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(291)病院か在宅かの二つの神話ー小堀鷗一郎『死を生きた人びと』を読む

作家・森鷗外の孫である小堀鷗一郎さん(81歳)は、40年間大学病院・国立医療機関に勤務し、外科医として主に食道がん患者の「救命・治癒・延命」に取り組んできた。65歳で定年退職し、埼玉県新座市の堀ノ内病院に赴任。3年近く経って偶々同僚から引き継ぐかたちで、往診に携わった。それがきっかけで以後15年近く「在宅医療」の世界に。この本『死を生きた人びと』は小堀さんが診てきた355人の患者の死の記録である。42の事例と様々な引用文を使って、基本的には「事実の断片をコラージュしていくという方法」で、自分の体験をまとめた(昨年刊行)▼42の「日々の切れはしからなる生きた物語」は、私たちが普段は頭の外に追いやってる「死」をリアルに身近にさせてくれる。厳然たる事実が研ぎ澄まされた文章で淡々と披瀝される。流転する「生老病死」の、それぞれの段階によって、受け止め方に差異はあろうが、「望ましい死」とは何かを考えさせられる。「自分は死なない」と思っている現代人を、正気にさせる格好の「指南書」だ▼「家か病院か」ー死を迎える場所は大いなる選択である。かつては自宅で最期を迎える人が殆ど。それが1975年頃を境に逆転した。今では病院・診療所での「ご臨終」がほぼ全て。その背景には、三側面が。迫り来る死を認識しない患者や家族。「死は敗北」とばかりにひたすら延命に立ち向かう医者、病院。老いを「予防」しようとする行政と社会。1992年いらい在宅医療の流れが起きた。ほぼ10年前から転換策が次々講じられてきた。だが、未だハード面のみ。病院神話と在宅神話の双方の実態を冷静に説き、著者は「患者と家族にとって望ましいかどうかの総合判断」と結論づける▼「ピンピンころり」の理想に向けて人は生きる。だが、現実は「ねんねんコロリ」の落し穴が至る所に。自分の決着をどうするか。妻や親をどう看取るか。若き日ーウイスキーをひと瓶開けたのちの、奈落の底に陥る我が身のあの感覚。あの恍惚感。そこからの脱却を図るべく駆け抜けた50年。今日もこれでいいか、と端座して考える日が続く。(2019-1-16)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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(290)自覚したものが立ち上がれー江崎禎英『社会は変えられる』を読む

約20年前に書かれた森嶋通夫『日本はなぜ没落するか』を読んだが、その後の日本が没落過程に入ってることを改めて噛み締める思いだ。見事な分析とその的中ぶりには恐れ入るしかなかない。戦後生まれの最先端を走って来た私としては、団塊の世代及び、その前に位置する人間の責任を痛感せざるを得ない。戦前世代の労苦とその所産を引き継ぎ損なって、「アリとキリギリス」の喩えに見るような体たらくを現出させた罪は大きい。この点に関し、昨年末に、首都圏に住む私の甥っ子たちとの懇親会の場でも大いに感じさせられることがあった▼40代半ばの薬科大学准教授と30代後半のIT関連起業者の二人は口を揃えて、今の日本には愛想を尽かす他ないという。彼らの世代にとって明日に抱く希望が感じられず、誇りを持てず、どこか異国の地に行きたいとさえ口にして憚らない。その際に話題になった本が江崎禎英『社会は変えられる』であった。この著者は経産省の役人。「か」の疑問符つきでなく、「る」と言い切ってるところがこぎみいい。日本の社会保障の明日なき厳しい実態に触れたあと、処方箋とご自身の現実の闘いぶりを描いていて味わい深い▼著者は、経産省から岐阜県庁に出向した時代に二つの大きな仕事に携わった。一つは、外国人労働者問題。もう一つは、福島原発事故の被災者対応問題。前者は、同県に住む日系ブラジル人たちがリーマンショック時の生活苦から、帰国を希望する者が続出したことから起きたそれへの支援を巡っての戦いである。ドラマチックな展開は手に汗握る。後者は、被災者支援を手探りで行った際の体験である。 受け入れ住宅施設に浴槽がないことがわかって、急遽長良川温泉への受け入れを実現するまでの苦闘。その努力に心打たれる▼そして再生医療をめぐる法制度の改革についての地道で粘り強い努力にも頭が下がる。尤も、途中経過における厚労省と経産省の対立を巡っては、悪玉、善玉風の描き方が少々ステロタイプに映るが。だが、結果として、この分野では世界最先端の法制度を持つ国との評価を得ているとあっては、細かいこととして目をつぶろう。著者は結論として、「日本が世界が憧れる素晴らしい国として、次の世代に引き継ぐための取り組みを今から始めましょう」と訴えている。高級官僚をめぐるマイナスの話題が多い中で爽やかな印象を受けるいい本である。平坦な道ではないが、その必要を自覚した者から立ち上がる他ない。(2019-1-10)

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(289)リアルなき無惨な救済策ー森嶋通夫『なぜ日本は没落するか』を読む

今年から読書録は短くしたい。これまで2000字ほどだったが、長すぎて読めないとの不評もあり、グッと縮める。新年のトップは森嶋通夫『なぜ日本は没落するか』を。この本は21世紀を迎える直前に書かれた。2050年に照準を合わせて、ズバリ没落すると予言している。とっくに読んだ人も多かろうが、20年経って予言の正否を振り返るのも面白い▼没落の理由は、精神、金融、産業、教育の荒廃にあるとしており、いちいちごもっともと思わせる。とりわけ手厳しいのは政治家に対して。これは全く正鵠を射ており、ぐうの音も出ない。ただ、この本の鋭いところは、ここまで(荒廃の因をたどる作業は得難い)。残念ながら、ではどうするかという処方箋と、その見立てが全くいい加減と言わざるを得ないほどの出来具合だ▼ただ一つの救済策として、「東北アジア共同体」案をあげているものの、その理由の一つとして「日本人はもっと中国の江沢民主席や韓国の金大中大統領を信頼すべきだ」としているくだりにはいささか呆れる。 「江沢民の13年」と言われる反日教育の元祖や、今の文在寅大統領の容北政策の範たる人を、持ち上げているようでは。この構想は、かの鳩山由紀夫元首相も掲げていたことを見ても、そのリアルのなさがわかろう。理想と現実の違いをかくほどまでも取り違えている人は珍しい。それにしても、森嶋さんは、英国一辺倒で、その推奨の度合いたるや、これまた呆れるほどだ▼今年頂いた賀状で、大前研一さんが、ご自身、平成のはじめに「平成維新」運動を起こしたもののなすことなく失敗の憂き目を見たことを反省しておられた。だが、その一方で、日本は数百年はズルズル落ちると指摘したことは当たったと誇っておられた。森嶋さんも今健在なら、没落するっていった通りだろうといわれるかも知れぬが、「ただ一つの救済策」とされたものは見るも無惨な結果である。大前さんの「平成維新塾」と森嶋さんの「東北アジア共同体」構想。かくほどまでに日本立て直しは難業であるいう他ない。(2019-1-4)

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(288)価値観変えた武士の登場ー中公新書編集部編 倉本一宏『日本史の論点』第1章 「古代」編を読む

日本史のうち古代は好き嫌いの差が大きいように思われる。古代ファンは私の周りにも少なからずいるが、私自身は苦手である。だから、この本もとっつきやすい後ろの現代から前へ逆に読み進めてきた。単に食わず嫌いなのだろうが、遥かなる昔のことに私の貧弱な想像力が及ばないからだとも思う。小説でもSF小説は馴染めない。要するにリアルがないものには手が伸びないのだ。だが、ぐるっと回って元に戻って「列島の形成から六世紀までの概要」を再び読み返すと、かなりわかってはきた。ただ、自分の理解力の拙さを棚上げにして、著者の著述ぶりの難解さが気になる。もっとわかりやすく書いてくれ、と。かつて古代史における天皇の描かれ方で、皇室の血塗られた歴史やその出発点の在りように疑問を抱いたというナイーブな私だが、この本でもあんまり克服できたとは言い難い■論点1はご存知のテーマ「耶馬台国はどこにあったか」である。様々な論争の末、近年になって「纏向遺跡の発掘調査の進展、また最初の倭王権盟主墳である箸墓古墳の年代を卑弥呼の次の世代くらいに遡らせるようになったこと」で畿内説が優勢だという。だが、倉本さんはその説に与せず、現在の久留米市、八女市、みやま市近辺地域で、環濠集落遺跡が発見されれば、との条件付きで、「そここそが耶馬台国の可能性が高い」としている。その推論に至る経緯を丁寧に説いているのだが、最大の根拠は「そもそも、纏向遺跡が耶馬台国だとすると、この巨大遺跡が三世紀になって突然出現した意味が解けない」し、それまで卑弥呼たちが別の場所にいて、そこから「集団で纏向に移住したと考えるのは無理がある」ことを挙げている。加えて、有名な『魏志倭人伝』の距離記載を巡っても、「筑紫平野の南部のどこかに落ち着く」との結論を導き出していて、無理なきように読める。この所在論は、著者が言うように、それにのみ「議論を集中させるのは生産的なことではない」と分かってはいるものの、ミステリーじみて面白くはある■論点2は「大王はどこまでたどれるか」なのだが、この大王なるものの説明がなく、わかりずらい。天皇のことを指すのだろうが、あまりこの表現は馴染みがない。この辺り、要するに不明な、謎めいたことが多くて、よくわからないというのが歴史家にとっても本音だろう。「確実にたどれるのは継体大王」と言われたところで、当方は頭を抱えるしかない。論点3は、「大化の改新はあったのか、なかったのか」。あったものと思い込んできた私など、「大化の改新否定説」なるものに驚く。著者によると、1980年代後半には歴史学会、「特に関西では強かった」というのだが、曖昧なままで、問題の立て方がひと騒がせだと思う(この辺は編集者の責任かも)のは私だけだろうか。論点4の「女帝と道鏡は何を目指していたか」でも、 核心に迫る記述は読み取れない。辛うじて一般にこれまで道鏡=悪僧説が強かったが、近年は研究も進み、道鏡=学僧説が強まっているという辺りが関心をひく程度だ。「女帝と不適切な関係があったわけではない」というくだりには、なぜそんなことがわかるのかなあ、と苦笑いを禁じ得ない■論点5の「律令制の崩壊」と論点6の「武士の台頭」は連関性を感じさせ、いささか興味を惹きつけるものの、やはり読み物としては退屈である。このように次々とあげつらうことは本意ではないが、学術書でなく一般大衆向けの新書なのだから、もうすこしサービス精神を発揮して欲しい。だが、最後の最後に俄然面白くなる。武家が中央の政治に影響力を持ち、政治の中心に座ると、「日本の歴史は途端に暴力的になって」、「自力救済(=暴力主義)を旨とする武士の世の中を迎え、まったく異なる価値観の国になってしまった」という著者の嘆きが沸々とたぎってくるくだりである。「武士的なもの」が主流になって、「古代的なもの」「京都的なもの」「貴族的なもの」が傍に追いやられた、と。そして、「草深い東国の大地を善」「腐敗した京の都を悪」とする地域感が今に至るまで生き続けている、と慨嘆しているのは興味深い。この指摘、日本史における東西の印象を極端に戯画化して捉えているように思われ、面白い。これは東国を遅れた哀れな地域、京を先進的で恵まれた地域と見る地域感と裏表をなすと、皮肉りたくなる。このような展開をもっと前に出してくれると、古代史もぐっと読み応えが出てくると思うのだが。(2018-12-30)

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(287)日中の命運分けた蒙古襲来ー中公新書編集部編 今谷明『日本史の論点』第2章「中世」編を読む

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(286)迸る米国人の本音ーR・D・エルドリッジ、K・ギルバート『危険な沖縄』と『平和バカの壁』を読む

 2018年の沖縄県知事選挙が玉城・デニー氏の勝利で終わったのもつかの間、普天間基地の移転に向けて、辺野古基地の滑走路建設に伴う埋め立て工事が始まった。それに反対する新しい知事の誕生という選挙結果とは真逆の出来事である。この事態が起きる少し前に、私はケント・ギルバート、ロバート・エルドリッジ両氏の対談本『危険な沖縄ー親日米国人のホンネ警告』という本を読んだ。実は著者の一人エルドリッジ氏とは、かつて米軍基地に視察に行った際に会い、色々と議論した間柄である。その後、彼が兵庫県に移転してきて、偶然にも私が友人と共催する異業種交流会で再会した。いらいしばしば会うことに。この間には、ご本人から直接、近著『平和バカの壁』(同じ共著者による)なる本を頂いた。直ちに読んだ。その際に前作の存在も知り、興味を持つに至ったのである。産経新聞系列の出版社名とタイトルを見れば、およそ中身はわかろうというものだが、二冊とも分かったつもりの勘違いを覆させられる刺激いっぱいの本であった■日本人として、安全保障をめぐって米国人から警告を受け、「平和バカ」と罵られて黙ってはいられない。身構えて、ページを繰っていった。エルドリッジ氏とは「沖縄県民の米軍への反発をどう見るか」でしばしば言い合いになる。私の年来の主張は、日本のホストネーション・サポートに対して、米軍側にはゲストネーション・マナーがなさすぎるというもの。それがただされぬ限り、何をしても、どう言っても沖縄の心は変わらない。で、両者の論争は平行線。彼が対談本の中でこの観点のことに触れているかどうかが大いに気になった■最近作で主張するところを、私なりに手短に要約する。紛争発生に対して、戦争で解決する立場を踏襲する米国と、話し合いで解決を図る日本との違いをあげ、手を替え品を替えて、日本の「平和主義」のリアルのなさを強調している。顧みれば、米国との戦争で完膚なきまで叩きのめされた日本は、それに懲りて過去とは全く違う道を歩んできた。米国からすれば薬が効きすぎで、早く正気に戻ってくれというところだろうが、そうはいかない。すぐに暴力に訴える米国式トラブル対処法は日本には馴染まなくなってしまっている。ただ、この本を読むと、米国の論理と本音が極めてよく分かる。その価値を大きく評価したい。一方、『危険な沖縄』についても流石に海兵隊の最高責任者のひとり(外交政策部次長)だったエルドリッジ氏だけに、その主張は明快で鋭い。彼は監視カメラの映像を外部に提供したと見られる事件(基地反対派の境界線不法侵入)で米海兵隊を解雇された。事実を知らせることで、国会始め世の中での議論の整理を狙ったのだが、曲解されてしまった。この措置に彼は承服はおろか、反発し続けている。そんじょそこらの「軍人」ではない筋金入りの強者なのである。沖縄タイムス、琉球新報ー現地での二つの新聞メディアに引き摺られる沖縄世論。その主流は左翼そのもので、いびつ過ぎるとの主張が繰り返し強調され、そこには強い説得力がある■ただ、だからといって、読む者の腑にストンと落ちない。浮かんでは消え、消えては浮かぶ駐留米軍の無法ぶりは一部ではあっても目に余る。これに対する沖縄県民の怒りと悲しみを分かっていないのではないか。米国人には、「民族の悲哀」ともいうべきものに眼が届いていないのではないか、と。米軍の犯罪にはこの本でも触れられてはいる。だが、沖縄における日本人の犯罪に比べてその数が少ないことしか述べられていない。これでは開き直っているように思われる。彼は、東北大震災時に米海軍が展開した「トモダチ作戦」の中心人物。日本にとって得難い恩人であり、日本文化に深い理解を示す有数の政治学者であることをも私はよく知っている。沖縄県民の心を深く傷つけた、心ない米兵の存在を、そして背後に横たわる米沖の差別をもたらす仕組みの実態を、ご存じないはずはない。詮ずるところは「日米地位協定」の漸進的改定に打開の鍵があると思うのだが、この本では論及されていない。せっかくの対談でありながら、画竜点睛を欠くところだと私には思われてならない。(2018-12-24)

【エルドリッジさんとは会うたびに楽しい〝喧嘩〟をしてきました。そばに寄り添う夫人がやきもきしながらも笑顔で聴いていたのが忘れられません。彼は米軍の正当性を一歩も譲らず、私の言うゲストネーションマナーが欠如しているとの指摘にも耳を貸さないできたのです。不都合な「日米地位協定」を変えるべし、との私の立場と、沖縄のメディアは反米左翼姿勢を改めよ、との彼の主張は折り合わぬままです。

 しかし、その一方で、米軍人の不始末で不幸になった女性たちを救済する訴訟活動にも関わるなど、陰で多大なる応援をしてくれていることが後になってわかりました。優しい心に触れて心底から感動しました(2022-5-23)】

 

 

 

 

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(285)「江戸は封建」の誤りー中公新書編集部編 大石学『日本史の論点』第三章近世編を読む

通常、日本史は、古代、中世、近世、近代、現代という時代区分で論じられる。この本でもその五つの章で成り立っている。だが、このところ近世という区分けは不必要だという主張にしばしば出くわす。この本の近世を担当する大石学氏も冒頭から「近代は江戸時代に始まるというのが私の主張である」とし、いわゆる近世を初期近代と捉えて「江戸時代イコール封建社会」という従来の見方から脱却すべき時だとしているのは面白い。かつて劇作家の山崎正和氏が室町時代から日本の近代は始まるとしている論考を読んだことがある。また、つい最近刊行された古田博司氏と藤井厳喜氏の『韓国・北朝鮮の悲劇』なる、痛快極まりない対談本でも「近世はいらない」とお二人が云い放つくだりを読んだばかりである。そのようないらない近世なるものについて、7つもの論点で解き明かしたこの章が、実はこの本で一番読み応えがあった。大石学氏の話の運び方が滅法軽快だからといえよう■近世を否定するということは、江戸期を封建社会と捉えないということでもある。著者は繰り返す。「大名、旗本は強権的・強圧的な封建領主」として「農民に恣意的・抑圧的な支配を行なっていた」のではないことを。ではどういう存在であったのか。「幕府に任命された行政官的・官僚的役割を果たした」傾向が強いというのだ。大名の領地替えである「転封」や、江戸と領地を毎年往復する「参勤交代」がその役割を促進した、と。大名は威張っているようで、じつは「前例主義」と「横並び主義」で、お家断絶を避けるため、できるかぎり個性や独自性を弱め、官僚化していった」との指摘は、なるほどと首肯させられる。映画、テレビのチョンマゲ、チャンバラの古いイメージによる従来の大名・旗本像が思い浮かぶ。これは何のことはない、結局、マルクス主義・唯物史観のもとで培われたとするのだからわたし的には堪らない。高度経済成長が進むにつれて、農村の都市化、都市研究が盛んになっていった。その結果、江戸時代が「土地に緊縛された典型的な封建社会」ではなく、個人レベルでは「身分間移動、地域間移動が行われる流動的な社会だった」ことが明らかになってきたとしている■論点2の「江戸時代の首都は京都か江戸か」と論点3の「日本は鎖国によって閉ざされていた、は本当か」は、比較的論じられやすいテーマで、それぞれ、答えは、「江戸首都論」であり、「鎖国は名ばかり」である。かつて国会で「首都機能移転」が話題になったことにも触れているが、論議に関わったものの一人として関心が改めて呼び覚まされる。また、外国文化をあれこれと取り入れていた江戸期像についてはかなり定着してきており、議論は別れることはないだろう。より興味深いのは、論点4の江戸は「大きな政府」か「小さな政府」かであり、論点5の「家柄重視か実力主義か」の二つの問題提起である。前者は、徳川8代将軍吉宗による享保改革を通しての「大きな政府」が、のちに田沼意次によって「小さな政府」へと舵を切られ、賄賂まみれの金権政治と批判される。だが、経済活性化の効用は大きく、評価は大いに別れる。その後、相次ぐ飢饉で社会不安が高まり、田沼は失脚。松平定信が寛政改革を断行、再び「大きな政府」へと転換する。このように、大小の政府の「揺り戻しを経験しながら、官僚たちを中心に国家の足腰は鍛えられていった」ことを描き、わかりやすい。後者については、著者は官僚制と公文書管理という現代風側面から、見事に時代の様相を切り取っていて実に面白い■論点6は、「平和」の土台が武力か、教育かを、論点7は明治維新が江戸の否定か達成かを問うている。前者は、教育。結論部分に井上ひさしの『國語元年』が取り上げられている。そこで「お国が違うと言葉が通じない」としているのは、「現実とは異なるフィクションである」と述べていて、興味深い。江戸時代に教育の波は北から南までつづうらうらに行き渡っており、平和の土台をなしていたとする姿をリアルに描く。後者は江戸の達成である。ここでの著者の主張は、明治初期と戦後民主化の二つの時期に、「明治維新の革新性」が持ち上げられたとしていることである。そう、二度の欧米文明の寄せる波に慌てふためいた日本は江戸のありかた批判に身を投じてしまった。江戸をけなし貶めることで、明治を、戦後日本を、非常なまでに画期的なものと捉える愚を犯したと言って過言ではないかもしれない。「100年続いた戦国時代を克服し、250年という世界でも稀有な『平和』を実現した」ことにもっと誇りをもつべきであろう。日本の平和が、「合理的・文明的な官僚システムと教育によって支えられ、江戸を中心とする列島社会の均質化ももたらした」ことが強調されている。以上、ここでの江戸見直しは「欧米の没落」と対をなして起こってきた捉え方であることを銘記したい。(2018-12-18)

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(284)早すぎたがゆえの未熟さー中公新書編集部編 清水唯一朗『日本史の論点』第4章近代編を読む

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(283)歴史の謎解きに挑む悦びー中公新書編集部編 宮城大蔵『日本史の論点』第5章を読む

「日本史の謎解きをこの1冊で!」ーこの本は実に面白くて、ためになった。古代、中世、近世、近代、現代と5つのパートに分けられ、全部で29の論点が挙げられている。新聞書評欄で知って、一気に読んだ。但し、前から順にというわけにいかず(古代はとっつきにくいゆえ)後ろから挑んだ。で、この読書録も最終章「現代」から遡ってみる。❶戦後論❷吉田路線❸田中角栄論❹高度経済成長❺象徴天皇制の5つが取り扱われている。論点をあれこれ述べたのちに末尾に掲げられたそれぞれの集約部分が興味深い。❶では、「『戦後』に終止符を打ち、一つの時代として完結させるには、戦後につづく時代を規定し、特徴付け、そして名前を与える作業が不可欠である」という。ただ、「戦後」に終止符を打つためには、この70有余年の連続性を断つ必要がある。それは「米国からの自立」を意味するわけで、到底難しい。つまりは米国支配からの脱却なしに「戦後」は終わらないと私は思う■吉田路線の効用は、軍事力を米国任せにして経済優先に打ち込んだ結果、目を見張るスピードでの高度経済成長を果たしたことである。❷と❹は政治と経済の両面から、同じテーマを論じたとも言えよう。かつて日本は「経済は一流だが、政治は三流」と言われたものだが、今や経済についても政治と見合ったものであるとの見方が定着している。著者は、吉田路線をめぐる現時点での重要な論点は、「『経済大国』に代わる日本のアイデンティティはいかなるものなのか」であり、次の路線を問うものだという。そして経済については、「欧米を念頭に置いた後進性と特殊性の呪縛から、肯定的な『日本モデル』へ。そしてその衰退と、経済を中心とした日本モデルの国際的評価の変遷は、そのまま日本の自画像の投影でもあった」と、まとめている。経済への過信から脱却する具体的方途は、どこにあるか。吉田路線という経済成長のみを追う国作りから代わる路線とは。私は今まで、「ほどほどの軍事力と経済力を兼ね備えた文化・芸術立国」という表現を用いることが多かった。これを分かりづらいというなら、「観光大国」と言い替えてもいい。観光は、人口減社会にあって外貨稼ぎの最有力の道であり、日本の歴史・文化・伝統を外に開く最大の機会だからである■ブームと言われるほど、いま田中角栄論が喧しい。同元首相を巡っては、金権腐敗政治の張本人というレッテル貼りを除けば、私はそれなりの評価をするのにやぶさかではない。ただし、それは彼が米国の虎の尾を踏んだ(ロッキード事件の真相と絡む)と見られることが事実なら、との条件つきである。戦後史の中でたった一人だけの「偉業」であったがゆえに、獄に繋がれるとの「汚名」も違って見えてくるからだ。角栄以後の日本の首相たちがリーダーシップ(度量、裁量の面)で、見劣りするのは否めない。もちろん、中曽根首相は比肩されないかなどといった異論はあろうが、どれも彼の登場前後の破壊力とは比べるべくもない。田中の政治的業績の最大のものが「日中国交正常化」であることは論を待たず、それに関する論評も一点を除き的確だ。惜しむらくは当時の日中関係にあって公明党が果たした役割に全く触れていないのは残念である。自民党の外にあって野党外交の真骨頂を示した政党であるからこそ、今に至って連立政権の一翼を担い得ているとの論評が皆無であるのは不思議という他ない■最後の象徴天皇制に関わる記述は「なぜ続いているのか」との問題提起から始まる。結論部分に、現代日本の「象徴」として相応しいかどうか、「国民の総意」を形成する作業として欠かせぬ論点は、「皇位継承の形と皇室の範囲」だとしていることは興味深い。「結婚した女性皇族が皇室を離れるという現在の制度の下では、秋篠宮夫妻の長男である悠仁親王が天皇に即位する頃には、皇室のメンバーが大幅に減少しているという状況が不可避である」ため、「続くかどうか」は大いなる問題となろう。平成天皇の「予期せぬ譲位」は、全ての国民にとってこの問題を考える絶好の機会得たことになるとの著者の問いかけはずしりと重い。かつて衆議院憲法調査会での「女系天皇」の是非をめぐる議論の場で、私は女性天皇の実現は「男女同権」の観念から当然との発言を行ったものである。尤も「男系天皇」に限るとする論者たちの論難に、これが耐えられるかどうか。いささか心もとないのが正直なところではある。(2018-12-3)

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(282)「民衆の力」呼び覚ますか、天皇のお言葉 ー白井聡『国体論』を読む

明治維新150年の本年、時代を捉える様々な枠組みの提示が見られる。先日私が講演を頼まれた関西学院大学梅田キャンパスでの公開講座では、私は今を生きるうえで押さえておくべき枠組みとして、三つの代表的なものを示した。一つは、日本社会40年周期説、二つは、三度(みたび)の尊王攘夷説、そして三つは、菊から星条旗への国体変換説である。前二者は、これまで幾たびか取り上げて来た。ここでは三つ目のものを紹介したい。これは白井聡『国体論』における画期的な発想による。白井聡氏はまだ41歳の少壮の政治学者。先に『永続敗戦論』で、石橋湛山賞、角川財団学芸賞などを受賞した。一言で言えば、先の大戦で敗れた日本は正面から負けを認めないゆえに更なる敗戦が続いているとする「永続敗戦レジーム』を説くものであった。その論考から一年半、今度はもっと衝撃的なフレームワークの提示である。読んでみて深く感銘した。戦前の菊の御紋による、つまり天皇制のもとでの国体から、一転、戦後は星条旗のもとへと、すなわち米国支配へと国体の主軸が変わったとするものである■といえば、ことは簡単に見えるが、実はそのことを著者は平成天皇の「お言葉」(2016-8-8)から見抜く。そこには「戦後日本の対米従属の問題は、天皇制の問題として、《国体》の概念を用いて分析しなければ解けない」との問題意識が横たわる。お言葉を聞いた瞬間が、この本の出発点となった。安倍首相の思想的同志(日本会議系)と、天皇との「齟齬的関係」は一般的にはあまり知られていない。しかし、深いところでは当然のごとく語られている。この書物ではその背景を丁寧に優しくそして分かりやすく説く。天皇のご公務の在り方を巡っての衝突を見事に解明して見せた、白井氏の直感は鋭い■天皇をめぐる論考は深く切実であり、更にそこから先の分析は、唸らせるばかり。1945年の敗戦を境に、地に堕ちた天皇の権威は、7年間の占領期を経て、いつの間にか米国に取って代わられてしまったとの経緯を克明に追う。かつては鬼畜米英といい、不倶戴天の敵としてきた米国に全てを委ねきって、恬として恥じない日本の現状。およそかつての天皇中心の国家の在りようが、そっくり米国の支配へと移り変わったと言っても過言でないのかもしれない。国の防衛を米国に任せ、経済のみに専念するー「軽武装国家論」といえば聞こえは悪くないが、そこには首根っこを米国に抑え込まれたまま、主権国家とは言い難い半独立国の姿が仄見える。もうそろそろその実態に気付く必要があることをこの本は厳しく問うている■先日の姫路での公明党主催の政治集会で、外務省出身の自民党のY代議士の来賓挨拶を聞く機会があった。吉田茂首相以来の軽武装国家路線の正当性を誇らしげに語っていた。外務省の大先輩が、日米関係の基礎を作った云々と。確かに吉田のとった路線の効用は一度は滅亡の危機に瀕した日本を浮上させた。しかし、それから70年余。日米同盟という美名のもとでの対米従属姿勢のもたらす弊害は目を覆うばかり。戦後民主主義の破綻を私たちは旧日本社会党などいわゆる左翼のせいにしてきた。しかし、もう一方のつがい的存在だった保守の〝無為の責任〟も問われねばならない時が来たように思われる■著者は終章で、「日本人の中で、風を吹かせる役のものは政治家である。しかし、現在の日本にはそういう役割を果たせる政治家は不在であるし、日本の政治屋連には、風を吹かすのが自分たちの義務だという意識は全くない」との経済学者・森嶋通夫が1999年に『なぜ日本は没落するか』で説いた部分を引用している。そして、「日本の右傾化や歴史修正主義の勢力拡大について懸念が表明され」、「(予測は)十分に悲観的であったが、それよりもさらに悲惨な現実がその後の約二◯年の間に急速に展開されてきた」と森嶋の予測の正しさを強調する。この本の末尾で、白井氏は話を再び天皇のお言葉に戻し、そこに「闘う人間の烈しさ」を確信したとして、その闘いの対象を明確に提示することにした本書執筆の由来を明かす。合わせて歴史の転換を画するものは「民衆の力」だと結論付けていることは胸にズシリとこたえる。(2018-11-24)

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