出来なかった。彼女にこの記述を読ませたいと心底から思う◆この本の最終章(「コロナ下での医療・介護の提供体制を支えるために」)では、「自治体病院の看護師へのアンケート調査」の結果がまとめられており、惹き付けられる。結果の概要を見ると、当然ながら、感染拡大後に、「業務負担を非常に感じる」とする人が50%を超え、「看護師を辞めたいと頭をよぎったことがある」人たちが勤務年数が少ないほど多いという事実もわかる。終わりの見えない状況に、ストレスを抱き、疲労や睡眠障害を感じているとの不安を吐露している。こうしたことに、今更ながら感謝の思いを抱く。「自由記述」のコーナーに128もの率直な声が寄せられている。「医療従事者の我慢の比率が高すぎる」「勝手な行動をした人に対する対処を考えてほしい。入院費無料には、納得できない時もあります。このまま無料をいつまで続けられるのか分からない。いずれ、お金を回収されることがあれば不満」「現場で働く看護師に対する業務負担軽減や支援はほとんどないのが現状である」「(理不尽な要求をされる患者に)なぜ自分たちの身を危険にさらしてケアしないといけないのか、職務と感情の間で非常に葛藤がある」ーなどなど。赤裸々な思いに接し、〝白衣の天使たち〟への幻想が、〝身勝手な患者たち〟の甘えであることも、思い知らされた。(2021-9-14)

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[3]感受性の浪費へ華やかに筆が踊るー三島由紀夫『アポロの杯』を読む/9-10

三島由紀夫没後50年を記念する一連のテレビ放映。その一つとしてのNHKBSの『今夜はトコトン三島由紀夫』(8-13)を観た。登場するパネラーに新鮮さを感じたこともあり、見応え十分だった。平野啓一郎、佐藤秀明、宮本亜門、ヤマザキマリ、宇垣美里、ハリー杉山(司会役)の6人。この番組後半で、それぞれが三島の著作からの〝一推し〟をあげるコーナーがあった。『金閣寺』『奔馬』『午後の曳航』『不道徳教育講座』『美しい星』と、私にとって読み方の浅深は別にして、これら5冊は既知のものだった。恥ずかしながら存在すら知らなかったのが『アポロの杯』(『三島由紀夫紀行文集』所収)だった。読み終え強いインパクトに圧倒された★1951年末に三島が南北米大陸から欧州へと、4ヶ月ほどかけて初の海外旅行をした際の紀行文である。戦後の米国による占領が続く状況下。未だ一般市民の海外渡航は許されず、知人のつてを頼って新聞社の特別通信員というかたちをとった。時に26歳。かつて幕末期(万延元年)に、福沢諭吉が遣米使節団につてを頼ってもぐり込んで初の海外渡航をした(4ヶ月ほど)時の年齢が25歳で、ほぼ同じ。片や敗戦後の日本が復興に向かう前夜、片や日本近代化の夜明け前。自由気ままな個人の旅と、曲がりなりにも通商条約批准のための幕府使節団の随行員の旅。三島と福沢ー似て非なる二人の船旅をつい比較してしまう誘惑に苛まれた★三島の少年時代は、決定的な病弱の中で異常なまでの感受性を研ぎ澄ます揺籃期。早熟な三島はこの旅の時までに、通常の作家、文学者の域を遥かに超えた創作活動を展開した。その後の自決に至る20年を思うとき、この旅は彼の人生のスプリングボードだったように思われる。「感受性を濫費し」「すりへらしてくるつもり」だとの、旅への意気込みの十分過ぎる披歴に、読むものは身構え続ける。とりわけ、「希臘(ギリシャ)は私の眷恋の地である」で始まる「アテネ」編はあらゆる意味で際立っている。「無上の幸に酔って」三島は、「筆が躍るに任せ」て、「今日ついにアクロポリスを見た!パルテノンを見た!ゼウスの宮居を見た!」と、〝らしくなく〟はしゃぐ★「一生のうち二度と訪れるであろうか」とまで言う三島は「絶え間のない恍惚の連続感」に浸り尽くす。並の感性しか持たない私など、三島の類稀な「希臘礼賛」に接すると、つい〝ひねくれ心〟が頭をもたげる。そんな国が欧州のお荷物と見做されるほど、今冴えないのは何故かと。かつて、ローマの地で作家の塩野七生に会い、イタリアの今昔を比較して同じような問いかけをしたことを思い出す。芸術家の鋭過ぎる感性への、凡庸極まる政治家の嫉妬がもたらす愚問であろうか。諭吉から三島へ、繋がるものは、ただ一つ。西洋文明、その思想に翻弄されない〝自主独立の日本〟へのあくなき渇望である。ゴールは未だ水平線の彼方に霞んで見えない。(2021-9-11一部修正 敬称略)

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[2]中道主義との比較に思い馳せるー西部邁『福沢諭吉 その武士道と愛国心』を読む(続)/9-5

「諭吉論」は前回で終えたつもりだったのだが、続編を。というのは1999年12月発刊のハードカバーは文藝春秋社のものだったが、中公文庫本(2013年6月)には評論家の中野剛志による「解説」が付いており、これがまた滅法面白く読ませる。これに触れてみたい。「マージナル・マンの『痩我慢』」と題する10頁のものだ。西部邁主宰の「発言者塾」の塾生だった中野は西部塾長との逸話を織り込み、「諭吉による西洋文明批判」の面白さなどを全面展開する。30年ほど前の「IT礼賛」花盛りの時代に、西部が「明治の昔も平成の今も、まったく変わらないね」と、「西洋盲信」を笑っていたと紹介する。これは令和になった今も基本的に変わらない。その挙句、この分野で日本が米欧のみならず中韓の後塵すら拝して慌てている現実は笑うに笑えない◆中野はこの「解説」で、西部による「福沢理解のための3秘訣」を示す。❶社会学者と見なす❷「マージナル・マン(境界人)」の視座で見る❸精神の様式を「武士道」として見る。どれも新鮮な切り口である。武士道とは、「死ぬ事」と「好いた事」との「二つの方向のあいだでバランスをとる生き方」であるという。この位置付けには唸らせられる。「臨終只今にあり」を常に意識した上で、同時に今を楽しむ生き方に通じるといえようか。「死ぬほど好きだ」との表現を下世話でよく聞く。その都度、矛盾を感じてきたが、福沢諭吉を西部邁を通して、中野剛志の「武士道解説」で読むとよく分かったような気がしてしまう。さて、それをまた、私の読後録で読まれた貴方はどうだろうか。わけわからんということではないように祈る◆さて、この「解説」は、福沢の『痩我慢の説』に関連付けて、西部の振る舞いは「左批判」だけでなく「右批判」にも及ぶことを明示していて興味深い。保守思想家・西部邁は、西洋思想に目が向きすぎであるとし、右勢力が「日本思想の伝統に回帰せよ」と批判してきたことを取り上げているのだ。極め付けは、「武士道の伝統は、精神の平衡を保ちつつ最高の義を目指す緊張した姿勢の『形式』のこと」だとし、「『実体』としての伝統を手に入れて安心したがる浪漫主義者は『伝統』ではなく、単なる『古習』に『惑溺』する」存在だとするところだ。この辺りの記述は、「福沢、西部、中野」三者一体の様相をもって読者に迫ってくる◆ここで、「真正・中道主義者」を自負する私は、この三者の目にどう映るか、が気になる。西洋文明批判を専らにし、伝統的日本思想にも厳しい眼差しを持ってきてはいるが、中野に「西洋と日本の境界線に立った者だからこそ、『西洋的なもの』と『日本的なもの』の双方の臨界を見極めることができる」と断じられると、いささかの動揺を禁じ得ない。これとは似て非なる「境界線上」に立って、常に「精神の転落死」の危機に彷徨う自分であってみれば、無理もないと自己弁護する気にもなろうというものである。我らの「中道主義」こそ、直接福沢諭吉に列ならないまでも、同種の指向性を持つ存在であると自覚したい。(2021-9-6 敬称略)

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[1]左右双方から祭り上げられた〝謎の巨人〟ー西部邁『福沢諭吉 その武士道と愛国心』を読む/9-1

 この本を読むまで、分かったような気でいた「福沢諭吉観」が音を立てて崩れた。近代日本を代表する合理主義者であり、個人主義、自由主義の開祖的存在といった見方を「それほどつまらぬものはない」と西部は切り捨てる。同時に、その「精神の構え方を凝視」すれば、むしろ「武士、儒者、愛国者」の側面を持つ明治人像が浮かび上がってくるという。これだけを読めば、真正保守主義者・西部邁特有の〝我田引水的論法〟に思えてこよう。サブタイトルの「武士道と愛国心」は、近代ヨーロッパ思想に習熟し、その輸入に尽力した諭吉とは、いささか縁遠いものとの思い込みが誰にも漠然とながらあるからだ◆なぜ誤った見方が流布したかについて、西部は「境界人(マージナル・マン)」というキーワードを提起して読み解く。「良識・常識」によって培われたオリジナルな思想を持つ諭吉は、「二つの異なった領域のあいだの相克の模様を眺めることを通じて」、両者の本質的差異を見抜く力を持つに至った、と。私の理解では、例えば神道、儒学や仏教などによって形成された日本固有の思想と、キリスト教、ギリシャ哲学などによって作り上げられた近代ヨーロッパ思想の双方を、境界線上の位置から、諭吉は両者を的確に把握したということではないか。この観点から西部は、既成の領域に捉われた人々の愚を徹して暴く◆その血祭りにあげられているのが、丸山真男である。この人の『「文明論之概略」を読む』(昭和61年)を俎上に載せて、「濃い色眼鏡で、しかも左眼だけでみた諭吉像に過ぎない」「自分の好みに合わせた一面的かつ単層的諭吉像」などと、全編至る所でこき下ろしている。かつて私も新書版3冊からなるこの本と格闘した。いわゆる戦後の進歩的知識人の代表格とされてきた丸山をかくほどまでに論理的に貶めて、小気味いいまでの切れ味を示した書物を私は知らない。西部の論理展開は少々分かりづらい表現もあり、一般には難しいものの、一連の批判部分は読みやすく納得させられる◆西部は、日本が20世紀全般を通じて、「ナショナリズムの過多(国粋主義)とナショナリズムの過小(欧化主義)のあいだを落ち着きなく往復してきた」と位置付ける。そして、その原因こそ、福沢諭吉に見る平衡感覚が理解されてこなかったからだと結論づける。最もポピュラーな名前でありながら、その何者であるかが遂にいわば謎のままに終わっていることを嘆く。結語の「批評家」は、「臨界人」を巡って極めて示唆に富む論点が披歴されていて、興味は尽きない。慶應義塾で学んで半世紀が経つ私だが、その全人像を知り得る入口に漸く立った。(2021-9-1)

※前号で、ブログ読書録『忙中本あり』は通算400回を迎えました。今号より、毎回ナンバーを振って、当面は100回を目標に、通算500回を目指します。

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(400)戦後民主主義への弔鐘ー西部邁『中江兆民 百年の誤解』を読む(下)/8-22

兆民の本でもう一冊挙げるとすれば『一年有半』に違いない。西部も「死の意味を求めて」とのサブタイトルを付けて、取り上げている。これへの評価で最も辛辣なのが、正岡子規。「平凡浅薄」で、「要するに病中の鬱晴らし」の代物だと切り捨てる。それに対し西部は、「関心の赴くところ、何についてでも書いておこう」という「『拙いとはいえ真情溢れる』兆民の「仕事であった」として優しく寄り添う。誰しも晩年には「いかに死ぬか」を考える。思いつくまま気の向くままに、遅れてきたる人生の後輩たちに書き残したいとの思いは私にもあり、大いに共感できる▲一方、兆民は最後の作品『続一年有半』で、「無神」「無霊」「無(意思)自由」ーこの世に神も霊も、意志の自由も何もないということかーを断言した。これにも「陳腐なことこの上ない道徳観にすぎない」との世評が専らであったという。しかし、西部はむしろ「明治の激動期に直面した知識人の日本人」や、とりわけ「武士道の残影のなかに生きた世代」の「立場が鮮明に打ち出されている」と、肯定的な評価を与えている。尤も、現実には、この時代誰しもハイカラならぬ「『灰殻』でしかない西洋化」に靡くだけ。「西洋の根底にあるキリスト教的な価値観を批評の俎上に載せ」ようとする知識人は皆無に近かった▲江戸から明治へと時代が急展開する中で、全ては西洋的なるものの吸収に躍起となった。兆民も西洋の哲学を漁り、その真髄をルソーの『民約論』の中に求めた。と同時に、強硬な明治政府批判を繰り返した。人々は彼をして単純に「自由・民主主義者」と見立てたのである。西部は、その誤りを徹して暴き出す。「西洋」を至上のものとして、日本の思想的伝統をかなぐり捨てた時代。その風潮に、真っ向から立ち向かったのが兆民であり、「真正保守」の人を見誤るな、と▲先の大戦から70猶予年。アメリカに叩き潰され、骨の髄までそのキリスト教的価値観に翻弄されてきた日本。戦前の70猶予年は、それこそ批判の俎上にも載せず、棚上げしてきた。一転、戦後は棚卸しするが早いか拝み奉るに至った。「戦後民主主義」の名の下に。西部はそれに刃を振るいまくった。この本でも、兆民を見誤ったことに全てに狂いが生じる原因があったかのごとく掩護する。▲「民主主義の限界」が公然と語られる現状下にあって、今日本人が気づくべきは何か。西部は自らの後半生を振り返り、「精神的荒野を彷徨い歩いて」きた「『存在』としてはほとんど無の老人」と遜る。この時点から5年後、彼は自死へ。この兆民論は、諭吉論と並び、遅れて来る者たちへの遺言の側面が強い。が、それにしても妙に哀れを催す。この辺り、更に考え続けたい。(2021-8-22) Continue reading

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(399)この先達を見誤った果ての無惨な日本ー西部邁『中江兆民 100年の誤解』を読む(上)/8-16

コロナ禍のお盆も過ぎた。この夏に入った頃から西部邁のものに取り憑かれている。福沢諭吉論と中江兆民論の2冊である。諭吉のことを語らせてこの本の右に出るものはない、と誰かが書いていたのを読んだのがきっかけ。打ちのめされる思いだった。慶應義塾に学び、諭吉については思い込み、入れ込み、惚れ込みがあった。だが、それは実像を見誤った結果かもしれぬと思い知らされた。で、その本の中に、次に兆民を書くとの予告があった。諭吉との類似性ー現代人の誤読ーに触れられていると知った。これまた衝撃的だった。というのが「西部劇場」に嵌った経緯だが、まず、後者から取り上げたい◆兆民といえば、ルソー『社会契約論』の訳者であり、『三酔人経綸問答』の著者として知られる。この『問答』は妙に面白かった。三酔人とは、洋学紳士君(民主主義的な理想家)と豪傑君(国家主義的な現実家)と南海先生(主人役の常識人)のこと。兆民ファン文化人(河野健二、桑原武夫ら)は、主人=兆民と見ず、ニ客の思想に分散されていると見ており、西部はこれを誤解だと指摘。兆民を「反体制の元祖」としたい彼らにとって、漸進的改良主義者の南海先生とはみなしたくないからだ、と。西洋思想の本質を見抜いていた兆民。その視点を色メガネで見た文化人を完膚なきまで否定する西部。この背後には真正の保守主義者たる西部ゆえの卓見があると思われる◆私はこの本を読んだ当時、社会党、自民党、公明党の三党リーダーの議論だと勝手に見立てた。身贔屓が過ぎると思わないで欲しい。〝自社55年体制打倒〟を目指す中道主義の真骨頂ここにあり、と思い込んだものである。自社両党に共通するのは、西洋思想に立脚している点にあり、非武装中立的理想論と軍事力拡大指向の現実論は共に誤りだ、と勢いこんだ。領域保全に限定した〝針ねずみ型防衛〟に徹して、漸進的に改革を進める公明党こそ時代をリードする存在だ、と。この見立ては本質を衝いているものと自負する思いは変わらない。昨今のスタンスはやや不本意なところはあるものの、身をやつした姿は本願成就を一時棚上げしたものと勝手に理解(誤解?)している◆本題に戻す。西部は世に跋扈してきた戦後民主主義、誤れる西洋思想受容を根底的に破壊する旗手として生き、思いを成就出来ぬまま自死を選んだ。被誤解者二人ー「諭吉と兆民」に対する情愛の籠った比較、『一年有半』にみる死の意味の捉え方など、大いに興味を惹く。兆民の破天荒な振る舞いぶりを、明らかに西部は意図的に模倣した部分があると私は見る。この本で最も共感したのは次のくだり。「兆民の死後から四十四年後、大東亜戦争の大敗北で腰を抜かした日本民族は、良識の中心になければならぬナショナリズムの一片をすら保持することをせずに、最悪の西洋化に適応してきました。つまり、歴史意識の決定的に不足している『ウルトラモダニズムとしてのアメリカニズム』、其れが二十世紀後半からの日本列島における列島人の精神が滑り落ちていくしかない勾配となったのです」ー嗚呼。(敬称略 この項つづく 2022-8-16)

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(398)日本の来し方と未来を抉るー兼原信克『歴史の教訓「失敗の本質」と国家戦略』を読む/7-25

著者の狙いは、近代日本の勃興から敗戦による滅亡までの日本の来し方を、世界史の中で眺めて、そこから教訓を得ること。もう一つは、将来の日本のために、普遍的価値観に基づく誇りある外交戦略を組み立てること。失敗の本質を歴史から汲み取り、これからの国家戦略の構築に活かそうという意欲的な試みだ。興味深い〝歴史の余滴〟やら〝歴史の皮肉〟など、読み応えある面白くてためになる記述が満載。ここでの「歴史の教訓」を多くの青年が拳拳服膺すれば、現代日本の知的レベはぐっとアップすることは間違いないと思われる▲故岡崎久彦氏(外務省出身の外交評論家)を「敬愛する」著者は、その死の直前に「何かを託された」との思いを抱いた逸話を明かす。私は、岡崎氏との私的勉強会(新学而会)の末席を汚し、晩年の同氏の謦咳に接した。一読者として殆どの岡崎作品を読んできた者として、弟子ともいえる兼原氏の、この論考に刮目する。大使在任中に周りの眼を気に留めずひたすら書きまくった師匠に比し、退官後に満を持して筆をとった弟子。師の所産を弟子が血肉化した〝師弟の二重奏〟に惹きこまれる▲元衆議院議員として気になったくだりに触れる。「東西ドイツの分断が、ドイツを空想的な平和主義に籠ることを不可能にした」と論及。あいも変わらぬ55年体制下にあるような議論が繰り返されている日本との比較が厳しい。「拡大核抑止の内容を真剣に議論出来る日本人の数は限られており、日本人一般の軍事リテラシーも著しく低いままだ」と残念がる。「政府による日米同盟強化の動き」が「混乱と政局」を招きかねず、自衛隊の動きを巡って「イデオロギー的な議論がなされている」現状への懸念が強調されている。現場を離れて8年。〝変わらぬ風景〟に溜息を否めない▲ただ、「集団的自衛権」の〝変形導入〟に多大の犠牲を払って貢献した公明党からすれば、「そう急ぎなさんな」との思いも。内政、外交・安保両面で「55年体制打破」に挑戦してきた者として、後輩たちの「あと一歩」にー多少の自嘲を込めつつー期待したい。著者は「価値の日本外交」戦略の構想をめぐる最終章で「日本単独の国力には限界がある。国際協調の中でのリーダーシップだけが、日本が今世紀に世界の中で輝く道なのである」と結論づける。だが、深まる一方の米国の分断化の見通しや、国際秩序変更への中国の露骨な意図についての分析に物足りなさが残る。(2021-7-25)

 

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(397)〝霧にむせぶ城〟に掻き立てられる想像力ー奈波はるか『天空の城 竹田城最後の城主 赤松広英』を読む/7-18

 

著者のあとがきを真っ先に読んで驚いた。初めて竹田城の存在を偶然とある駅で見た雲海に浮かぶ城跡のポスターで知って興味を持ち、京都から現地へ。不思議な城跡と城主の魅力に惹かれ、数年かけて初めての戦国時代ものを書いたという。そんな簡単に時代小説が書けるものかと半ば疑う気持ちと、我が兵庫の生み出した〝幻の名城〟への興味とが相俟って、読み進めた。この本を読むきっかけは、岡山に住む読書人の先輩・日笠勝之氏(元郵政相)が、ご先祖ゆかりの人の本を読んでみてはと、送ってきてくれたから。かの赤松円心則村から数えて10代ほど後の武将・赤松広英が主人公。龍野城主だった政秀の息子。鳥取城攻めの後、家康によって自刃させられた竹田城主ーそう言われても、播磨守護職だった赤松の系譜では、「嘉吉の乱」の満祐ぐらいしか知らない。私には苗字が同じだけの未知の歴史上の人物。それでもご先祖様の足跡を辿るような錯覚を持ったのだから、名前とは妙なものだ▲「天空の城」とは竹田城の異名。まるで雲海の中を進む飛行機を思わせるように、城跡が霧のなかに浮かぶ。一度はその風景を直接見たいものと思いながら、写真だけで未だその機会はない。幾たびも下から見上げ、往時を偲ばせる小高い山頂にも登ったものだが。「雲海はうねりながらものすごい速さで左から右へと流れていく。頭上の雲が切れて青空が見え始めた。(中略)見ていると、雲海が少しづつ沈んでいくではないか。あそこに竹田城がある、というあたりの雲の塊が下がって、城が姿を現した」ー城主となって初めて国入りした広英が、城を対岸の山の中腹から眺める場面だ。もとをたどると、円山川から発生する霧がみなもと。雲海より霧海と呼びたい▲「天下泰平」を夢見る広英は、城下の農民たちと心の交流を度重ね、名君の名をほしいままにする。この小説は但馬、播磨をベースに、主に秀吉の天下平定への戦の数々を、広英の立場から追っている。戦国ものの体裁をとっていて、初めての気づきも多々あった。加えて、秀吉晩年の朝鮮出兵に伴う葛藤は、時代を超えて改めて無益な殺生だったことを思い知らされる。人間の一生への評価は、棺を覆うてから定まるとの思いを新たにした。更に、婚礼の儀の細やかさや、琴を弾き笛を吹く場面などに、女性作家らしい優雅な視点を感じたことは言うまでもない▲姫路城の城下で育った私には、今住む街にある明石城などは、天守閣がないゆえ、およそまともな城と思えない。どうしても壮大で華麗なそれと比較してしまう。まして竹田城は天守閣はおろか城の痕跡は石垣に残るだけ。しかし、それゆえと言っていいかどうか、観る人間の想像力を掻き立てる。ましてや〝霧にむせぶ城〟とは、まことに泣かせてくれる。この小説の作家・奈波さんは400年あまり前の時代に遡って、平和な楽土を夢見る為政者と一般人の、えもいわれぬ二重奏に誘い込む。「兵庫五国」と言われる中で、丹波・但馬地域は観光で気を吐く地域でもある。竹田城は、城崎温泉や丹波篠山の古民家などと並んで人気の的。コロナ禍前にはうなぎのぼりに観光客が増えていた。竹田城をNHK大河ドラマに、との運動もあると聞くだけに、この小説はもっと活用されていいのではと思うことしきりだ。(2021-7-18)

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(396)棚上げされてきた「平成の国防」ー兼原信克 編『自衛隊最高幹部が語る 令和の国防』を読む/7-13

去る6月5日に配信された、朝日記者サロン『せめぎ合う米中〜日本の針路』なる対談をネットで見た。朝日新聞政治部の倉重奈苗記者の司会で、兼原信克・前国家安全保障局次長と笹川平和財団上席研究員の渡部恒雄氏が解説する試みだった。現役時代の番記者の一人で、中国特派員も経験した旧知の同記者からのお勧めだったが、中々の知的刺激を受けた。その際、兼原氏の発言で二点興味を唆られた。一つは、昨今の中国の台頭の背景には、西側諸国の没落が始まったとの認識があるとの見立て。もう一つは、戦後日本の生き方に外務官僚として責任を自覚していると読み取れたこと。この二つから、彼の著作を読もうと思い立った▲表題の本は、正確には陸海空の3自衛隊元幹部の座談会で、兼原氏は司会役。普段は殆ど聞くことのない自衛隊の本音が伺え、滅法興味深い議論が続く。とりわけ、陸海の元幕僚長が「領土と国民を守る」戦い方の相違を巡って、激しくぶつかるくだりは生々しい。異文化のもとに培われた両組織の差異が、映像で見るようにリアルに迫ってくる。この二人は同期で、空自の元補給本部長は少し後輩。人選の巧みさが光る。ここでは、「平成の国防」を国会議員として論じてきた立場から、正直な受け止め方をほんのさわりだけ披露してみたい▲ここでの議論の前提には、中国は「力による現状変更を躊躇しなくなった」との認識がある。台湾と尖閣の有事は同時に起こるーその時に自衛隊は本当に国土、国民を守れるか。日米同盟は機能するのか。国民に備えはあるのか。兼原氏が「3名将」の奥深い戦略眼を引き出し、自らの歴史観を織り交ぜての展開は微に入り細にわたる。例えば、台湾に対して「日本の防衛装備を売って、同時にメンテナンスやトレーニング、更には空港、滑走路、港湾、道路などの軍事施設の公共事業も一緒にやってあげられるといい」との提案を示す。と同時に、これらのこと(軍民共用施設の建設)でさえ、日本は「平和主義のイデオロギーに縛られて」難しいとの現状を明かしている。このため「いっそ防衛省の能力構築支援の予算の方を拡充して」、防衛省直轄でやるといい、とまでいう▲8年前まで国会の現場にいた私としても全面的に首肯せざるをえない実態であった。だが、昨今の中国・北東アジアの情勢認識は変化を余儀なくされている。国会はコロナ禍対応一色だが、こうしたテーマを含めて関係委員会で、しっかりした議論を着実に深めていくべきではないか。この座談会では「専守防衛の日本は列島に閉じこもっていればいい」との議論が「国防」の妨げとなっていると随所で強調されている。確かに、私は「領域保全能力」のもと「水際防御」をすれば、平和を実現出来るとの考え方を持っていたし、今もこだわりがあることを認めざるをえない。同時に、「平和外交」の展開が欠かせないとして「外交」に責任を転嫁したことも。(2021-7-13)

 

 

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