Monthly Archives: 5月 2015

安倍と柳澤とどっちが異質な存在か

柳澤協二さんが官房副長官補を退官して暫く経った頃、朝日新聞だったかに論考を発表したことが永田町界隈で話題になった。その中身たるや厳しく政権の側を批判するものであり、それまでの彼のスタンスからすると意外な感がしたからである。議員会館の私の部屋を訪ねてきた彼に、私が云った事を今でも覚えてる。「柳澤さんは保守の側に身を置きながら、政権を批判するというのはなかなか良い狙いだね。今の論壇を見渡しても、そういう位置からの発信は殆どないから、きっと受けるよ。これで役人を卒業しても立派に物書きとして食えるよ。さすがだね」ーイラク戦争をはじめとする様々な出来事にどう対応するかを巡って種々の意見を交換していた仲だっただけに歯にきぬ着せずに本音を投げかけた。彼は満更でもなさそうな顔をしていた。私の見立て通りの判断だったことは間違いない。その後数年経った現在、いや増して私の見方が正しかったことを裏付けるような働きぶりであり、今や安倍政権批判の論陣を張る急先鋒として名を高からしめている▼先日彼が芦屋市に後援をするために兵庫県入りすると聞いて連絡を取り、翌日の朝に懇談の時間をとってもらったことは既に別の場所で述べた。その際に、かつて前述の発言を私がした通りになったことを伝えると共に「大変な活躍だけど、それって思えば安倍さんのおかげだね」と皮肉交じりで讃嘆をしたものだ。彼はニヤリとしながら「おっしゃる通りです」と返してきた。柳澤さんだけではなく、霞が関の官僚の中でその立場を辞したあと、もの書きに転身して成功した人は少なくない。なかでも外務省や防衛省という役所は、外交・防衛を論じるというその性格上からも群を抜いて人材輩出源となってるようである。それだけ役人時代に云うべきことを言えずに我慢することが多いと見えて、辞めた後は息せき切ってぶちまけることが多いものと見られる。とりわけ柳澤さんは激しい。このたび彼が送ってきた『亡国の安保政策』も容赦なく安倍政権を切りまくっている▼彼は自身の立場が、歴代自民党政権の憲法解釈に則った政策判断に徹しているがゆえに、その道を外したように見える安倍政権を批判することは当然であり、なんら恥じたり悪びれたりすることはないというものだ。「アメリカとの軍事的双務性を進んで追求し、アメリカとの対等な関係を築くことによって大国としての日本を『取り戻す』という『報酬』を求めるパワーポリティクスへの転換」を目指す安倍政権は、「歴代自民党政権とは明確に異なる指向性を持った、異質な政権である」という。それを批判することは、言わばご先祖様から褒められこそすれ怒られることはないというのが柳澤さんの立場だろう。政権の側にいた政府高官の癖に安倍政権に弓を引くとは何事か、という彼に向けられる刃は,彼にとって痛くもかゆくもないどころか、そういう寝言みたいなことをいう人間は政治を知らないにもほどがあるといいたいのに違いない▼そういう彼の立場を率直に披歴したのがこの本だが、私にとって面白く読めたのは米国の安倍政権観のくだりだ。経済を安定させるうえでの安倍政権の働きをアメリカは認めるものの、「歴史の見直しを主張するタカ派的傾向がアジアの緊張を高め、アメリカの国益を損なうのではないかとの懸念」を抱いているとの見立てだ。さらに尖閣問題を巡っては「無人の岩(尖閣のこと)のために俺たちを巻き込まないでくれ」という米軍機関紙に掲載された論評や、議会調査局の2013年の報告に「米国は、尖閣をめぐる日中の紛争に直接巻き込まれるおそれがある」との指摘を挙げているのはまことに興味深い。かつて日本がアメリカの戦争に巻き込まれるとして社会党などが批判してきたが、あれから50年ほどが経って、今度は一転日本の仕掛ける戦争にアメリカが巻き込まれるといって懸念しているのだ。勿論、今もなお日本がアメリカに巻き込まれる恐れがあるとの懸念を表明する向きも多い。しかし、柳澤さんが注目するのはアメリカのこういう受け止め方であり、国際情勢の認識が安倍政権はズレているというのだ▼我々は鳩山政権について、現実におよそ根差さない、宇宙人のような政権だと批判してきた。柳澤さんはそれを、「パワーポリティックスに頼らない安保戦略を模索したが、それは実現の具体的手段を伴わない意味で、『夢見るリベラリスト』というべき戦略性のない戦略だった」と切り捨てる。と同時に返す刀で、安倍政権を歴代自民党政権が憲法に正面から挑戦することになるがゆえに露骨に追及を避けてきたパワーポリティックスを追及しようとする政権だとして、その危険性をあげつらっている。曰く「実現可能性のない国家目標を追及しており、それは鳩山政権との対比で言うと、『夢見るパワーポリティックス』だと。より正確に表現すれば、「夢見るパワーポリティシャン」であろう。つまり「力を信奉する政治家」というわけだ。リベラリスト的とリアリスト的と立場は正反対ながら、アメリカと対等に肩を並べたい、という指向性を持つ点で鳩山も安倍も同じ穴の貉だというと、安倍首相はどう反論するだろうか。ともあれ、リアリズムに依拠しながらリベラリズムを指向する中道主義の公明党は、安倍自民党に盲従しているわけではない。政権に身を寄せながら違いを出すことは至難の技であろうが、そこに私は期待したい。(2015・5・30)

Leave a Comment

Filed under 未分類

真田幸村、後藤又兵衛らの「男の美学」に酔う

家康が死んで今年は400年になるとのこと。1615年のことだから、関ケ原の戦いから15年ほどが経っていたことになる。大阪冬の陣から夏の陣の二つの戦いが決着を見て、数年の後に家康は永遠の眠りにつく。信長、秀吉、家康と戦国末期を彩った3人の軍事・政治的天才を比べてみて、死後260年近くも徳川の時代を永らえさせた家康に強い関心を持たざるを得ない。先日たまたまNHKのETV特集で司馬遼太郎の小説『城塞』上中下3巻を、識者4人で読み解く公開番組をやっていたのを見た。司馬さんの小説はそれなりに読んできているのだが、この本は未読だった。番組に登場した女優の杏さんや建築家の安藤忠雄氏らの興味をそそる話につい魅せられて、この小説を読む羽目になった。その場で誰言うことなく語られた「主人公は人ではなく大阪城だ」という一言も大いなるきっかけとなった▼家康を描いたものは山岡壮八さんのそれを遥か昔に読んだことがある。印象に残っているのは、その権謀術数の展開と三河武士の団結の固さである。およそ考えられる手練手管の限りを尽くした家康の天下取り。そしてそれをも凌ぐ死後の徳川幕府の繁栄を考え抜いた打つ手の見事さ。企業、団体の組織運営を考えるうえでいつも参考にすべしと言われることが多いが、俯瞰的に見て自然に思われる。だが、個別具体に見るとおよそ嘘偽りのオンパレードであって、決して美しいものではない。『城塞』でもこのあたりの家康の描き方は露骨なまでにえげつない。ただ、歴史上で大をなした人間を見るうえで大事なことは、その人生のどの部分に焦点を当てるかだろう。信長に仕えて草履取りの身から天下取りをするまでの秀吉は、鯉の滝登りのように鮮やかだ。朝鮮出兵から死の直前までの晩年とは人がまったく別人のようだ。同様に、若き日の家康とこの大阪城攻めの頃の家康とは、大いに趣きを異にしている▼その点で、真田幸村、後藤又兵衛といった中堅のリーダーの描かれ方は一貫して男の美学に貫かれており、読むものをして大いに興趣をそそられる。真田幸村については来年のNHK大河ドラマで取り上げられる。かつて子供のころに杉浦茂さんの漫画(『真田十勇士』だったと記憶する)に血沸き肉踊らせたものだ。猿飛佐助、霧隠才蔵、三好清海入道、筧十蔵、穴山小介、根津甚八、由利鎌之介、海野六郎、望月六郎らの名前が浮かぶ。今でも九人の名前が出てくるのだからよほど興奮して読んだに違いない。真田一族について書いたものでは、私は池波正太郎の『真田太平記』が好きだ。来年までに読み直してみたい。ともあれ、この『城塞』でも最後の最後まで数で圧倒的に優位な家康を追い詰める幸村はまことにかっこよく、胸すく思いがする▼もう一人のヒーロー後藤又兵衛も印象深い。人生最後の死に場所を得て縦横無尽に力を発揮する又兵衛はまことにすごい。ある意味で隠れた主人公はこの人かもしれない。黒田官兵衛に仕えながらも晩年はその息子長政との折り合いが悪く牢人となってしまう。その又兵衛が豊臣家のためにその軍事的センスを生かして死闘を尽くす姿ほど小気味いいものはない。この人物が播州・姫路の生まれであるということにも同郷者としての感情移入が当然あろう。官兵衛もいいが、又兵衛もいいのではとつい思ってしまう。家康の孫にして秀頼の妻だった千姫は、大阪城落城の後に姫路城の城主・本多忠刻のもとに輿入れする。このあたりも含め姫路ゆかりの歴史上の人物は悲劇に彩られた人が多いように思われるのだが、歴史散歩として十二分に楽しめて満足している。(2015・5・27)

Leave a Comment

Filed under 未分類

半世紀に及ぶ国際情勢判断に欲しかった反省記

新聞記者を経て政治家となった私にはお蔭様で学者、文化人に知り合いが多い。中でも「新学而会」という学者、知識人10数人で構成された勉強会(政治家も数人参加)は、私にとって大きな「供給源」となった。呼びかけ人は私の学問上の恩師である故中嶋嶺雄先生(元東京外語大学長、前秋田国際教養大学学長)で、産経「正論」ライターを中心に名だたる論客が隔月の定例会に集まってきておられた。その中での一方の旗頭が元外交官で評論家の故岡崎久彦さんだった。何回も食事を共にしながらご高説を聞いたものだ。昨年10月に亡くなられたが、このほどご本人が最後に書き残されていたものをまとめた本が出版された。『国際情勢判断・半世紀』である。ご夫人・昭子さんがあとがきに「家庭人としては本当に手がかかる大変な人でした」「自説を曲げない性格」「他人の意見を聞かぬ人であります」と書いておられるが、ついニヤリとしながら、さもありなんとうなずいてしまった▼この本は自伝の趣きがあり、人間岡崎久彦、外交官岡崎久彦を改めて知る上で貴重な遺産となっている。巻末に彼の主な著作として30冊の単著があげてあるが、『なぜ気功は効くのか』といった”趣味の分野のもの”1冊を除いて残り全てを読んだものにとって、総集編を読むようで意義深い。かねがねこの人のもので迫ってくるものは、ご自身の氏育ちに対する強烈なまでの自負心であった。第一章の「岡崎家に生まれて」の少年・学生時代のくだりを通じて大いに納得した。古き良き日本の香りはこういう家系に育った人から漂ってくるものだろう、と▼外交・防衛の分野で仕事をしてきた私は多くの人から岡崎評を聞く機会にも恵まれたが、おおむね外務省の人間のそれは冷ややかなものが多かったと記憶する。曰く「あの人は外交官としての仕事をせずに本ばっかり書いている」「言いたいことをいい、書きたいことを書いて本当に幸せな人だ」といったような。この本の中で、なにゆえに自分が外務省の中の正統派から外されてきたかが詳しく書いてあり、改めてなるほどなあと納得した。また、サウジアラビアやタイの大使時代に通常の対外的な仕事は公使以下の部下に任せて、大きなことのみに手を下すだけで、あとは本を読んだり書いたりしていたと正直に明かしている。これでは評判が偏って当然かもしれないと妙に納得できた。また、宮澤喜一元首相をほぼ無視したり、後藤田正晴氏を「怖いが、信頼していませんでした」と切って捨てているあたり、信念を曲げぬこの人の真骨頂ぶりを感じる▼『隣の国で考えたこと』や『戦略的思考とは何か』といった初期の作品から、私は国際政治への手ほどきを受けた。また、陸奥宗光から吉田茂までの六人を描き切った『外交官とその時代シリーズ』全五巻や『百年の遺産 日本近代外交史七十三話』といった彼のライフワークともいうべきものからは知的刺激を受けまくった。その視点はまっとうな保守の立場に立脚したもので、中道左派とでも言うべきスタンスをとってきた公明党の一員として大いに参考になった。しかし、岡崎さんが晩年に至るまでの様々な論考で、あくなく繰り返し説かれた「集団的自衛権を行使可能にせよ」との主張にはいささかうんざりもした▼私は岡崎さんがあのイラク戦争の際に、アメリカの侵攻の結果、近い将来にかの地に自由と民主主義の旗が燦然と翻る時がくる、と述べられたことが忘れられない。これまで何回か書いたように、やはり国際情勢の判断をなりわいにされているのなら、自分の見立てが間違ったということを天下に明らかにしてほしい。寡聞にして私は岡崎さんがそれをしたということを聞かない。で、この本のなかで見いだせるか、とひそかに期待をして頁を繰った。しかし、ついに直接的には出くわさなかった。尤も、台湾の情勢について述べたくだりに「客観的見通しを話しているだけで、もしそうなっていなかったら、私の判断が間違っているだけの話だ」とあった。イラク戦争後の中東の見通しについても、現在のような「イスラム国」の台頭ぶりを予測し得なかったのは、岡崎が間違っただけの話だということかもしれない。またしても私は他人の仕事にケチをつけてしまった。「ったく、俺ってケチな野郎だ」と自責するしかないが、岡崎さんの”反省記”も読みたかったのである。(2015・5・21)

Leave a Comment

Filed under 未分類

満州国の興亡の陰に咲いた日本史のアダ花

長い長い物語を書き終えて、そこで力尽きたかのように亡くなった作家がいる。船戸与一さんだ。私個人は直接会ったことはない。しかし、彼と親交を深めていたひとが身近にいる。市川雄一元公明党書記長である。自ら作家志望であったことを折あるごとに語り、「書きだしの研究」なる大変に興味深い小論をものしているひとだけに、作家との交流も少なくなかった。とりわけ公明新聞編集主幹時代に新聞小説の連載を依頼するべく名だたる作家と次々と会っていた時期がある。そのうちの一人が船戸さんだ。船戸さんは、市川氏が如何に彼の作品を深く読んでるかについて讃嘆していたという。その市川氏から勧められ、随分と苦労しながら私が読み続けたのが『満州国演義』全九巻だ。第一巻の「風の払暁」が出版されたのが07年4月だからもう8年前。以来ほぼ一年に一冊づつ出されてきた▼このたび最終巻の「残夢の骸」を読んでる最中に訃報を聞き、慌ててそれまでのちょびちょび読み進めるのをやめて一気に読み終えた。原稿用紙7500枚、一冊500頁平均だから4500頁の本は書くほうは当然のことながら、読むほうも大変である。昭和3年から説き起こされ、終戦の20年までの昭和史を満州ー中国東北部で起きたことを中心に描いたこの小説は、私のような戦後世代にとって一番の盲点ともいうべき時代を扱っている。満州地域については、戦前戦後に生きる日本人にとって大きく軽重、浅深が分かれる関心事だと思われる。満州に理想郷を夢見た人々はすべてを擲ってかの地に渡り全人生を賭けた。一方、秀吉いらいの日本人の野望を苦々しく見ていた人たちは、戦後の引き揚げひとつにも冷淡な思いを持った。船戸さんは、この小説に太郎、次郎、三郎、四郎という4人の兄弟を登場させ、外交官、馬賊、憲兵、演劇学徒という4種の身分をあてがって、それぞれの視点から描くというユニークな手法をとっている▼満州国の興亡というテーマはそれなりに十分に面白く、日本が明治維新から80年にわたる軍国主義の歴史の行きつく先を描いて果てしない。その中でやはり”脱日本の風景”をくまなく味合わせてくれるのは次郎の世界だ。私はかつて中村三郎天風先生の謦咳に接する機会がほんのちょっぴりとだけあった。この人はかつて満州の沃野を馬賊の一人として疾駆した経験を持っていただけに、なんだか次郎が登場すると、天風先生とダブって見えた。ともあれこの小説は、明治という時代の暗部が破綻するさまを、”殺しと性行為と食べる”という人間の本能の赤裸々な展開を隠し味にして物語っていると云えよう。9冊を前にして、その3本能の露骨な表現のみが蘇ってくるというのも恥ずかしい気がするのだが▼つい先ごろに読み終え、ここにも取り上げた『明治維新という過ち』では、テロリストとしての吉田松陰や如何に薩長・維新政権が残虐非道の行いをしたかが説かれていた。それに比してどれだけ会津が悲劇のヒロインやヒーローの地であり、爽やかな士道の担い手であったかが語られていた。実はこの『満州国演義』の冒頭に、「会津戊辰戦史」の一節から船戸さんが想起した場面が描かれている。これこそ全編に基底音として奏でられる哀しい響きだ。会津の女を凌辱する長州の男の破廉恥な姿は、この本の中で形を替え、姿を変えながら繰り返し登場する。この場面は重要な伏線をなしているのだが、あたかも「明治維新の過ち」が原因となって、結果として「昭和前史の過ち」に結実していったことを予兆しているかのように思われ、興味深い。(2015・5・15)

Leave a Comment

Filed under 未分類

薬剤師という職業の誇りと由来を謎解きのごとく

薬というと誰にも、それこそ苦い思いをしたり、晴れやかな気分にさせられたり、といっぱいの思い出があろう。つい最近のこと。私は酒を飲む席で、歯痛がどうしようもなく酷くなった。つい痛み止めの薬をビールや酒、焼酎などガンガン呑んでる最中に一錠だけど飲んだ。この後どうなったか。いやはや、思い出すだに辛い。就寝前に歯を磨いた途端、つまり薬を飲んでから5時間後くらいだったろうか、口の中が唇から舌までちょうど歯の治療時に麻酔を打たれたと全く同様にしびれだしたのだ。そして約30秒後歩くことも出来ぬほどの酩酊状態が起きた。以来二日間に亘って断続的に同じような症状が起こり、徒歩もままならず、会議の最中に意識がもうろうとなるなど大変な思いをする羽目になった。医師に問診を受けても直ちに原因などは分からない。めまいの薬をいただいて呑んでも全く効かない。脳梗塞ではないか、耳に異常があってのことではないかとなって、CTやMRIなどを撮って調べたが、特に異常はなし。結果は酒のせいということになり、やがて自然治癒した▼こんな極端な例とは正反対にそれまでの苦痛からウソのように解放されたことも勿論多々ある。しかし、大筋は、「当たるも八卦、当たらぬも八卦」ならぬ、”効くもくすり、効かぬも薬”というところかもしれないというと、薬剤師さんに怒られようか。私の周りには薬剤師出身の元衆議院議員や元神戸市議会議長らの友人、知人が少なくない。その筆頭でもいうべきひとがこのたびすごい本を出した。山本章『医師が薬を売っていた国 日本』という名の本である。これは日本における医薬分業の歴史を、きわめて分かりやすくかつ専門家の批判にも十分に応え得るように解説した画期的な書物だ。本人は薬剤師学徒や薬局関係者に読んでほしいと言っているが、これは薬を飲んだことのある人がみな読むべき本であると心底から思う。というのは、なぜ医薬分業が日本でかくほどまでに遅れて実現をみたのかが、あたかも推理小説を読んでいるかのように引き込まれつつ分かる仕掛けになっているからだ。謎解きをするべく著者はそれこそ時空を超えた旅に出るが、これがすこぶる楽しい。スイス・サンセルグから始まりフリードリッヒ二世の十字軍遠征につき合わせられる外遊はさながら歴史散歩だ。また、日本全国の薬剤師の先達たちの足跡を追う旅は知られざる逸品の苦労話の連続で、目からうろこならぬ、近眼にコンタクトの趣きである。しかも適時、落語からの落し噺が出てきたり、「徒然草」からの兼好法師の言葉が顔を出し、おまけにご自分の自作短歌まで幾つか披露されておるのが、程よい癒しになる▼この人は兵庫県は姫路市の1945年生まれ。これは、言わないと分からないかもしれないが、私と同郷同年だ。かの直木賞作家の車谷長吉と自分は一緒だといわれるが、私の場合は大学まで同じ(これって別に張り合っているわけではない。念のため)。幼いころに両親を共に肺結核で亡くし養父母に育てられ、ご自身も若くして同病に罹り、落第を経験するなど辛酸をなめる苦労を重ねたすえに、京都大学薬学部に進み、のちに旧厚生省に就職。最終的には麻薬課長を経て製薬会社に天下るという薬と縁の深い人生を送ってきた。70歳を迎える本年、まさに薬に関する蘊蓄と蓄積の思いのたけを精密に並べたのがこの書である。私と彼とは、これまで政治家と高級官僚という関係を超えて同郷、同年齢の誼で大層親しくさせていただいてきた(実は私も肺結核患者だった)。様々な局面で奥行きの深さを垣間見せながらも軽妙洒脱なこの人の人柄にぞっこん参ってきたものの一人だ▼医薬分業について少し私の感想を述べたい。正直、普通の暮らしの中で薬剤師の力を実感することはこれまでなかった。で、御多分にもれず”医師絶対”の基本姿勢で今日まで来たことは否めない。つまり、長い時間待って僅かな時間の診察のすえに医師が処方したものを、また薬局へ行ってそれなりに時間を費やしたうえで貰うのは、どう考えても時間の浪費だと考えてきた。医師が処方してついでに薬も渡して貰えばいい、と恥ずかしながらつい先年まで思ってきていた。今でも時々思わぬこともない。それは調剤薬局といいながらいわゆる調剤をしているのか。単なる出来合いの薬を棚から探し出すにしては随分と時間がかかるではないか、などと疑問を感じてきたからだ。本当に医師と薬剤師が対等に分業してやっていけるのか。だいたい、医師が処方したものを探し出すだけではないのか、などとかなり辛辣で傲慢な見方をしていたのである。それがこの本を読むと一変した。種明かし、謎解きを読まない人にしてはいけないので控えるが、私の積年の疑問がほぼ解決した。ただ、山本さんにここまで期待されたうえで、本来のあるべき薬剤師の姿を明示された結果、現実の薬剤師さんたちの仕事ぶりがそれに見合ったものになるかどうかについては、いささかの不安と不審が残るとだけは言っておきたい。つい先日も薬剤師資格を持たない人に、調剤させていた薬局の存在が報じられていたことだし。(2015・5・13)

Leave a Comment

Filed under 未分類

この国の本来の成り立ちを問いかける試み

前回に続き、佐藤優氏のものを。多面的な彼の仕事の中でも、極め付きとでも言うべきものが国家神道的なるものへの関心である。かねて彼が北畠親房の『神皇正統記』を中心にいわゆる右翼イデオローグたちとの議論を重ねていることは、国会議員の各部屋にそれを掲載した雑誌が毎号届けられていたので知っていた。しかし、戦前に文部省の手になり(昭和12年)、占領下の日本で米軍によって禁書になった『国体の本義』については存在すら知らなかった。それを読む気になったのは彼が主宰する読書会での必読文献ということもあり、戦後70年の節目に改めて日本という国の成り立ちとしての「国体」というものを考えてみるのは無駄ではなかろうと思ったからだ。当初は当方に偏見めいたものがあったが、読み終えて収穫が大きかったことに満足している▼「国体」とは国家を成り立たせる根本原理をいい、ある意味で「目に見えない憲法」ともいえる。日本のみに特殊なものではなく、どの国にもあるはず。ただ、日本は先の大戦に突入する流れの中で、国家神道が単なる宗教を超え国民の精神を支配する中枢の役割を果たし、それを裏付けた「軍国主義」が国民を塗炭の苦しみに陥れたとの認識が一般である。しかも終戦処理にあたっての最大の関心事が「国体維持」という呼称のもとに天皇の去就が注目を集めたことも重なって、「国体」とくると誰しも反射神経的に身構えてしまいがちだ。しかし、佐藤氏がこの書を読み解く必要性を痛感し、行動に移したのは現今の日本の国のありように大いなる危惧を抱いたことが発端である。より根本的にはこの十数年の「新自由主義」の台頭への批判の眼差しがある。そしてヘイトスピーチや排外主義といったこのところの保守思想に潜む病理への危機意識が引き金となっている。こうした現状を解くカギが「国体の本義」にあると言うのだ。「正統派保守思想」を以てして”誤れる保守的考え方”を破すと言いたいところなのだろうが、一般には”毒を持って毒を制す”との見方も否定できない▼『国体の本義』は決して大部のものではなく、この新書に全文収められなお余りある短いものだ。その中で、天皇は「高天原の神々と直結してい」て、「重要なことは知(智)、徳、力という世俗的基準で皇統を評価してはならない」し、「そのような人知を超越する存在なのである」として、「現人神(あらひとがみ)」としての存在が強調される。「人間天皇」を知ってしまった我々には明確に逆行と見られる。それでも、天皇の軍隊が犯した数々の誤れる行為を今の時点でどうとらえるのか、注目して読み進めた。辛うじて最終章にわずかに触れられていただけであったのは物足りない。読み解く対象としての『国体の本義』に、「軍事に関する記述は短い」のなら、佐藤氏にそこは補ってほしかった。「高天原に対応する大日本がその領域である。従って、日本の軍隊は世界制覇の野望などそもそももっていない」といわれても、そもそも何時のことをさしているのか分からず、基本的な疑問を禁じ得ないのだ▼ただ、昭和12年の段階で日本が直面していた思想史的課題と平成の今のそれが極めて似ているという観点に立つと、俄かにこの本における佐藤氏の読み解き方が注目される。今更言うまでもないことだが、日本文明の特徴は、外来の思想を取り入れてこれを換骨奪胎し、日本風のものに変えてきたことにある。古くは仏教や儒教もインド、中国から外来のものとして入ってきたが、同化され日本独自のものに改められてきた。明治維新以降の近代化にあっても日本は西洋列強による植民地化の脅威を避けつつ一意専心、西洋思想を取り入れ同化してきた。しかし、その結果は、どうだったか。『国体の本義』の著者は、個人主義や自由主義、合理主義が氾濫しただけではないかと厳しく自省しているのだ。その時点から80年近くが経った今もなお基本的状況に変化はない。いやそれどころか、敗戦から占領期を経て、平和憲法の展開でむしろ事態は悪化しているとの見方も成り立つ▼佐藤氏は、「1930年代にわれわれの先輩が思想的に断罪した『古い思想』(=個人主義、自由主義、合理主義)が二十一世紀の日本で新自由主義という形態で反復したに過ぎない」と手厳しい。だから、日本人と日本国家が生き残るために、思想的に日本をどう捉えるかが焦眉の課題であるとし、「日本の国体に基づいて、外来思想を土着化する必要がある」と強調する。そこで、「日本の国体」とは何かに戻るのだが、それが国家神道的なるものに回帰することでいいのかどうについてはやはり疑問が残る。建国神話などを今に活かすことは、一つの大きな遺産ではあるが、それだけではなかろうというのが私なんかの結論だ。佐藤氏自身も言ってるように「歴史も世界も複数存在する」のだから、今とこれからに生きる日本人の共有財産にするには、大いなる大論争が必要になってくる。(2015・5・5)

Leave a Comment

Filed under 未分類